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夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

家を建てる者の捨てた石

2011-04-08 21:11:09 | 日曜日のメッセージ
 ルカによる福音書20章9~19節。イエスはぶどう園の主人の愛する息子を殺した農夫のたとえを語った。これを聞いてショックを受ける民衆に、「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』」という意味深長なことをおっしゃった。これは新約聖書の中でたびたび引用される詩編である。キリストを指し示す詩編として重んじられたもので、詩編118・22の引用である。
 「隅の親石」は石造りの建物の基礎のうち隅に据える要となる石を指す。またはアーチ型の天井を支える要石のことである。建物の重みを支えなければならないので、特別念入りに選ばれた。この詩編は別の工事で建築の専門家が捨てた石が後から立派に役に立ったというどんでん返しを歌っている。そして、人からは捨てられ、侮られ、迫害されたが、神によって認められ、尊い役割を担わされた人の比喩になっている。このような人物は、ダビデのことだと解釈されたり、来るべきメシアを指すと解釈されたりしたが、新約聖書ではイエス・キリストを指す言葉として重んじられるようになった。詩編118はこのすぐ後に、「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう」と続いている。
 イエスも人々から捨てられても、価値なきものとされてしまうのではない。かえって、信じる者には永遠の救いの源となって重んじられることになる。また、逆に信じない人、この石を捨て去った人、そういう人々はそのことで自分の見る目のなさをさらけ出し、捨ててはならないものを捨てることによって厳しい審きを受けることになると警告されている。
 主イエスはあの詩編118の引用を含んだ大事な言葉を、民衆の顔を「見つめながら」おっしゃった(17節)。この「見つめる」というのは、イエスの憐れみに満ちた態度を指している。イエスは富める青年をさとしたときも、彼を「見つめて」語られた(マコ10・21)。また、ペトロの否認を予告するときにも、ペトロを「見つめて」語られた(ルカ22・61)。それらは厳しさの中にも、慈しみ溢れるまなざしだった。何とか彼らを立ち直らせようとする愛に満ちた視線であった。私たちもイエスのこういうまなざしの中に置かれていることを知りたいと思う。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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この聖句が気になって… (鵠沼在住クリスチャンです。)
2014-11-08 01:11:35
家を建てる者の捨てた石、この聖句が時々思い浮かび、ネットで調べてみたところ、こちらのブログを読ませていただきました。とてもわかりやすくてこの聖句がますます心に残りそうです。ありがとうございました。
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家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった (ブログ)
2014-11-10 20:52:21
読んでいただきありがとうございます。確かに大事な聖句だと思います。
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