しばらく続いた猛暑の中では、とても散歩する気になれませんでしたが、明日から台風が来るというので、その前にと、久しぶりに外を歩きました。少し涼しくなった今日、みんみんとあぶら蝉だけでなく、早くもつくつくぼうしも鳴いていました。花は百日紅がきれいでした。 . . . 本文を読む
死が避けられないものならば、これ以上ない最期だったと思う。この写真は6年前に撮った一枚だ。このころから、少しずつ弱っていった。持病の心疾患はあったものの、それが致命傷にはならなかったのは、神の護りだったような気がしている。弟がそばにいてくれたこと、よく看護してくれたのが、母にとって幸せだったと思う。 . . . 本文を読む
浜松の桜も、今日の強い風で散ってしまいそうです。
桜の花ばかりは無理に引き止められません。
でも、イエスさまは無理を言えば留まってくださいます。
なぜか思い出した聖書箇所。ルカによる福音書24:28~29
24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」 . . . 本文を読む
知人がひな人形のペーパークラフトを作って送ってくださいました。かつては私の母も桃の節句にはやってきて、三人の孫(女の子)のためにちらし寿司を作ってくれたものです。ひな人形の意味について久月さんのサイトには次のような説明があります。「ひなまつりはもともと、平安時代のお人形(ひいな)遊びと、人形に自分の厄を移して海や川へ流した『流しびな』の行事が結びついたものです。そこから、ひなまつりでは、人形が身代わりになり、子供に災いが降りかからないようにという家族の願いや、人生の幸福が得られるようにという暖かい気持ちを込めて人形を飾るようになりました」。マタイ8章7節の「彼(イエス)はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」という聖句を思い出しました。 . . . 本文を読む
浜松城公園を散歩したら、紅梅がきれいでした。もう終わっていると思っていました。花の中で梅の命は結構長いですね。ほのかな香りと言い、あざやかないろとと言い、かたちの良さと言い、梅の花にまさる者はありません。まだ冷たい風が吹く中で、春の訪れを告げています。神に感謝! . . . 本文を読む
アドベントに入ってからもらった便りの中に、ペーパークラフトのプレゼントがあった。前任教会の時、営繕関係でいろいろお願いした業者の方からだ。附属幼稚園の仕事でちょっとした行き違いがあって、10年ほど音信不通になっていたのが、今年ひょんなことから手紙のやり取りが始まった。交わりの回復。心に引っ掛かっていたものがとれたような思いだった。今年一番の収穫だったかもしれない。彼はカトリックの信者さんである。降誕の場面が見事に描かれている。 . . . 本文を読む
少し遡りますが、9月22日(日)、「だれでもパイプオルガン・コンサート」を行いました。演奏は当教会の二人のオルガニスト。すばらしい音色を奏でてくれました。足鍵盤のない小さなオルガンですが、二人で一緒に弾くことでそれを補う曲目も。視覚障がい者の方々を招いてのコンサートでした。 浜松教会のパイプオルガンはイギリスのノエル・マンダーという人が製作したものです(1974年)。毎週の礼拝で奏でられる音色は絶品です。ノエル・マンダーのもとでオルガン製作を学んだ大久保壮介氏によって調整がなされています。 . . . 本文を読む
10月27日(日)に、西静分区オルガニスト講習会があるのでリードオルガンの調整を頼みました。お願いしたのは和久井真人さん。オルガンを見るなり「あっ黒帯だ」。昭和29年から30年にヤマハが製造したリードオルガンには、脇に黒い帯のような装飾があるのです。いくつか不具合も見つかりましたが、職人技で直してくれました。リードはいつまでも修理ができるので、まだまだ教会で使うことが可能だそうです。 . . . 本文を読む
家内をスーパーマーケットに連れて行き、彼女が買い物している間、その付近を歩いたらパックリ口を開けた柘榴を見つけた。ふと思い出したのが、芭蕉の一句だった。「口あいて腸(はらわた)みせる柘榴(ざくろ)かな」。この句が言わんとしていることは必ずしも良くは分からない。俳句にせよ短歌にせよ、日本の伝統的詩歌は説明的でない。短い言葉で写真のように一瞬の心象風景を切り取る。この句にはユーモアと皮肉が込められているのを感じる。
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