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当座の道徳 (方法序説(デカルト))

2006-07-16 13:21:56 | 本と雑誌

  さて、デカルトが一から思想の再構築に取り掛かっている最中、そうはいっても、世の中は動いています。その中で暮らしている以上、世の中の様々な事柄との何らかの関わりは避けられません。

 そういう時、実生活の中では、「『真』であるか否かが明晰に判明していない以上は何も決定しない(動かない)」とばかり言っても始まりません。

 デカルトは、そういう場合を想定して、基本的行動メルクマールを規定していました。

(p34より引用) 理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為においては非決定のままでとどまることのないよう、そしてその時からもやはりできるかぎり幸福に生きられるように、当座に備えて、一つの道徳を定めた。それは三つ四つの格率から成るだけだが、ぜひ伝えておきたい。

 このいくつかの「格率」は、現実的でオーソドックスなものです。

(p34より引用) 第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。・・・さらにわたしは、等しく受け入れられているいくつもの意見のうち、いちばん穏健なものだけを選んだ。・・・

 この基準は、「保守的」というよりも「中庸」という立場に近く、その点では、極端に振れないリスクヘッジの効いたメルクマールだと言えます。

(p36より引用) わたしの第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。

 この第二の格率も不透明な条件下での鉄則です。
 いったん「これで行く」という蓋然性の高い選択肢を選んだ以上は、徹底してその道を進むべしと言うのです。
 実行にあたって不安になり心が揺れるようであれば、そもそもその選択肢を選ぶべきではなかったのですから、当然といえば当然です。が、現実的には徹底は難しいものです。心しなくてはなりません。

(p37より引用) わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさい望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率だけで十分だと思えた。

 こういった自力で最善を尽くしたあとのある種「割り切り」の哲学は、マルクス・アウレリウスの「自省録」にも見られます。

(p39より引用) 最後にこの道徳の結論として、この世で人びとが携わっているさまざまな仕事をひととおり見直して、最善のものを選び出そう、と思い至った。他の人の仕事については何も言うつもりはないが、わたし自身はいまやっているこの仕事をつづけていくのがいちばん良いと考えた。すなわち、全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり真理の認識に前進していくことである。

 ここにおいてデカルトは、自分の人生の道を明晰に確信したのです。

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