しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「柳生十兵衛死す」 山田風太郎  

2006年09月04日 | 読書
山城国大河原の木津川のほとりで、柳生十兵衛のむくろが発見される。
脳天から鼻柱へかけて絹糸のような刀すじが見える。
十兵衛を切ったのは誰か。
その結末に向かって始まる物語。
慶安2年、十兵衛は新陰流の奥儀「離剣の剣」を会得する。
「敵に自分の心を陰し攻撃を読ませない剣法の陰流」に「敵を右から打とうと考えた時、同時に左から打つ心、同時に二つの心を持つ新陰流」。
そして、「二つの心に二つの眼を持ちおのれの分身を作り、分身を敵に見せる」のが「離剣の剣」。
それを聞いた能楽師の金春竹阿弥は、自分の祖、世阿弥の秘伝に「離見の見」があると言う。
それは、「自分の眼で前を見ながら、他人の眼で自分の後姿を見て自分の身体のすみずみまで見届けて、幽玄の舞い姿になる」と言うもの。剣と能に繋がりを見た二人だった。
そして、竹阿弥は、世阿弥になって舞いたいと言う強い願望を持っていた。
世阿弥は慶安より250年前の室町時代の人物で、同じ時に柳生十兵衛満厳もいた。
慶安の十兵衛はその満厳の名を貰い、三厳と付けられていた。
その事が今回の物語を、事件を引き起こしていく。



時代は前回の「魔界転生」の少し後だが、あの物語があった気配はない。
由比正雪や紀州の頼宣などが登場するが、また新しい設定で始まっている。
これは時空を超えたSF。
柳生十兵衛、3部作の最後だが、前作とは趣きが違う。
慶安と室町時代の応永の十兵衛がともに活躍するのだが、今まで感じた人の良さはなりをひそめてしまった感じ。
なんとなく魅力的ではない気がしたのは、新しい剣法を試したくてうずうずしている、戦う事が命の武士になっているからだろう。
この物語の中では、応永の一休さんが味のある性格で魅力的だった。



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