「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

消費税増率を考える。2

2012-05-31 | 日記

日本では、鎌倉時代(1192年)から江戸時代(1868年)まで700年弱続いて来た武士の世は、明治(1868年)になり天皇に奉還され、軍部の台頭を招き第2次大戦へ進みます。敗戦後(1945年)は、民主化の元に主権在民が掲げられました。個人の自由と平等を大切にして、少数の意見に耳を傾ける民主主義の理念が最も理想の社会機構であるとして、総べての価値が大衆の合意の下に晒される事になりました。

 

しかし、本質的に『民意』と謂う『大衆』は、個々が自由気儘に勝手な意見を主張する性格のものです。→少数の意見(弱者)に耳を傾ける。→意見が纏まらない。→問題の先送り。と謂った事が生じやすく、問題解決に時間が掛かる事になります。

亦、『協調性』や、『公共の意識』や『志の高さ』・『向上心』・『我慢・辛抱』に欠けており、総べてが『責任を取らず』、次第に『質の低下』を齎しています。政治も『民意』には気を使い数々の修正を行い改善に奔走していますが、根源的な問題には手を染めようとしていない様です。

 

また、マスメディアも大衆に『質の向上の為の啓蒙』を行わず、迎合して無意識に自分たちのストレス解消の為、他人の不幸や批判対象を求めて世の中を闊歩しています。ある意味では『生贄』を求めている様にも見えます。そして、不幸な事に、すべての民意が『自分は正義である。』と認識しており、『反省』が見られない(気付かない)事であります。

通常の民意は保守的で、『修正』を希望する事が多く、大きな変革は望んでいませんが、偶に大変革を希望する事があります。

其れが、経済的にも政治的にも、内外に前途多難な閉塞感と危機感が覆い尽くす今日でありましょう。

 

今、思い切った改革をしなければ、日本の将来に明かりは見えません。

では、具体的にどの様な思考で、政策を用いて改革をすべきでしょうか。

 

 

《日本国統治機構の再構築。》

第1には、公務員の在り方を考え直します。現在、制度疲労しています明治以来の官僚統治機構の再構築です。私欲が無い、志が高く、公に徹しお金の掛からないシステムにしなければ為りません。学校を出て4~5年間は民間で勤め、一般社会経験者の中から採用を行い、終身雇用としないを原則とします。高級官吏職は人徳を持った年金生活者を採用し、給料の代りに年金受給額の増大で対応し、経費削減を致します。また、国会議員は、半分に減らします。直ぐには如何しても無理であれば、取り敢えず、参議院は、『廃法府』として、明治以来溜まった法律の検討をし、法律の単純化をめざします。法律が多い為、公務員が多く必要になっています。現状を見ていますと、社会問題化で騒がれます度に公務員の肥大化が生じています。

基本的には最初は公務員の数を大幅に減らして総人件費を大幅に減らさなければなりません。その後収支のバランスを診て調整をします。しかし、対策が遅れて余りに若年失業者が増えますと、逆に、(公務員と拘らず)国家が一時的にも雇用をしなければ為らなくなるでしょう。当然一時的には国債を発行し、借金の増大は致し方無いと考えます。しかし、その他の政策と総合的に実施して行けば必ず財政の健全化は図れるものと考えられます。

 

《技術立国と教育の問題》

第2には、空洞化の中、技術立国を維持する為、中小企業育成補助と教育に力を注ぎ競争力を高めます。特許の獲得が国際競争では大切です。其の為には如何しても中小企業を育てなければなりません。そして、特殊高等専門技術者を数多く育て、定年制度から技能者を守り、国家が生涯生活保障を行い、日本文化維持の視点で援助を行います。学校の先生の質の問題も含め、子供達にやる気を持たせる教育(社会適合性)が求められます。民間の塾の先生の質がとても高いのは何故でしょう。

大学を出た人には全て教員受験資格を与え、話術・精神力・人格・見識等を重視して採用します。高給を与え、授業はすべてビデオに撮り、1年更新の契約採用とします。採用継続判定は匿名の民間塾の先生にしてもらいます。現在の教育委員会は大幅に縮小し経費を詰めます。生活の安定化は公務員の質の低下を招き、今日の学校教育を生じています。教育者は労働者ではなく、選ばれた聖職者とすべきです。

 

《経済成長と少子化の克服》

第3には、消費税を撤廃し、消費を促す政策、例えば。セカンドハウス・サードハウスを持って豊かな人生を過ごす方に税制上の特典や建設補助金を出し、消費は美徳で、社会貢献であると謂う啓蒙を行います。預金は架空経済である投資ファンドに繋がり、実体経済に余り好い影響を与えません。

また、若い人の結婚を促進するためには、年金生活者の力を借り、『結婚させ隊NPO法人』を数多く作り、結婚させれば補助金を出すNPO育成機関を設けます。

物流と人的交流を活性化させるために、亦、受益者負担と謂うことで、結果、低所得者(年金生活者を含む)に執っては差別的負担になっています、有料道路を無くし、全ての道路を無料化すべきであります。

ルソーの『社会契約論』では、主権者である市民共同体(国家)と個人の関係でも、道路(公共施設)は市民共同体(国家)の最重点の仕事であり、遍く個人に、生命・健康・自由・平等・財産(人民主権)を保障せねばならない。と考えられています。

信号機の多い一般道は『年金生活者道路』と揶揄され、GO・STOPが多く、排気ガスが健康にも悪影響を及ぼしています。

 

現在は、人口の大都市集中が、地方の過疎化を呼び、地方経済を脅かし、国も対策に頭を抱えているようですが、政策を変える事で人口の地方への回帰が起こるかもしれません。

 

例えば、現在騒がれています再生回帰エネルギーの発電比率を高め、個々の家庭が発電して頂く様に法律を変えれば、人口の大都市マンション集中から田舎家屋回帰がブームに為る事も可能です。田舎でも発電が出来、売電気で生活ができる収入を得られる政策が求められます。

 

日中の発電は個々の家庭が『主』に行い、電力会社に強制的に買取りをさせ、将来は原子力・火力を『従』の関係に持っていく、発想の転換が社会を大きく変える事が出来ます。これは、法律を作り、援助をするだけで好いのでお金は原子力開発程掛からず、人口の分散化を含めた社会構造変革効果の大きな政策であると考える事が出来ます。

大衆は、儲かる事には借金をしても、投資を致します。

(注意をしなければいけないのは、企業の参入をさせないことです。あくまでも個人家庭に利益を齎すのが本意なのです。企業は其の為の器械の製作販売で利益を挙げて貰います。)

 

《老後の安心社会の形成》

第4には、年金制度を現在のねずみ講(後ろの人が前の人の面倒をみる。)方式から個人の積み立て方式に移行します。企業負担を個人負担と同額ではなくて、企業の負担を大幅に減らします。年金の資産運用は架空経済を推し進める為、亦リスクが生じる為、原則行わず、純粋に預かり金として、計上保管する事になります。

しかし、どの様な遣り方で移行するかが、問題で不利益者の救済を如何するかが議論になります。

 

《財源の奥の手》

第5には、高齢者が持って預金に廻っていますお金は莫大な額になっていると謂われ、此れが資産運用と謂う形で架空経済に向かい資本主義を揺るがしています。此れは、実体経済にとっては謂わば『死に金』で、世の中にあまり役に立っていません。このお金を若い世代に回し消費に向かわさせる事が肝要で、若しくは、国が取り上げる(銀行封鎖して国家の財務内容を正常化する。)荒治療が必要と想われます。そして、老後や病気の心配をしなくてもよい。と国民が想われる頼れる政府の構築が求められています。

 

《正直者が報われる社会へ》

第6には、根源的な問題である年金生活者の収入と生活保護者の収入の逆転現象の問題を是正しなければ、真面目な国民の理解は得られないでしょう。現金での供与を少なくし、生活保護者の事情によっては、生活援助者として振り分け、食券や米・パン・穀物と謂った現物供与とし、亦、生活保護者の収容施設を作りNPO法人に指導管理委託して早期社会復帰をめざす。とか国民負担を減らす工夫が必要と思われます。専門家のシュミレーションを急ぐ必要があります。

  

現在の国民の富は、戦後の荒廃の中から官民挙げての努力で築き上げたものです。昭和30年代末より、貿易収支の黒字が続き千数百兆円の蓄財となり、今日の繁栄をもたらしている事に自覚しなければなりません。しかし、昨今、貿易収支の赤字が現れ、国家の抱える借金は千兆円を越え、我々日本人の真価が先人達より問われています。

 

何としても、道を誤ってはいけません。

消費税増率は引き返せなくなる分岐嶺である事を指摘して皆様の再考を促し、健全な日本国を次世代に継承して往きたいと思われます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税増率を考える。

2012-05-25 | 日記

 

消費税増率を考える。

秋永祥治

昨今の日本の政治の話題は、消費税を将来10%以上にするか、と謂うことでマスコミを賑わしています。心情的には反対であるが、日本の現在の財務状況の下では致し方無いと専門家の方を含めて大方の人々が考えて居られる様です。

政府は、対外的に日本の国債を投資ファンドから守るために、財政健全化の為、消費税率を上げ、国際的な信用を得ようと(それが国民の生活を守る為の一番先に行う政策である。として、理解を得る為に社会保障と税の一対改革と称して成立を目指しています。)していますが、此処は、日本の将来を左右する重要な分岐嶺と考え、皆様にわたくしの考えを伝える事にします。

 

現在の資本主義の構造問題は、資本の肥大化により、実体経済と架空経済が生じ、余剰資本が行き場を探して、投機利益を求めてあらゆる市場へ流れ込み、大きな影響を与えていることです。架空経済には、倫理・道徳といった人間的なものは無く、損か益かだけの世界で人類を脅かしています。自由を掲げていますアメリカ合衆国は、ありとあらゆる物を投機対象にする投機集団に対して規制を行わず、投機が経済をひっぱって株価が上がり活性化すると、基本的に考えている様です。

実体経済の産業は、賃金が安くて質の高い、多くの労働者の居る、政治が安定した後進国を目指し、先進国には、成長分野が少なく、経済成長の鈍化と失業者の増大問題を起こしています。

とりわけ、ヨーロッパ諸国は資源・産業が少なく第3次産業(サービス・観光)に頼り、10~20%と失業率が高く、ユーロと謂った貿易・通貨・国境障壁を失くす事で人や通貨の流れを円滑にして、経済の活性化をはかり、何とか経済成長を図ろうとしていますが、足かせと為っていますのが、消費税である事は明白であります。

消費税の考え方は、公平平等に、広く・薄くの理念から始まったものと考えられます。そして、その大義は福祉であったようです。国民は、その言葉を信じて賛成をして、失業者は増え、気が付いたら20%近い税率になっていた。そして、亦近いうちに税を上げないといけない。と謂った、如何にもならない状況に来ています。

 

何処が間違っていたのでしょうか?経済対策としてのユーロ圏の考え方は間違っているとは思えません。

 

根源的問題は消費税です。この消費税こそ、経済成長の最大の障害と認識し、反対出来なかった経済学者と政治家の責任は重大です。

 

経済は理屈・理念ではありません。消費者一人一人の心理です。

 

消費税は景気が過熱した時の一時的に用いる政策で、景気の悪い時期に行う政策ではありませんし、恒久的に用いると、この様な取り返し様の無い結果を生む事に為ります。

 

ヨーロッパの諸国は早く此の事に気付いて消費税を撤廃し消費拡大を図り、公共行政サービスの縮小をして、小さな政府を目指すべきでした。

 

わたくしは、ヨーロッパを十数回程訪問しましたが、振り返って、日本国のあるべき方向を考えた時、その誤ったヨーロッパ諸国の政策を目指そうと謂う考え方に、異議を申し上げます。

 

日本とヨーロッパは文化が違います。ヨーロッパは石の文化で地震がありません。

12世紀から20世紀に建築された石造建物に棲む人々にとっては、当然物事の捉え方(尺度)に違いが生じます。車を購入する場合でも、最低20年~30年使用する事を前提に考えます。家具でも、数百年も使用しています。家の建て替えが基本的には必要在りません。モンスーンの無い気候に恵まれ、人々はテラスや木陰で食事や歓談に勤しみ、街に人が溢れます。稼いだお金は貯蓄には向かわず皆消費に向かいます。彼らの資本主義の捉え方は東洋の薄利多売ではありません。適正な料金・充分な利益で生活をエンジョイすることが主眼です。生活をする上で必要と求められますのは、衣・食と老後の福祉であります。この老後の事や失業に対する備えを、生活をエンジョイしながら積み立てようと考えたのが消費税のアイデアであったと考えられます。しかし、この消費税は行政サービスの拡大と伴に税率の拡大をもたらして現在の如何にも為らない状況を齎しています。

 

元々、日本は草木の文化で、モンスーン・地震多発国です。

日本家屋は基本的に木造で、精々100年で建て替えをしなければなりません。定期的に出費が嵩みます。人々の生活も質素を常とし、街に出て食事や歓談に耽ることは少なく、小規模店の経営を難しくしています。政府の政策を見限り、自分で将来の生活や病気に備えての蓄えを美徳とし、老後に備え、社会にお金を還元しません。

現在5%の消費税でありますが、これが10%に為ったら、の事を考えますと引き返す事の出来ない船出と感じられます。消費者そのものの購買意欲に水を注す事になり、中小企業の経営は困難を来たし、国の思惑とは逆に税収の低下を招き、直ぐに消費税率15%20%に為るのは時間の問題でしょう。それから先はどうなるのでしょうか?

此処は、しっかり専門家や政治家は思考を廻らすべきです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姓氏を推考するポイント。

2012-05-12 | 古代史

須佐之男命は、正式には建速須佐之男(たけはやすさのおのみこと)と謂います。このお方は、天の八十川{天(海部)の八坂川}で天照大神と誓約(うけい)をして大分県杵築市から島根県出雲市に追放され、出雲で生涯を終えたと思われます。この時、大分の事を懐かしみ名付けたものと考えられる、出雲の地に「杵築」の地名が現在も残っています。

この大分の杵築からは、崇神天皇の妃として意富阿麻比賣命(おほあまひめ)が出ていると想われ、全国の「八坂」「祇園」の元祖と考えられます。また、以前にも出てきました京都府宮津市にある籠神社の始祖である建田背命も第6代孝安天皇の命にて大分県から渡って往って海部氏・尾張氏の拡大を行っています。また、須佐之男命を祖とする三輪氏・賀茂氏、そして藤原氏・葛城氏・大伴氏も九州から近畿へ渡ったと考えられます。

三輪氏・賀茂氏に関係する大田田根子は福岡県久留米市の耳納山・甘木市の三輪山に関係していると想われ、出身は大分である事は明らかであります。大田田根子の父は健飯賀田須・建甕槌、母は鴨部美良姫とされています。「健」「建」と同じで豊後をさします。母の「鴨」も杵築市には「鴨川」が流れており、鴨(賀茂)氏が此処に居たと思われ、杵築出身と考えられ、どちらも大分県が出身であると考えられます。建角身命は「建」が付いていますので、間違いなく大分県にルーツがあると考えられ、賀茂氏も此処から近畿に移動したものと考えるべきです。葛城(葛木)の本拠地は紀元4~5世紀頃までは大分市高尾・明野地区にあったと考えられ、近畿大和にある葛城は大分から移住後に命名されたものと考えられます。

姓氏の研究をされる場合は、此処、大分(豊後)は尾張氏・海部氏・紀氏の本貫地と謂う事を頭に置いて推考しなければなりません。

大神(おおみわ)・熊野(くまの)・藤原(ふじわら)大内(おおうち)も大分県日出町~杵築市にあり、これも4~5世紀頃までの出来事は九州であります。その後、奈良の三輪や和歌山の熊野に移動したと考えられます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇佐公康氏の伝承は正しかった。神武天皇は若木入日子であると考えられる。

2012-05-07 | 古代史

ゴールデンウィークの間、神武天皇について、真実の歴史を目指してあれこれ考えが湧き、頭の中が混乱してしまいました。

 

大体、記紀の謂う「五瀬命」「神武天皇」とは一体誰の事でしょうか?

わたくしには、この二人は記紀に必ず出て来ている人物と考えられ、特定が出来るのでは?と考え、大分の亀塚古墳に埋葬されている。と考えられる「五瀬命」を、現地に行って考えてみる事にしました。

5月6日晴天の下、妻とその姉を連れ、由布院から別府を経て大分市へ、現地は、大分市から国道197号を佐賀関方向(東)に20分程の「坂ノ市」の丘の上の見晴らしの好い高台にあり、眼下に別府湾の海を観ることが出来ます。廻りには木々の緑も多く、傍には「海部古墳資料館」があり、無料にて、気持ち好く観覧出来るように整備されていました。

古墳は、平成になって調査後、整備されており、円墳の頂上にある石棺の堂々たる大きさ(3.2m×1m深さ0.9m)からも、大王クラスの人物と謂うのが伝わってきました。

墳墓建設当時に思いを籠めて「あなたは、何方ですか?」と心の中で呟きました。

 

 

自宅にかえり、もう一度初めから考えて見る事にしました。

宇佐公康氏の伝承を信じて、「神武天皇は、景行天皇の弟である。」と仮定します。

ならば、神武は垂仁天皇の子であらねばなりません。垂仁天皇は7人の妃を娶っています。その子は全部で16柱。内、男子は13柱です。

神武天皇は4人兄弟(五瀬命・稲飯命・三毛入野命・磐余彦)の末子と謂われています。

垂仁の7人の妃のうち、4人以上の子を儲けていますのは、日葉酢媛命皇后のみで、この日葉酢媛命との間に5人を儲けている事になっています。(この日葉酢媛命は丹波道主王の子で、祖父が日子座王になっており、開花天皇以来九州とは縁の深い方です。)

この5人の御子の名前は、印色之入日子命(五十瓊敷入彦命)大帯日子淤斯呂和気命(大足彦忍代別尊)=景行天皇大中津日子命(大中姫命=女性になっています。)・倭比賣命(倭姫命)・若木入日子命(稚城瓊入彦命)となっております。{( )は日本書紀での名前。}古事記では4柱が男で倭比賣命のみが女性とされ、日本書紀では2柱が男姓で2柱が女姓にされており、混乱を生じています。

この問題に関しては、一般に日本書紀の捏造が数多く認められ、(此処でも本当の事を知られたくない為の)大中姫命は捏造と疑われます。

もし仮に、古事記による、この4人の男子が東征をしたとすれば、印色之入日子命(五十瓊敷入彦命)が五瀬命になり、若木入日子命(稚城瓊入彦命)が神倭伊波礼琵古命(神日本磐余彦尊)と謂う事になります。

五十瓊敷と五瀬は捏造とも考えられますので、可能性があります。若木入日子(稚城瓊入彦)と伊波礼琵古(磐余彦)は全く関係を感じさせません。が、しかし、神武天皇は若御毛沼命(わけみけぬのみこと)とも呼ばれていました。

どうも、若木入日子命(わかきいりひこみこと)と若御毛沼命(わけみけぬのみこと)は同一人物とも感じとれます。これも捏造の感があります。大帯日子淤斯呂和気命(大足彦忍代別尊)が稲飯命であると考えられ、大中津日子命が三毛入野命と同一と解釈されます。そして、是は間違いの無い考察と考えられます。

裏付けの根拠は、中津市を流れる山国川の向こう北側に三毛門(みけかど)と謂う地名があり、大中津日子命と三毛入野命(みけいりのみこと)は同一地点の関係を認める事ができる。と考えられます。

そうであれば、やはり、五十瓊敷入彦命と五瀬命は同一と考えられます。そして、若木入日子命と若御毛沼命も同一人物です。

と、謂うことで、神武天皇東征の実態は、垂仁天皇と日葉酢媛命の子である4人の兄弟が力を合わせて勝山町黒田(大和)周辺を奪還する戦であったと考えられます。

 

そして、宇佐公康氏の述べた伝承は正しかった事を意味し、記紀の捏造が明らかになり、日本の古代史が覆りました。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする