ツーデーマーチに先立ち 5月30日8:15 発一日バスツアーに参加しました
家を5時過ぎに出発 2時間ほどでxPつくば駅に到着
駅近くの中央公園からバス一台で
午前・・五浦へ雨情・天心をを忍ぶみち
午後・・黄門さまのふるさと常陸太田の歴史探訪のみち
を歩きました
AM8:00 受け付けを済ませ出発式の様子です
ウォークスタートの よう・そろー物産館に着く前に
野口雨情記念館に立ちよりです
雨情の童謡は子供のころよく歌いましたね~
北茨城市磯原町生まれ 北原白秋・西条八十と並ぶ三大童謡詩人
七つの子・赤い靴・青い目の人形・船頭小唄 など
資料館はお孫さんが管理されています
右下 畳が真新しいのは3月11日東日本大震災の際
雨情が住んでいた家の一階が津波の被害を受け 畳を新しくした為です
10:00 よう そろー物産館から ウォークスタートします
ようそろとは航海用語で、船を直進させることを意味する操舵号令である
幕末海軍からの名残であり、旧日本海軍および海上自衛隊では、転じて
『了解』『問題なし』の意味で復唱される。
漢字では「宜候」と書き、「よーそろー」と発声する。これは
「宜しく候(よろしくそうろう)」が変化したものである
5月にお祭が終わったようです 資料館に船が納まっていました
船の両側からゆすさぶりながら町を練り歩くようです
ウォークにスタートしてまもなく大津漁港のあたりは
津波の影響がまだ痛ましい姿で残っていました
修復された家もありますが 家の土台だけ残っている場所が目につきます
一時間歩いて 五浦(いづら)岬公園
この眺めは抜群!
東日本大震災の津波の影響により流失した六角堂が再建されました
明治の日本美術院の主催者であり、思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングして、まるで一枚の絵画のようです。
平成24年4月28日より一般公開されております。夜6時30分からはライトアップもされます。
何も見えない太平洋の大海原 ・・・
五浦岬公園 展望台に祈りの碑があります
地震の被害状況です
天心のお墓
足が滑ったら大変! 断崖の上から
12:00
県立天心記念五浦美術館前木陰で用意していただいたお弁当タイム!
午前のゴールは 風船爆弾平和の碑
太平洋戦争の時にここからアメリカに向けて飛ばしたんだそうです
午後のウォークは常陸太田市役所を13:30出発です
黄門さまのふるさとを訪ねます
常陸太田市内散策 明治期の建物が残る文化財の町
クジラの形に見える丘の上にあります
急な坂道を上がると古い建物や看板が並ぶ商店街の名残があります
古くても地震で壊れなかったというのは昔の設計士が優秀だったんだなーと感心です
一方地震で壊れかけた家もあります
114年動いている大きな古時計はお店の中なので写真は遠慮しました
商店街の北側眺めの良い高台にある 水戸八景大田落雁碑 (碑の文字は大になっている)
この碑がある高台からは阿武隈連山を背景に素晴らしい眺めや
水田地帯、雁が刈田に下りる様子を望むことができたようです
舞鶴城址(現在小学校の隅に城跡の碑があるのみ)~若宮八幡宮(樹齢640年の大ケヤキ)~
梅津会館(常陸太田郷土資料館)・・昭和11年レンガ造りの洋館 太田町役場だった
等を見学し久昌寺へ
延宝5(1677)年 光圀公が生母の谷久子の冥福を祈る為に建立
左上の写真が母上のお墓
西山荘(せいざんそう)
徳川光圀公(水戸黄門)がこの地で晩年を過ごした隠居場所
かくさんの家も近くにあった
西山の里・桃源 8,000平方mの庭園
四季折々の花が咲く
黄門さまの田んぼ
今は小学生が田植えをしているが
当時は黄門さまが田植えをされたそうで
年貢までおめていたとは 黄門さまらしいですね~
丸一日かけて 500選を二か所廻って楽しい歴史のお勉強も
させていただきました
ずっと説明して下さったスタッフの方 お世話いただいた皆様に感謝です
スタートした中央公園に戻ったのは17:30でした
30日の歩数 22,655歩
時間 3時間16分
距離 15.48KM
家を5時過ぎに出発 2時間ほどでxPつくば駅に到着
駅近くの中央公園からバス一台で
午前・・五浦へ雨情・天心をを忍ぶみち
午後・・黄門さまのふるさと常陸太田の歴史探訪のみち
を歩きました
AM8:00 受け付けを済ませ出発式の様子です
ウォークスタートの よう・そろー物産館に着く前に
野口雨情記念館に立ちよりです
雨情の童謡は子供のころよく歌いましたね~
北茨城市磯原町生まれ 北原白秋・西条八十と並ぶ三大童謡詩人
七つの子・赤い靴・青い目の人形・船頭小唄 など
資料館はお孫さんが管理されています
右下 畳が真新しいのは3月11日東日本大震災の際
雨情が住んでいた家の一階が津波の被害を受け 畳を新しくした為です
10:00 よう そろー物産館から ウォークスタートします
ようそろとは航海用語で、船を直進させることを意味する操舵号令である
幕末海軍からの名残であり、旧日本海軍および海上自衛隊では、転じて
『了解』『問題なし』の意味で復唱される。
漢字では「宜候」と書き、「よーそろー」と発声する。これは
「宜しく候(よろしくそうろう)」が変化したものである
5月にお祭が終わったようです 資料館に船が納まっていました
船の両側からゆすさぶりながら町を練り歩くようです
ウォークにスタートしてまもなく大津漁港のあたりは
津波の影響がまだ痛ましい姿で残っていました
修復された家もありますが 家の土台だけ残っている場所が目につきます
一時間歩いて 五浦(いづら)岬公園
この眺めは抜群!
東日本大震災の津波の影響により流失した六角堂が再建されました
明治の日本美術院の主催者であり、思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングして、まるで一枚の絵画のようです。
平成24年4月28日より一般公開されております。夜6時30分からはライトアップもされます。
何も見えない太平洋の大海原 ・・・
五浦岬公園 展望台に祈りの碑があります
地震の被害状況です
天心のお墓
足が滑ったら大変! 断崖の上から
12:00
県立天心記念五浦美術館前木陰で用意していただいたお弁当タイム!
午前のゴールは 風船爆弾平和の碑
太平洋戦争の時にここからアメリカに向けて飛ばしたんだそうです
午後のウォークは常陸太田市役所を13:30出発です
黄門さまのふるさとを訪ねます
常陸太田市内散策 明治期の建物が残る文化財の町
クジラの形に見える丘の上にあります
急な坂道を上がると古い建物や看板が並ぶ商店街の名残があります
古くても地震で壊れなかったというのは昔の設計士が優秀だったんだなーと感心です
一方地震で壊れかけた家もあります
114年動いている大きな古時計はお店の中なので写真は遠慮しました
商店街の北側眺めの良い高台にある 水戸八景大田落雁碑 (碑の文字は大になっている)
この碑がある高台からは阿武隈連山を背景に素晴らしい眺めや
水田地帯、雁が刈田に下りる様子を望むことができたようです
舞鶴城址(現在小学校の隅に城跡の碑があるのみ)~若宮八幡宮(樹齢640年の大ケヤキ)~
梅津会館(常陸太田郷土資料館)・・昭和11年レンガ造りの洋館 太田町役場だった
等を見学し久昌寺へ
延宝5(1677)年 光圀公が生母の谷久子の冥福を祈る為に建立
左上の写真が母上のお墓
西山荘(せいざんそう)
徳川光圀公(水戸黄門)がこの地で晩年を過ごした隠居場所
かくさんの家も近くにあった
西山の里・桃源 8,000平方mの庭園
四季折々の花が咲く
黄門さまの田んぼ
今は小学生が田植えをしているが
当時は黄門さまが田植えをされたそうで
年貢までおめていたとは 黄門さまらしいですね~
丸一日かけて 500選を二か所廻って楽しい歴史のお勉強も
させていただきました
ずっと説明して下さったスタッフの方 お世話いただいた皆様に感謝です
スタートした中央公園に戻ったのは17:30でした
30日の歩数 22,655歩
時間 3時間16分
距離 15.48KM
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