しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「悲嘆の門」  宮部みゆき 

2016年02月16日 | 読書
「悲嘆の門」  宮部みゆき   毎日新聞社 上・下巻

大学生の三島孝太郎は、先輩真岐誠吾の勧誘でネット社会の警備をする<サイバー・パトロール>のアルバイトをしている。
今は、連続猟奇殺人に関するサイトや書き込みをウォッチしていた。
同じアルバイトの森永は、ホームレスの失踪が相次いでいる事を気にしていた。
それを調べていた森永が失踪する。
三島は、森永が辿った後を追い、屋上にガーゴイルがある円形の廃ビルにたどり着く。
そこにはガーゴイルはなく、破片だけが転がっていた。
そこで、元刑事の都築茂典と出会う。
都築は、以前このガーゴイルが動くと言う噂を確かめに来ていたのだった。
その時は、破片とガーゴイルがあり、今日の昼間も確かにガーゴイルを見たと言う。
2人は待つ間、連続猟奇殺人について話をする。
都築は犯人は1人ではないと言うが、幸太郎はネット社会では可能だと考える。
そして、その夜2人は思いがけない物を目撃する。

『英雄の書』の続編








推理物だと思って読んでいた。
大きなガーゴイルが動いた謎はどう解決されるのだろうと。
途中でファンタジーと気が付いて、ちょっとがっかり。
これならば何でもありだ。
頭を推理物からファンタジーに切り替えて、何とか馴染んできたところに森崎友里子が登場。
森崎友里子が「兄はこの世にはいない」と言った所で気が付いた。
これは『英雄の書』の続編だったのだ。
言葉の始まりの場所、とか確かにそうだ。
自分はあの『英雄の書』の世界がいまひとつしっくりこなくて、よく分からない所があった。
今回も、読み進みながら同じようによく分からない感じがある。
言葉と、心で思う事の違い。概念ともまた違う。
言葉が蓄積されるのは、外に発せられるからと言う事もあるのではないか。
心で思っても、発せず止めておけば、そこで消化されることもあるように思う。
この物語では、黒い影を引きずっている人たちは、自分で消化出来なかった思いなのか、発した言葉なのか。
そして、実際に生きている人たちの物語は、ただ言葉だけではないもっと違う要素も入って来る気がする。

連続猟奇殺人として思われていた事件の真相。
これはこれで、興味深かった。
ファンタジーが入り込まなくても、成立する。
あまりにも現実的な日常に入り込んだファンタジーの要素。
それならば、もっと早い時点でその世界も見せ、知らせて置いて欲しかった。

そして、伏線もたくさん張られているが、あれはと思うことも。
ガラが見えたと言う、真菜と千草さん。はじめ慶子は見えなかった。
その違いは何処にあるんだろう。
渇望は、ホームレスの人たちがそれほど高いとも思えないのだが。
そして、その為に集めた大鎌の力は何に使うかと思ったら、大した活躍もなかったとは。
取って付けたような感じも色々。
孝太郎が、都合のいい時間に戻ってきたのも少々出来過ぎ。
悲惨なことが沢山あったから、せめてひとつは無かった事にしたような。辻褄合わせみたいだ。
でも、人を殺した感覚は孝太郎には残るだろう。
生きて行けば良いと言うが、それは真っ黒な蠢くものを引きずってなのではないか。
救いはどこになるのだろう。

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