「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

秋永氏探求から紐解く息長古代史11

2011-11-17 | 古代史

先日、妻の曾祖母の実家を尋ねて久留米市山本町へ行きました。山本町は久留米市御井町の高良大社を末端にする、耳納(みのう)連山の麓に位置して、眼下に筑後川を望む事ができる高台にあります。

 

妻の曾祖母の旧姓は『上野』と謂い、筑後川を挟んだ向こう側の三井郡小郡の鰺坂にある『武田家』へ嫁に行っています。

場所は櫨(はぜ)並木街道の上にある集落です。

 

同行した妻の姉の記憶を頼りに家を探しましたが見つける事が出来ません。通りかかった車の人に尋ねました所、『その様な旧い話ならアキナガさんに訊いて下さい。この道の一番上の家です。』との言。

 

アキナガの名前を聞いてびっくり驚きました。

秋永さんに会ってお話を伺いたく尋ねてみましたが、不在で、この日は諦めて帰りました。

 

過日訪れ、会う事が出来ました。

昭和6年生まれの秋永 清さんという方で江戸時代から(それ以前はよく判らない由。)此処に住んで居たそうです。

 

昔から高良大社と縁が深かったそうで、『鏡開きの儀』の時など秋永さんが来ないと始められないので遅刻しないでと言われておった由。

 

ご親族は何軒ほど在りますか。と尋ねますと、この下に弟が一人居るだけで他の親族は居ないとの事。家紋は『三階松』でした。

 

この集落は上野姓が殆んどで、秋永は自分と弟の2軒だけで自分でも不思議に感じているとの事。

 

私の父の実家(田主丸町)の近くに大橋という集落があり、数軒秋永姓が在りますので、それとの関連を伺いましたら、全く関係は無いとの言でした。

 

高良大社と息長氏の繋がりを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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