夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

主の御名が崇められるとき

2013-07-20 11:28:15 | 日曜日のメッセージ
 使徒言行録19章11~20節。本日の個所で特徴的なのは、パウロの伝道にも驚くべきしるしが伴ったということである。一一節以下はこう伝えている。「神はパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出て行くほどであった」。いったいこれはどういうことだろう服や身の回り品にも聖者の不思議な力が宿るという、素朴な民間信心の表現がそのままイエスと初代教会の言い伝えの中に入り込んでいたということだろうか。使徒言行録の著者はあまり修正を加えないで残したということであるにちがいない。いずれにしても、「神はパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」という表現がここでは重要である。得体の知れない非人格的な力ではなくて、神の力がこのような不思議な業を引き起こしていたのである。 . . . 本文を読む

必要に応じて、おのおのに分配された

2013-07-03 18:30:37 | 日曜日のメッセージ
 使徒言行録4章32~37節。本日の使徒言行録の個所の特色は、このようにして一つとされた群れが、緊密な相互の交わりを実現させたということである。交わりというと、今日では心の交流とか親睦を深めるといった意味にとられがちだが、ここで言われていることは今日の常識では考えられないような交わりである。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」というのである。さらに、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」とも言われている。そして、その実例として、所有する畑を売ったバルナバの行為が細かに記されている。なんという気前の良さであろうか。有り余ったものを恵んであげるだけでも親切なのに、なけなしの財産を売り払って教会の仲間を助けているのである。これが聖霊の導きのもとで形成された最初期の教会の姿だったと使徒言行録は語っているのである。 . . . 本文を読む