釣り三昧

定年退職後の趣味としてほぼ毎日釣りをしています。

「私は貝になりたい」について

2007-10-09 16:28:10 | Weblog
 戦争指導者など日本の重大戦争犯罪人ーいわゆるA級戦犯28人を裁いた裁判が「極東国際軍事裁判(通称東京裁判)。」
 特定の地域で「通例の戦争犯罪」を行なった者に対する裁判がBC級戦犯裁判と呼ばれている。
 「ポツダム宣言」の中で日本軍の数ある戦争犯罪のうちでも連合国が唯一特定していたのが俘虜虐待であった。
 連合国による日本の戦争犯罪人の処罰は降伏条件の一つであった。
 1948年11月加藤哲太郎は3年間の逃亡生活の後、逮捕され戦犯として巣鴨刑務所に拘禁される。同年12月絞首刑の判決が下される。判決理由ー俘虜殺害及び故意かつ不法にも虐待または暴行。
 終戦時彼は新潟俘虜収容所長であった。彼はここ新潟収容所は俘虜が肺炎と栄養失調で死亡率が高いため待遇改善に真剣に取り組む。俘虜たちの生命の最低条件を守ろうと陸軍刑法に触れるのを承知の上、命がけの努力をした。しかし俘虜達にはこれらの好意は当然のこととしか受け取られなかった。彼等は米軍におけると同様の待遇を受ける権利を主張した。日本という特殊な国家形態そして軍隊組織の中で精一杯の努力を傾けた彼の善意など、彼等には十分の一も通じなかったようだ。薬品が不足してからはお灸をすえさせたが、その半年後に他の原因でその俘虜が死んだため、火あぶりの刑で殺した、一度殴った事のある俘虜の病死についても殴り殺したと断定され絞首刑になった者など、彼等は一人でも多くの日本人を戦争犯罪人にする事を望んでいるようだった。文字どうり質より量だった。大物は悠々と自適し、雑魚ばかりが引っかかる、下に重く上に軽いのが戦犯裁判の実相だ。戦犯裁判は復讐(報復)裁判であった。
 1949年5月家族は勿論、あらゆる方面からの助命嘆願運動が功を奏し、多くの軍事裁判の中で後にも先にも加藤哲太郎ただ一人だけマッカーサー元帥によって裁判のやり直しが命じられた。即ち前の裁判は被告にとって一方的に不利な証拠のみで行なわれたという理由により、判決を却下し再審理を命ずるという趣旨である。再審判決で終身刑、即日禁固30年に減刑される。1958年4月残余の刑を免除されて巣鴨刑務所から釈放される。彼自身が語っているが、この最初で最後の裁判のやり直しについては、彼が恵まれた環境の下で成人したお陰で力強い有効な助命運動が行なわれたから、例外中の例外。ほとんど助命運動らしきものもなく、次々と首を吊られた犠牲者達が数多くいたことを肝に銘ずべきである。
 加藤哲太郎は「スガモプリズン」収監中に猛烈な勢いで勉学と思索に没頭したようです。獄中にて著作活動を始め、ペンネームで雑誌「世界」に投稿したり、光文社から出版されたりする。この頃には数十名のBC級戦犯たちが獄外に向かってペンネームを使い、筆者の誰であるか判らないよういろいろ創作し、脚色を加えてその手記を書いていました。
 BC級戦犯たちが匿名を使い、危険を冒してまでも訴えたかったのは何だったのだろうか。1戦犯裁判の不当性、2天皇や財閥なども含めて、戦争責任を取るべき多くのものたちが責任を逃れた事、3天皇の軍隊への批判、4軍隊の中で権限を持ち、戦争を指導してきた将校たちが戦後もそのまま温存されていること、5国民の手による戦争裁判が必要な事、6戦争に参加した者が一人一人自分の戦争犯罪を語ることによって、侵略戦争の犯罪性が明らかになり、平和運動への力になること、7講和条約発効の少し前からの戦犯釈放運動について、再軍備と引き換えであってはならないこと。          
最後に加藤哲太郎氏がこの著作の中で最も訴えたかったと思われる部分を原文のまま掲載します。
 「天皇陛下よ、何故私を助けてくれなかったのですか。きっとあなたは、私たちがどんなに苦しんでいるか、ご存じなかったのでしょう。そうだと信じたいのです。だが、私には何もかも信じられなくなりました。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べと言うことは、私に死ねという事なのですか?私は殺されます。その事は決まりました。私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。ですから、もう貸し借りはありません。だいたい、あなたからお借りした物は、支那の最前線でいただいた7,8本の煙草と、野戦病院でもらったお菓子だけでした。ずいぶん高価な煙草でした。私は私の命と、長い間の苦しみを払いました。ですから、どんなうまい言葉を使ったって、もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。けれど、こんど生まれかわるならば、私は日本人になりたくはありません。いや、私は人間になりたくありません。牛や馬にも生まれません、人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にへばりついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子供を心配する事もないし、どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです。」