釣り三昧

定年退職後の趣味としてほぼ毎日釣りをしています。

親鸞を読み終わって

2008-02-08 17:30:39 | Weblog
 私はいわゆる仏教徒ではありません。むしろ無神論者といって良いだろう。でも代々我が家に伝わる仏壇を守り続ける檀徒には違いない。ちなみに菩提寺は臨済宗妙心寺派です。わが国では仏教に対してこの私と同じようなスタンスの人が大部分ではないでしょうか。困ったときの神仏頼み、常日頃は葬式、お盆、法事のときぐらいしかお寺さんには関心が低い。
 「親鸞」を読んで仏教とは、もっと大きなカテゴリーとしての宗教、信仰とはなんぞやということを考えさせられました。考えても解りませんが・・・・。思うに現在日本の僧侶は親の後継ぎとして仏門に入る人がほとんどではないでしょうか。全然そういうしがらみがなくて仏門に入る人とはいかなる心境なのか聞いて見たい気がします。
 親鸞の出た時代は平家や源氏が相争い世の中が殺伐とした暗い世相であった。9歳で比叡山・天台宗に入門し艱難辛苦の修行、麒麟児と称えられたが、僧門内も貴族、武家社会と同じく位階や欲望の権化である事に変わりがないことに失望した。その頃、浄土宗を起こした法然上人に師事し、在家信仰ーどこでもいながら、その姿のままで“南無阿弥陀仏”の称名を唱えれば浄土に往けるという大衆のための仏教を打ち立てた。またそれまでの肉欲妻帯、肉食の禁を自ら破り妻を娶って6人の子をなした。仏教会の革命児といっていいのじゃないでしょうか。
 親鸞の頃の浄土宗も後に顕如や教如が出るに及んで大いに教勢は栄えたが叡山と同じく官僚化し、僧兵を擁するなど大名を凌ぐほどの力を持ち織田信長と何年も戦い在家信者を石山本願寺に入れ、念仏を唱えて戦死すれば極楽往生間違いなしなどと煽動するようになる。
 こうしてみると仏教(大きく宗教)の教義もその背景としての時代時代で変わるものなのかなと思います・・・。うーん、よーわからん。
 現在のような民主主義で飽食の時代では余程神仏にすがらなければならない状態に立ち至らなければ心底から宗教に没入することにはならないのではないでしょうか?