しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「夜想」 貫井徳郎 

2015年04月03日 | 読書
「夜想」  貫井徳郎   文藝春秋   

交通事故で妻子を喪った雪籐忠義。
32歳の誕生日を一人で迎えている事に改めて喪失感を強くする。
仕事場でも同情の態度で接する同僚と上手く行かず、ミスも目立っていた。
話す相手はカウンセリングの怜子くらいだった。
そんな時、街中で定期入れを落とし拾ってくれた女性が泣いていた。
驚く雪籐に「シンクロして・・・・あまりにかわいそうなので・・・・」と言って立ち去る。
それは雪籐にとっては衝撃で癒されることだった。
事故以来、雪籐は事故以来本当に自分の心を分かってくれている人に出会ったと思いその女性を探し出す。
不思議な力を持つその女性、天美遥はアルバイト先の喫茶店でお客さんの悩み事を聞いてアドバイスをしていた。
雪籐は、天美の力でもっと多くの人を助けたいと思うようになる。
一方、子安嘉子は娘の亜由美の関係に悩んでいた。
母一人子一人で、あまり社会との接触のない嘉子。
亜由美は嘉子に反発して家を出てしまう。
わずかな手掛かりを元に、嘉子は亜由美を捜し出すと決心する。









雪籐は、何をどうしたかったのだろう。
始めは純粋に、自分と同じような人を救いたいと思ったのだろうが、その気持ちを維持出来なかった。
簡単に考えても、講演のように話しを聞くだけでは変われないのを雪籐は知っていた。
それなのに、講演をしたり本を書かせたり。
流されるままに、天美を誰が見ても宗教の教祖のようにして行く。
天美も、あまりにも自分がどうなりたいのか主体性がなくて、少々イライラする。
上手く行くはずがない。
そんな人達ばかりだから、あまり感情移入も出来ず、先が見える展開に。
しかし、ラストにどんでん返しのように分かった雪籐の精神状態を加みして考えなくてはならないだろうか。
もう一つ同時進行の物語があるが、2つの物語の繋がりが最後に少しだけ。
もっと色々あるかと期待していたので、盛り上がりも少ない気がした。
しかし、新興宗教と言うはこういう物なのだろう。
何をするにも必要なのはお金になって行く。
はっきりと割り切っていなければ、出来ない事。
始めから宗教にと考えてスタートすれば、また違った展開になったのだろう。
本当の救世主は、きっと「お金お金」と言わないだろうけれど。
そんな人物は現れないだろうな。


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