「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

秋永氏探求から紐解く日本古代史

少子化を適正化する。抜本的な方法。

2023-01-06 | 日記

昨今の日本の情勢を観ていますと、政治・経済とも右肩下がりの不安が過ります。これからの日本の進むべき國の形容を、わたくしなりの提言を申し述べたいと思います。

 

今日の資本主義は終焉(資本が増えすぎて投資のマネーゲームに陥っていて、実体経済が従に為っている。)を迎えて、民主主義の在り方が問われています。(アメリカの自己愛トランプ支持者の多さ・ロシアの独裁政権 プーチン大統領の他国領土奪取計画・中国の集団官僚独裁国家覇権主義の、経済・軍事両面に依る領土拡大問題 )

国連の機能不全。

 

わたくしは、(民主主義を考えますと、)

主権在民(個人を尊重して)で、話し合い。意見の違いを多数決に依り國を運営する。在り方はとても良い仕組みである。と考えています。

 

しかし、数の論理は、レベルが下へ下へと向かい、質の向上は望めませんし、結論を出すには手続きが必要で時間がかかります。

社会が底辺へ向かい弱者に優しい社会になりますが、財源確保が困難な状況に陥ります。

つまり、国民は税金の高い国家運営が強いられる事を覚悟する必要があります。

 

中国共産党は、民間企業の党員採用に当たっては人格・頭脳・見識・評判を過去に遡って徹底的に調べて、幾度の面接を経て採用されます。質の高い人達が國を動かしています。将来的には、『世界経済を制覇する。』と、想われます。

 

翻って我が國では、大学を出て社会を経験せずに国家公務員上級職試験に合格して高級官僚になるレールで事務次官迄たどり着くシステムが、明治~大正~昭和~平成~令和迄続いています。

 

日本でも早く大学→社会人経験→高級官僚のシステムが、必要と考えています。

 

次に、岸田首相が、新しい資本主義とか、異次元の少子化対策を、発表されていますが、

 

わたくしの考える新しい資本主義・異次元の少子化対策を、申し述べます。

 

現在社会は、普通の人が結婚相手を見つけて家庭を築いて、文化的な環境を得るには、『二人力』で働き(核家族)双方の稼ぎで『やっとこさ』生計を維持している方が一般的でしょう。→『子宝は諦めます。』

 

自分の将来の事を考えて、結婚をためらい独身で過ごす決断をした方も多いのではないでしょうか。

 

わたくしの考える新しい資本主義とは、『一人力』で、文化的な生活が暮らせる『税制改正及び憲法改正』を行う事であります。

 

夫婦どちらかが働き、充分な給与を国家が補助して、『二人力』を減らす税制を考えるべきです。

 

我が子は、小学校迄は、親が就いて育てるのが、教育上一番良い方法と思います。

 

日本の将来を担う人材が数多く輩出できると思います。

 

少子化は、自然に増加に転じます。

 

官僚と学者・政治家はわたくしの提言が可能なのか、官僚機構の再構築を含めて財政シミュレーションをしてもらいたいと思っています。

 

 

 

 

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北朝鮮の真の狙い。

2017-09-15 | 日記

 昨今の世界情勢は、北朝鮮の核開発実験・ミサイル開発に依る、東アジア地域の不安定化を恐れる米国トランプ政権と金正恩労働党委員長の確執が、北朝鮮・韓国・日本・米国を巻き込む核戦争を齎しかねない、と謂う理由で国連を含む国際社会が翻弄されています。

 

米国トランプ政権と日本の安部首相は、北朝鮮との国境を接する中国の習近平やロシアのプーチンに、北朝鮮に対する経済制裁強化を求めて国連安全保障常任理事会決議を求めましたが、北朝鮮への原油輸出は、北朝鮮の人民生活者への影響が大きく、中国・ロシアの賛同が得られず、「200万バレル迄の輸出を認める。」といった、全面禁輸出という究極の制裁とは為らず、今後も北朝鮮の核・ミサイル開発は一段と進展するものと考えられます。

 

わたくしは、何故北朝鮮が世界の国々の意見を聞こうとせず、軍事拡大に邁進するのか考えてみる事にしました。

 

現在の韓半島の北朝鮮は、満州族(女真族)であります。歴史は扶余~高句麗(BC37~668年)に遡り、当時の高句麗の領土は中国の東北部(遼寧省・吉林省・黒竜江省)俗に謂う満州~朝鮮半島北部に至る現在の数倍もの領土を有していました。その後、高句麗~渤海国~金国~後金国~清国となり、中国の歴史では、満州国が『清王朝』(1644年~1912年)を打ちたてて強大な中華国家を築いています。

民族は、ツングース系で、韓半島南部の秦韓(辰韓)=秦・燕から逃げてきた人々と倭人(南方系白族)が混血した国家。 とは全く系統が違います。

 

つまり、金正恩の役割は、誇り高い満州人の国家『清国』再興への野望です。

 

先ず、強大な軍事力で、アメリカ合衆国や各国に、北朝鮮が核・ミサイル大国である事を認めさせ、次に、中国の習近平と、中国の東北部(遼寧省・吉林省・黒竜江省)の北朝鮮への割譲を迫る交渉の狙い。が読み取れます。

北朝鮮にとって韓国は小眼中にしかありません。満州族人の統一国家が、民族統一の最終目標でありましょう。

トランプや安部さんが、北朝鮮(扶余・高句麗)の歴史を勉強して、対処される事を祈ります。

 

 

 

 

 

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NHKのテレビ番組を見て感じた事。

2014-04-13 | 日記

 

先日の夜(平成26年4月10日)NHKにて、『卑弥呼』の1時間番組があったので、見る事にしました。

NHKは中立を守る英国のBBCを手本にしている。と伺っていますが、

こと、古代史の編纂・監修に関しては中立ではなく、恣意的とも感じられます近畿説の論者を起用されている様で、恰も当時(西暦230~240年代)の話は近畿纏向遺跡に求められる様に映像を出されておられました。一般の視聴者には無意識に邪馬台国は近畿大和で在ったかのように印象つけられます。この様な映像は流さないようにお願いを申し上げます。

わたくしの研究では、近畿纏向は、九州福岡県田主丸出身の『彦坐王』が孝霊天皇として居を構えたのが最初で、其の後、第11代垂仁天皇を九州福岡県久留米市城島(しき)の瑞垣宮から養子として迎え容れたもの。との考えを示しています。

ですから、纏向遺跡の箸墓古墳はこの『彦坐王』・『垂仁天皇』の両人のどちらかであろうと考えていますが、『垂仁天皇陵』は奈良市尼辻に在る『宝来山古墳』とされています。一方の『彦坐王陵』は岐阜市岩田西に在ります清水山山麓とされ、『伊波乃西神社』に息子の八瓜入日子命と伴に祀られています。

『彦坐王』は孝霊天皇として纏向で『垂仁天皇』を迎え容れたと考えられますので『彦坐王』は岐阜県へは往ってはおらず、纏向で亡くなったと考える事ができ、『箸墓古墳』は『彦坐王陵』と想われます。

そもそも孝霊天皇は記紀の捏造で、存在しておらず、倭迹迹日百襲媛(やまとととびももそひめ)は古事記では一節も述べられて無く、その存在すら疑念が生じています。、卑弥呼とは全く関係がありません。

卑弥呼は由布院に居た天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひと)(和邇氏元祖と謂われます)の嫁である『宇奈岐日女命』(宇那比媛命)で間違い有りません。

 

番組の内容は、当時の国際情勢から卑弥呼の置かれた立場を通して、政治決断を読み解こう。とする要旨で、『倭の大乱』を当時の『気候変動』と『鉄の輸入』に求めており、後漢から三国(魏・呉・蜀)に分かれた当時の中国の状態を示して、卑弥呼が『魏』と『呉』を天秤にかけて、何故『魏』を選んだのかを議論する内容でした。

わたくしの頭では、幾つかの考察の不足が気になりました。

一つには、『魏』と『呉』と『倭』の関係を、遼東半島を支配していた『公孫淵氏』を介して解釈されていますが、難升米一行の『倭』の使節団は『公孫淵氏』との戦いの最中の238年に行っており、この事をどの様に解釈するかであります。

 

卑弥呼は、狗奴国との対立の関係で(例えば、狗奴国と呉が手を結んだ事による危機感で)『魏』の協力を求めたものとも考えられ、『魏』はその要請を受けて使節団を、『倭』に正始元年(西暦240年)には帯方郡(たいほうぐん)から建中校尉梯儁(ていしゅん)と謂う使者が派遣されて来て、卑弥呼と会い、魏の帝の詔勅・金印・財宝を授けています。さらに、正始4年(244年)にも卑弥呼は狗邪国との不和の問題で使者を魏に送っており、そして、西暦247年魏の張政一行の使節団が調整の為遣って来ます。

この様に2回も使節団を遣わしており『魏』の『倭』に対する並々ならぬ想いを感じざるを得ません。此れは『魏』と対立する『呉』を意識しているものと考えられ、番組の考えと同意です。

考察不足と思われますのは、西暦107年帥升王が後漢に献上した『生口(しょうくち)』106人の其の後の考察が論じられなかった事であります。

わたくしの『生口』の解釈は『役に立つ人間』を意味するので、奴隷とは違います。

『後漢』から『魏』へは禅譲され、国土は『魏』『呉』『蜀』に別れ、『後漢』の首都である『洛陽』も其の侭『魏』に受け継がれています。

帥升王からの106人は『洛陽』に『倭人町』を形成して居たと考えられ、末裔は『魏』の高官になった。とも考える必要があります。そして、その通訳を兼ねた高官は『倭』への使者として遣って来ている。とも考えられます。

わたくしの考えでは、天之御影神が『魏』の『倭』に対する大目として来たものと解釈しています。その娘が辛國息長大姫大目命であり、息長水依比賣命の事であり、田主丸で生れた『彦坐王』が田川の『息長水依比賣命』を娶り、勝山黒田より近畿滋賀県へ『孝霊天皇』として移動して中国(吉備~出雲~兵庫)地方や越前に痕跡を残し、其の後『纏向』に棲んだものと捉えております。

此処勝山黒田は、後の第12代景行天皇が7年間行宮を置いた地でもあります。

わたくしの考察では登美(北九州)の長髄彦が占拠した『大和』は『勝山黒田』の事であり、其れを奪還したのが景行天皇の弟である若木入日子命であります。その若木入日子命の業績が神武天皇の東征の業績の事に置き換えられており、若木入日子命(神武天皇)は功労で由布院盆地(室の秋津嶋宮=第6代孝安天皇と宇奈岐日女命=卑弥呼が居られた場所)を頂いた事に為っています。

若木入日子命(神武天皇)の其の後は、『媛踏鞴五十鈴媛命』と由布院にて結婚、『神渟名川耳命』(宇佐稚屋命)と『神八井耳命』(御諸別命)を儲けているものと考えられます。そして、記紀は若木入日子命→神武天皇→彦狭嶋命に捏造していると考えられます。

『彦狭嶋命』の子である『宇佐稚屋命』(神渟名川耳命)が愛媛県の越智氏の娘との間に儲けた子が本当の第15代応神天皇(宇佐押人)で、神功皇后(息長帯比売命)の生んだ子では無かったと考えられ、応神天皇(宇佐押人)は直ぐに息長氏(秋永氏)から妻を娶り、身の安泰を図っています。

 

余談でありますが、『黒田官兵衛』の本貫地は兵庫県では無く、福岡県勝山黒田で在ったろう。と考えております。

秀吉から授領した豊前12万石は大名の間では余りにも冷遇であるのが指摘され、後に、筑前52万石を拝領しますが、これは、『官兵衛』は『黒田氏』の本貫地は勝山黒田である事を知っており、当時『宇都宮氏』が権勢を持って居た豊前の地を敢て望み、拝領したものと考えられます。

その根拠には、何故か『官兵衛』は、勝山黒田の『馬ヶ岳』216mに20万人の豊臣軍を配置し、九州の豪族大名に圧力をかけて、島津氏を追い詰めています。

 

話を戻して、番組での、卑弥呼が『魏』と『呉』を天秤に掛ける考え方の論は、『呉』と『狗奴国』の間には友好関係が既にあった。との推論が為されておらず、洞察に欠けており、もし、それが本当であれば卑弥呼の選択は『魏』のみであり、必然であった事になります。

 

日本人の祖は『三苗(さんみょう)の民』の末裔とも謂われ、『三苗』とは揚子江中流域に棲んで居た『苗族(ミャオ族)』が『呉』・『越』・『楚』の3つに分かれて『三苗』と呼ばれるようになり、現在の上海近くの地から紀元前473年以後『呉人』が稲作と伴に多く這入って来ているとされ、『呉』を創った『太伯』の号が『狗呉』『句呉』(くご・こうご)で有った為、『呉人』は『狗呉』『句呉』(くご・こうご)と呼ばれていました。その経路は沖縄~奄美~南九州鹿児島(熊曾)・熊本(狗奴国)で有ったろうと想像されています。その後、『越』『楚』『秦』も遣って来たと考えられております。

魏史の東夷伝にも、『倭』の王が「自分は太伯の末裔である」と述べた。と記されており、『倭』と『呉』は天孫族以前から深い関係があった。と思われます。

熊本県に在ったと考えられます狗奴国の『狗古智卑狗』は『狗呉』の末裔の『王』とも考えられ、熊本県山鹿市出身の現在政治家として活躍されておられます松野頼久(まつのよりひさ)さまの先祖は『呉』の王の末裔である。とも謂われており、『狗奴国』は三国志時代の『呉』とも友好関係を結んでいた。との推察は番組で論じられるべきであった。と感じました。

 

 

 

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朝倉はやはり天孫族の本貫地。

2013-05-10 | 日記

わたくしのオーディオアンプは大宰府の町田和明氏から作って頂いております。

音を研究しますと、電気にてアンプ増幅してスピーカを鳴らす音と、針の振動からカンチレバーを介し直接振動盤を震わし、ホーンロードを架けて音を増幅する蓄音機の音は、明らかに違います。実体感は蓄音機に軍配が揚がります。しかし、周波数帯域が狭いのと大音量がでないのが欠点であります。電気増幅の方は、周波数帯域は広いのですが、いかにもステレオ装置のスピーカから聴こえる音と誰にでも判ります。此の電気臭さを失くすのが今までは出来ませんでしたが、夢を叶えられたのが町田和明氏であります。

 

創世期の日本のオーディオ界を牽引された日系フランス人で、現在パリ在住のジャン平賀氏も絶賛し、東のK氏、と西の町田和明氏を挙げられ、パリでのオーディオショーへの参加を依頼されているようです。

この町田和明氏は北九州小倉にある菅野製作所の創業者でカンノアンプを生み出した菅野省三氏の流れを受け継ぐ方で、工業高校出身ながら天才的な頭脳をもっておられ、渦電流での特許も取っておられ、世界中誰も成し得なかった偉業を果たされています。

出てくる音を聴けば判ります。電気臭さが無く蓄音機の音の延長で、一つ一つの楽器とパートが明瞭に聞き分けられ、余分な音が無く、演奏者の表現の幅が広く、諧調のニュアンスが多く、深く聞こえ音楽に浸れます。人類が成し得た最高の技術的成果と感心します。

町田氏のアンプは、音楽の友社『STEREO』誌、平成25年5月号(今月号)の中で青森県のクリーニング店を経営されて居られる方(松浦洋三さま)が紹介されていまして、カンノアンプと紹介されていますが、此れは、町田和明氏が作られたアンプです。全国では、ほんの少しの方しかその音を知って居られません

 

実は、この町田氏の出身は朝倉高木邑であります。町田氏によりますと、氏は子供の頃黒川小学校に通っておられ、近年の同窓会にて、招待した担任の先生が、在任期間の卒業児童の最終学歴追跡調査をした所、旧帝大(九州大・京大・東大等)に進んだ児童の比率が異常に高く他の学校の二倍以上であった由。不思議がっておられたとの事。

また、高木邑に在ります高木神社の祀り(宮座)『黒川くんち』は日本でも最も古い形式で執り行われていると謂われていて、神主の周りに地区代表の長が8人集り、榊の葉を口に含み黙して行うと謂う、現在では宮中でしか行っていない祭祀の方法(毎年10月29日に行われる)で、春分の日と秋分の日には高御産巣日神の娘婿、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る彦山神社から毎回使者が来られるそうであります。

また、朝倉は、以前は、上座郡・下座郡・夜須郡の三つに分かれて居たそうで、高木邑は上座郡(じょうざぐん)であった由。

 

高木邑は町田氏・薙野氏(なぎの)・杷野氏(はの)の三氏が昔からの名士だそうで、町田氏は、以前は藤原を名乗っていたそうで、京都から来たとの事。前回のブログにて出た、『西家』は入地地区に多くあり、其処には、烏集院(うすのいん)『院』名の付いた地名や近くには久喜宮(くぐみや)の地名もあり、また、猿田比古神・大己貴命を表す佐田の地もあり、此処高木邑一帯は、『倭の大乱』前後の天孫族の本貫地であったと考えるべきでしょう。

 

 

 

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小松清次画伯の思い出。

2013-04-30 | 日記

わたくしの趣味は音楽とオーディオです。学生時代は東京赤坂に在った神原音楽事務所のビラ配りを東京文化会館やイイノホールにてよく遣った事を懐かしく思い出します。おかげで、リヒテル・アンドレワッツ・イムジチ合奏団等多くの演奏を無料で聴かせて戴き感謝しています。

下宿で聴く音楽再生プレーヤーの余りの音の貧弱さにオーディオ装置の大切さを痛感し、以来オーディオにも開眼し、今日までいい音を目指して努力して参っております。わたくしは、学校を出ると関西で5年程建築建材関係の会社に就職し営業として奈良・和歌山・兵庫・京都・滋賀を動き回りましたが、此の頃は歴史には興味が無く、多くの史跡を眺めながら仕事をしていましたが、今から考えると勿体無い思いです。

空気・水・音楽を含めた文化的住環境を求めて、昭和51年から此の由布院に移り住んでいます。

由布院は昔から文人墨客が多く棲みつく場所でもあります。

川上津江の金鱗湖近くに棲んで居られた明治25年生まれの小松清次画伯もその一人でした。

昭和56年当時わたくしは33歳で、音楽再生装置は、弦楽器が好く鳴るとの評判であった英国タンノイ社製ⅢLZと謂うスピーカを鳴らしていました。九州電力の検針係りの方から、竹針の蓄音機や素晴らしく音の好く鳴っているステレオ装置を持っておられて、印象派のゴッホ、セザンヌに傾倒された満89歳になる矍鑠(カクシャク)とした油絵描きさんが居られる情報を聞き、お宅を訪ねました。

千坪近くもあろうかと想われる雑木林の中に古い木造の平屋とアトリエが繋がっていました。

静かな佇まいに鳥の声が啼きわたる中、たったお一人で暮らされており、玄関に現れて、「どちら様かな」との言葉の『間』と『丁重さ』に明治人の教養と風格を感じ、一言にて人格の優劣が決まった思いを致しました。

アトリエに案内され、壁にはゴッホ・セザンヌ風の「」と「空気感」の漂う「澄んだ明るい色彩」の絵画が何枚も掛けられ、北面だけは採光の為に木製の窓枠が高く広く採られており、外の木々の緑の照りと小鳥のさえずりが印象に残っています。

アトリエの広さは2間半×3間半で、天井高は3、2m。アトリエへの入り口の右横にステレオの装置があり、左右の英国グッドマン社製、アキシオム80・オーディアム81スピーカの間に『クレデンザ』と呼ばれています、千円で家が建つと謂われた昭和の初め頃の値段で950円位もしたと謂われる米国製の大型蓄音機が鎮座しており、体験した事のない別世界へ来た想いがしました

音楽の方も、イツアーク・パールマンのバイオリンが素晴らしく善く聴こえ、わたくし宅のタンノイが聴けなくなり、小松宅と同じアキシオム80のスピーカに変更しました思い出があります。

 

この小松清次画伯はわたくしと同郷の久留米市荘島出身で、画伯のお隣がブリジストンを創立された石橋正二郎氏宅で、画伯幼少の頃、垣根越しにおばあちゃんから飴玉を貰った事があるとの言。

わたくしの生まれた昭和23年の久留米市篠山には、隣の屋敷にブリジストンの久留米工場長であった『龍頭』さまが住んでおられ、わたくしが産まれる時、産婆さんが間に合わず、龍頭さまのおばあさまが産湯をとって下さった由。何かの縁を感じます。(この石橋家に繋がる『龍頭』さまは、阿蘇神社に祀られます神八井耳命系の健磐龍命と関係を想像されます。)

小松画伯の父は明治~大正~昭和に掛けて鹿児島本線や久大線(筑後軌道鉄道)の工事を請け負って財をなされた小松組を創設されておられ、画伯の奥様は朝倉の西家の出身で、本来は、後に最高裁長官や国際司法裁判所判事になる田中耕太郎氏の許嫁(いいなずけ)の方であったのが、破談になり小松清次画伯の元に来ておられ、二男二女を儲けられたそうです。

長男が、東大を金(銀?)時計をもらって卒業する時、チフスに罹り亡くなり、一週間後に長女も失われています。

この朝倉の西家は島根津和野の啓蒙思想家である西周(にしあまね)家と関係があると想われ、大正の4~5年頃東京青山に居った『おじ』から直接聞いた話として、森鴎外の『鴎外』の号は『おじ』が持っていたが、森林太郎(森鴎外)が気に入り「俺にくれ」と謂って鴎外と名乗るようになった由。

此処でも甘木朝倉が登場し、西氏の古代朝倉との関係が偲ばれます。また、朝倉市入地に有る西家と津和野の西家の関係も調査の必要がありそうです。)

小松清次画伯は生涯1枚の絵も売らず、唯、自分が納得できる絵を描き切る事を目指し105歳まで生きられ天寿を全うされました。(但し、唯一ブリジストン美術館に一枚だけ寄贈したそうです。)

小松清次画伯の事をもっと知りたければ、1981年(昭和56年)版 ステレオサウンド社より発行のSTEREO SOUNDO誌 NO,59 のスーパーマニアの項に数ページに亘り写真入りで特集されています。

 

 

 

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消費税増率を考える。2

2012-05-31 | 日記

日本では、鎌倉時代(1192年)から江戸時代(1868年)まで700年弱続いて来た武士の世は、明治(1868年)になり天皇に奉還され、軍部の台頭を招き第2次大戦へ進みます。敗戦後(1945年)は、民主化の元に主権在民が掲げられました。個人の自由と平等を大切にして、少数の意見に耳を傾ける民主主義の理念が最も理想の社会機構であるとして、総べての価値が大衆の合意の下に晒される事になりました。

 

しかし、本質的に『民意』と謂う『大衆』は、個々が自由気儘に勝手な意見を主張する性格のものです。→少数の意見(弱者)に耳を傾ける。→意見が纏まらない。→問題の先送り。と謂った事が生じやすく、問題解決に時間が掛かる事になります。

亦、『協調性』や、『公共の意識』や『志の高さ』・『向上心』・『我慢・辛抱』に欠けており、総べてが『責任を取らず』、次第に『質の低下』を齎しています。政治も『民意』には気を使い数々の修正を行い改善に奔走していますが、根源的な問題には手を染めようとしていない様です。

 

また、マスメディアも大衆に『質の向上の為の啓蒙』を行わず、迎合して無意識に自分たちのストレス解消の為、他人の不幸や批判対象を求めて世の中を闊歩しています。ある意味では『生贄』を求めている様にも見えます。そして、不幸な事に、すべての民意が『自分は正義である。』と認識しており、『反省』が見られない(気付かない)事であります。

通常の民意は保守的で、『修正』を希望する事が多く、大きな変革は望んでいませんが、偶に大変革を希望する事があります。

其れが、経済的にも政治的にも、内外に前途多難な閉塞感と危機感が覆い尽くす今日でありましょう。

 

今、思い切った改革をしなければ、日本の将来に明かりは見えません。

では、具体的にどの様な思考で、政策を用いて改革をすべきでしょうか。

 

 

《日本国統治機構の再構築。》

第1には、公務員の在り方を考え直します。現在、制度疲労しています明治以来の官僚統治機構の再構築です。私欲が無い、志が高く、公に徹しお金の掛からないシステムにしなければ為りません。学校を出て4~5年間は民間で勤め、一般社会経験者の中から採用を行い、終身雇用としないを原則とします。高級官吏職は人徳を持った年金生活者を採用し、給料の代りに年金受給額の増大で対応し、経費削減を致します。また、国会議員は、半分に減らします。直ぐには如何しても無理であれば、取り敢えず、参議院は、『廃法府』として、明治以来溜まった法律の検討をし、法律の単純化をめざします。法律が多い為、公務員が多く必要になっています。現状を見ていますと、社会問題化で騒がれます度に公務員の肥大化が生じています。

基本的には最初は公務員の数を大幅に減らして総人件費を大幅に減らさなければなりません。その後収支のバランスを診て調整をします。しかし、対策が遅れて余りに若年失業者が増えますと、逆に、(公務員と拘らず)国家が一時的にも雇用をしなければ為らなくなるでしょう。当然一時的には国債を発行し、借金の増大は致し方無いと考えます。しかし、その他の政策と総合的に実施して行けば必ず財政の健全化は図れるものと考えられます。

 

《技術立国と教育の問題》

第2には、空洞化の中、技術立国を維持する為、中小企業育成補助と教育に力を注ぎ競争力を高めます。特許の獲得が国際競争では大切です。其の為には如何しても中小企業を育てなければなりません。そして、特殊高等専門技術者を数多く育て、定年制度から技能者を守り、国家が生涯生活保障を行い、日本文化維持の視点で援助を行います。学校の先生の質の問題も含め、子供達にやる気を持たせる教育(社会適合性)が求められます。民間の塾の先生の質がとても高いのは何故でしょう。

大学を出た人には全て教員受験資格を与え、話術・精神力・人格・見識等を重視して採用します。高給を与え、授業はすべてビデオに撮り、1年更新の契約採用とします。採用継続判定は匿名の民間塾の先生にしてもらいます。現在の教育委員会は大幅に縮小し経費を詰めます。生活の安定化は公務員の質の低下を招き、今日の学校教育を生じています。教育者は労働者ではなく、選ばれた聖職者とすべきです。

 

《経済成長と少子化の克服》

第3には、消費税を撤廃し、消費を促す政策、例えば。セカンドハウス・サードハウスを持って豊かな人生を過ごす方に税制上の特典や建設補助金を出し、消費は美徳で、社会貢献であると謂う啓蒙を行います。預金は架空経済である投資ファンドに繋がり、実体経済に余り好い影響を与えません。

また、若い人の結婚を促進するためには、年金生活者の力を借り、『結婚させ隊NPO法人』を数多く作り、結婚させれば補助金を出すNPO育成機関を設けます。

物流と人的交流を活性化させるために、亦、受益者負担と謂うことで、結果、低所得者(年金生活者を含む)に執っては差別的負担になっています、有料道路を無くし、全ての道路を無料化すべきであります。

ルソーの『社会契約論』では、主権者である市民共同体(国家)と個人の関係でも、道路(公共施設)は市民共同体(国家)の最重点の仕事であり、遍く個人に、生命・健康・自由・平等・財産(人民主権)を保障せねばならない。と考えられています。

信号機の多い一般道は『年金生活者道路』と揶揄され、GO・STOPが多く、排気ガスが健康にも悪影響を及ぼしています。

 

現在は、人口の大都市集中が、地方の過疎化を呼び、地方経済を脅かし、国も対策に頭を抱えているようですが、政策を変える事で人口の地方への回帰が起こるかもしれません。

 

例えば、現在騒がれています再生回帰エネルギーの発電比率を高め、個々の家庭が発電して頂く様に法律を変えれば、人口の大都市マンション集中から田舎家屋回帰がブームに為る事も可能です。田舎でも発電が出来、売電気で生活ができる収入を得られる政策が求められます。

 

日中の発電は個々の家庭が『主』に行い、電力会社に強制的に買取りをさせ、将来は原子力・火力を『従』の関係に持っていく、発想の転換が社会を大きく変える事が出来ます。これは、法律を作り、援助をするだけで好いのでお金は原子力開発程掛からず、人口の分散化を含めた社会構造変革効果の大きな政策であると考える事が出来ます。

大衆は、儲かる事には借金をしても、投資を致します。

(注意をしなければいけないのは、企業の参入をさせないことです。あくまでも個人家庭に利益を齎すのが本意なのです。企業は其の為の器械の製作販売で利益を挙げて貰います。)

 

《老後の安心社会の形成》

第4には、年金制度を現在のねずみ講(後ろの人が前の人の面倒をみる。)方式から個人の積み立て方式に移行します。企業負担を個人負担と同額ではなくて、企業の負担を大幅に減らします。年金の資産運用は架空経済を推し進める為、亦リスクが生じる為、原則行わず、純粋に預かり金として、計上保管する事になります。

しかし、どの様な遣り方で移行するかが、問題で不利益者の救済を如何するかが議論になります。

 

《財源の奥の手》

第5には、高齢者が持って預金に廻っていますお金は莫大な額になっていると謂われ、此れが資産運用と謂う形で架空経済に向かい資本主義を揺るがしています。此れは、実体経済にとっては謂わば『死に金』で、世の中にあまり役に立っていません。このお金を若い世代に回し消費に向かわさせる事が肝要で、若しくは、国が取り上げる(銀行封鎖して国家の財務内容を正常化する。)荒治療が必要と想われます。そして、老後や病気の心配をしなくてもよい。と国民が想われる頼れる政府の構築が求められています。

 

《正直者が報われる社会へ》

第6には、根源的な問題である年金生活者の収入と生活保護者の収入の逆転現象の問題を是正しなければ、真面目な国民の理解は得られないでしょう。現金での供与を少なくし、生活保護者の事情によっては、生活援助者として振り分け、食券や米・パン・穀物と謂った現物供与とし、亦、生活保護者の収容施設を作りNPO法人に指導管理委託して早期社会復帰をめざす。とか国民負担を減らす工夫が必要と思われます。専門家のシュミレーションを急ぐ必要があります。

  

現在の国民の富は、戦後の荒廃の中から官民挙げての努力で築き上げたものです。昭和30年代末より、貿易収支の黒字が続き千数百兆円の蓄財となり、今日の繁栄をもたらしている事に自覚しなければなりません。しかし、昨今、貿易収支の赤字が現れ、国家の抱える借金は千兆円を越え、我々日本人の真価が先人達より問われています。

 

何としても、道を誤ってはいけません。

消費税増率は引き返せなくなる分岐嶺である事を指摘して皆様の再考を促し、健全な日本国を次世代に継承して往きたいと思われます。

 

 

 

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消費税増率を考える。

2012-05-25 | 日記

 

消費税増率を考える。

秋永祥治

昨今の日本の政治の話題は、消費税を将来10%以上にするか、と謂うことでマスコミを賑わしています。心情的には反対であるが、日本の現在の財務状況の下では致し方無いと専門家の方を含めて大方の人々が考えて居られる様です。

政府は、対外的に日本の国債を投資ファンドから守るために、財政健全化の為、消費税率を上げ、国際的な信用を得ようと(それが国民の生活を守る為の一番先に行う政策である。として、理解を得る為に社会保障と税の一対改革と称して成立を目指しています。)していますが、此処は、日本の将来を左右する重要な分岐嶺と考え、皆様にわたくしの考えを伝える事にします。

 

現在の資本主義の構造問題は、資本の肥大化により、実体経済と架空経済が生じ、余剰資本が行き場を探して、投機利益を求めてあらゆる市場へ流れ込み、大きな影響を与えていることです。架空経済には、倫理・道徳といった人間的なものは無く、損か益かだけの世界で人類を脅かしています。自由を掲げていますアメリカ合衆国は、ありとあらゆる物を投機対象にする投機集団に対して規制を行わず、投機が経済をひっぱって株価が上がり活性化すると、基本的に考えている様です。

実体経済の産業は、賃金が安くて質の高い、多くの労働者の居る、政治が安定した後進国を目指し、先進国には、成長分野が少なく、経済成長の鈍化と失業者の増大問題を起こしています。

とりわけ、ヨーロッパ諸国は資源・産業が少なく第3次産業(サービス・観光)に頼り、10~20%と失業率が高く、ユーロと謂った貿易・通貨・国境障壁を失くす事で人や通貨の流れを円滑にして、経済の活性化をはかり、何とか経済成長を図ろうとしていますが、足かせと為っていますのが、消費税である事は明白であります。

消費税の考え方は、公平平等に、広く・薄くの理念から始まったものと考えられます。そして、その大義は福祉であったようです。国民は、その言葉を信じて賛成をして、失業者は増え、気が付いたら20%近い税率になっていた。そして、亦近いうちに税を上げないといけない。と謂った、如何にもならない状況に来ています。

 

何処が間違っていたのでしょうか?経済対策としてのユーロ圏の考え方は間違っているとは思えません。

 

根源的問題は消費税です。この消費税こそ、経済成長の最大の障害と認識し、反対出来なかった経済学者と政治家の責任は重大です。

 

経済は理屈・理念ではありません。消費者一人一人の心理です。

 

消費税は景気が過熱した時の一時的に用いる政策で、景気の悪い時期に行う政策ではありませんし、恒久的に用いると、この様な取り返し様の無い結果を生む事に為ります。

 

ヨーロッパの諸国は早く此の事に気付いて消費税を撤廃し消費拡大を図り、公共行政サービスの縮小をして、小さな政府を目指すべきでした。

 

わたくしは、ヨーロッパを十数回程訪問しましたが、振り返って、日本国のあるべき方向を考えた時、その誤ったヨーロッパ諸国の政策を目指そうと謂う考え方に、異議を申し上げます。

 

日本とヨーロッパは文化が違います。ヨーロッパは石の文化で地震がありません。

12世紀から20世紀に建築された石造建物に棲む人々にとっては、当然物事の捉え方(尺度)に違いが生じます。車を購入する場合でも、最低20年~30年使用する事を前提に考えます。家具でも、数百年も使用しています。家の建て替えが基本的には必要在りません。モンスーンの無い気候に恵まれ、人々はテラスや木陰で食事や歓談に勤しみ、街に人が溢れます。稼いだお金は貯蓄には向かわず皆消費に向かいます。彼らの資本主義の捉え方は東洋の薄利多売ではありません。適正な料金・充分な利益で生活をエンジョイすることが主眼です。生活をする上で必要と求められますのは、衣・食と老後の福祉であります。この老後の事や失業に対する備えを、生活をエンジョイしながら積み立てようと考えたのが消費税のアイデアであったと考えられます。しかし、この消費税は行政サービスの拡大と伴に税率の拡大をもたらして現在の如何にも為らない状況を齎しています。

 

元々、日本は草木の文化で、モンスーン・地震多発国です。

日本家屋は基本的に木造で、精々100年で建て替えをしなければなりません。定期的に出費が嵩みます。人々の生活も質素を常とし、街に出て食事や歓談に耽ることは少なく、小規模店の経営を難しくしています。政府の政策を見限り、自分で将来の生活や病気に備えての蓄えを美徳とし、老後に備え、社会にお金を還元しません。

現在5%の消費税でありますが、これが10%に為ったら、の事を考えますと引き返す事の出来ない船出と感じられます。消費者そのものの購買意欲に水を注す事になり、中小企業の経営は困難を来たし、国の思惑とは逆に税収の低下を招き、直ぐに消費税率15%20%に為るのは時間の問題でしょう。それから先はどうなるのでしょうか?

此処は、しっかり専門家や政治家は思考を廻らすべきです。

 

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