夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

主の来臨に備える

2011-08-27 18:40:18 | 日曜日のメッセージ
 ルカによる福音書12章35~48節。本日のルカ福音書の個所は、主イエスの再臨の時に弟子たちが正しい信仰をもって主を迎えられるだろうかという問題を扱っている。そのときに信仰が緊張感を失って、居眠り状態になっていないか、また主人が不在であることですっかり油断して、よからぬ生活態度や習慣に流されていないかということである。これは、大いにあり得る問題として注意しておかねばならない。間近な再臨という期待は現代では希薄になってはいるが、すべての人に確実なことは、再臨に対して準備ができるのは、この世の人生が終わる時までだということである。死んでから備えようと思っても遅いのである。いくら再臨が遅れることがあっても、人間の一生が無制限に伸びることはない。だから、再臨の問題とは確実に迫ってくる人生の終わりに、主にお会いできる準備ができているかどうかという問題でもある。 . . . 本文を読む

復讐するは我にあり

2011-08-19 19:06:46 | 日曜日のメッセージ
 ローマの信徒への手紙12章9~21節。この箇所では復讐することが禁じられるている。その理由は、本当に悪を裁く権利は神にあるであって、私たち人間にはないからだ。もしも自分で復讐してやろうと言うのなら、それは自分を神の立場にしてしまうことであり、傲慢のそしりを免れないのである。パウロも、《愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります》と言っている。すべてをご存じの神が、悪に対しては正しく裁いてくださるのだから、先走ってはならないということだ。神に任せなさいということだ。そして、もし、人間が勝手に裁いて復讐するなら、決して良い結果は出てこないということなのではないだろうか。 . . . 本文を読む

思わない事故が

2011-08-19 12:33:04 | ペット
ミーミのために猫用のケージを買ったが、思わない事故があった。金属フレームの隙間に足の指をはさんでしまったのだ。人間ならば何とか工夫して外せるのだが、猫にはそういう知恵はない。痛いという意味か、外してくれとという意味か、ひたすらSOSの鳴き声を発するばかりだ。この二年間に3回ほどそんなことがあった。 . . . 本文を読む

私のパソコン歴

2011-08-17 20:36:37 | tools
 私のパソコン歴は結構長い。その草創期から始まっている。発端は妻の弟が当時IBM社に勤務しており、あまり売れなかったパソコン、JXを社内価格で買わないかと勧めてきたことである。最初はあまり気が進まなかったが、知人のアドバイスもあって購入に踏み切った。OSはMS-DOS、ハードディスクもない製品だったが、これでMS-DOSのコマンドとワープロのローマ字漢字入力を覚えることができた。本格的にワープロで文書作成をするようになったのは、何年かしてNECの98シリーズに乗り換えてからだった。RAMディスクもついて入力もスムーズになり、一太郎Ver.3が気持ちよく使えるようになった。私の文書作成は手書きからワープロへとほぼ完全に移行していった。MS-DOSも非常に安定したOSだった。  しかし、パソコンの進化はとどまるところがなかった。 . . . 本文を読む

Ⅰペトロが訴えていること

2011-08-13 14:58:45 | 日曜日のメッセージ
 ペトロの手紙一 3章13~22節。この手紙は2章9節で、神の民とされたクリスチャンの使命について、「それはあなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」と語っていた。まさに伝道の使命の指摘だった。このモチーフが、この手紙全体に行き渡っているのである。著者の関心はまさにここにあった。この手紙の読者たちは、周囲の迫害や無理解のなかで、伝道どころでない生活を送っていたが、そういうクリスチャンにも伝道のつとめは無縁であるどころか、確かに与えられているというのだ。言葉で語る機会がないのなら、生活態度で神を証ししなさい(2:12,3:1)。これが、この手紙の強調点であり、本日の箇所にも貫かれている。 . . . 本文を読む

夕日さすまに いそしめよ

2011-08-11 18:58:13 | 人生のかけら
 時間とは不思議なものだ。神学校を出て初めて赴任した教会の3年間と、次につとめた教会の28年間と、どちらが長く感じるかというともちろん後者だが、実感は年数に比例しているわけではない。最初の3年間は初めての体験が多かったせいか、とても長く感じる。結婚もあったし初めての子どもの誕生もあった。次の28年はまるで新宿の超高層ビルのエレベーターに乗ったようだった。気が付くと40歳になり、気が付くと50歳になり、気が付くと60歳にならんとした。 . . . 本文を読む

教会学校夏期学校2011

2011-08-09 20:37:41 | キリスト教
 今年も7月29日~30日、教会学校夏期学校が愛知県民の森で行われた。子ども25名、スタッフ13名。主題は「主の祈り」だった。子どもはよく遊ぶ。ほんとうにエネルギーのかたまりだ。ふざけあい、けんかをし、仲直りし、また遊ぶ。食事は自炊。教会の婦人会から3名のボランティアが来てくださった。また、教会学校OBの若い男子3名と、関係幼稚園の先生1名も来てくれた。子どもたちは大喜びだった。 . . . 本文を読む

福音にかなった解決を

2011-08-09 18:53:23 | 日曜日のメッセージ
 フィリピの信徒への手紙4章2~3節。フィリピの教会には残念なことがあった。その設立当初にパウロと共に活躍した二人の女性エボディアとシンティケが教会の交わりから離れてしまったのだ。理由は何であれ、パウロにとってこれはやりきれないことであった。四章二節で彼は言っている。「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい」。ここでパウロは、ただ一つ思いになれというのではなく、「主において」一つ思いになってほしいと勧めていることに注意したい。「主において」、主イエス・キリストという共通の拠り所をたよりに、他の信徒たちと一つになってほしいと言っているのである。 . . . 本文を読む