日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー143  ( 土佐の南学ー16 ・ 梅田雲浜ー2  ・「 望楠軒 」 講主 )

2009-11-15 00:07:03 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-143   田中河内介・その142      ( 出島物語ー54 )                                                        修学時代を終えた雲浜は、翌年の天保十二年、再度 京に上り、近江の坂本で初めて 「 湖南塾 」 を開き、儒者としての第一歩を踏み出した。 その後 間もなくして、崎門学の本山 「 望楠軒 」 の講主に抜擢されて 居を京都に移した。  . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー142  ( 土佐の南学ー15 ・ 梅田雲浜 -1 ・小浜藩 )

2009-10-20 13:30:26 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-142   田中河内介・その141      ( 出島物語ー53 )                                                        浅見絅斎の著作 『 靖献遺言 』 に影響を受けた人物として、まず梅田雲浜を取り挙げます。 雲浜の生涯を考える時、小浜藩との関係を語らずして、梅田雲浜を語ることは出来ません。 そこでまず、「 小浜藩の成り立ち 」、「 藩校 」、「 小浜藩の幕末維新 」 についての概略を述べ、しかる後に、雲浜の おいたちの話に入ります。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー141 ( 土佐の南学ー14 ・『 和文天祥正気歌 』 『 初到建寧賦詩 』 )

2009-10-04 13:25:39 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-141   田中河内介・その140      ( 出島物語ー52 )                                                        藤田東湖の 『 文天祥の正気の歌に和す 』 ( 正気の歌 ) の全文と、謝枋得の 『 初めて建寧に到りて賦する詩 』 ( 雪中松柏・・・・ ) を紹介します。 この二つの詩は、幕末の志士の間で好んで吟じられました。  皆さん! 吟じるのも 楽しいかも! . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー140  ( 土佐の南学ー13 ・藤田東湖ー下 ・若き志士たちと )

2009-10-02 12:28:40 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-140   田中河内介・その139      ( 出島物語ー51 )                                                        藤田東湖は出府以来、多くの人々と会い、多忙を極めた。 この時から、安政の大地震で死亡するまでの二年あまりの間は、東湖は天下の東湖先生であった。 この間、若き志士達と積極的に交流し、彼らを鼓舞育成した。 その代表的な人物に、橋本景岳( 左内 )、有村俊斎( 海江田信義 )、西郷隆盛などがいる。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー139  ( 土佐の南学ー12 ・藤田東湖ー中 ・正気歌 )

2009-09-24 10:12:42 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-139   田中河内介・その138      ( 出島物語ー50 )                                                        東湖の幽囚中、もっとも力強い伴侶となったものは、宋の文天祥の 『 正気歌 』 であった。 この詩は、幼少の折、父幽谷に教えられ、ついに暗誦して、一字一句も忘れていないものであった。 そして東湖自身も、文天祥の 「 正気の歌 」 に和して、「 正気歌 」 を作った。 これも、『 回天詩史 』 同様、多くの人々に愛読・愛誦された。 とりわけ尊攘の志士たちに大きな感化を及ぼし、その好んで高吟するところとなった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー138  ( 土佐の南学ー11 ・文天祥 と 謝枋得  ・藤田東湖 -上)

2009-09-15 13:31:06 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-138   田中河内介・その137      ( 出島物語ー49 )                                                        南宋は、ついに元に滅ぼされるが、その滅亡に際して多くの烈士を輩出した。 その烈士の中で、学あり 節あり、後世より最も欽慕された人物は、文天祥 と 謝枋得の二人である。 殊に 文天祥の 『 正気歌 』 と、謝枋得の 『 雪中松柏・・・ 』 は、後に我国に於ても、青年達に大きな影響を与えた。 藤田東湖も その影響を受けた一人である。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー137  ( 土佐の南学ー10 ・山崎学の波紋- 宝暦・明和事件 )

2009-09-10 17:54:39 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-137   田中河内介・その136      ( 出島物語ー48 )                                                        時代が進み、やがて山崎学の波紋として、宝暦・明和事件が起ります。 これら二つは偶然の出来事で、謀反などではなかった。 幕府の全盛期に於ては、このような謀反などという風聞さえもなかった。 それが、たとえ風聞とはいえ、あたかも謀叛であるかのように伝播するに於ては、裏では知らず知らずの内に、幕末への暗流が動き出していた証拠でもありましょう。 時代はゆっくりと、また、次第にその速度を速めながら、確実に幕末へと動いていきます。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー136  ( 土佐の南学ー9 ・浅見絅斎と 『 靖献遺言 』 )

2009-09-03 11:24:43 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-136   田中河内介・その135      ( 出島物語ー47 )                                                        山崎闇斎の有力な門人、浅見絅斎の話です。その代表的な著作として 『 靖献遺言(せいけんいげん) 』 があります。 この書は、その眼目とするところの 「 正統 」 と 「 中国 」 の問題を明確に把握した上に立って、毎日の自己の精神を、古人義烈の足跡に照らして鍛錬するためのものであり、明治維新の達成に大きく貢献した書物です。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー135  ( 土佐の南学-8 ・明治維新の源流 )

2009-08-27 13:38:55 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-135   田中河内介・その134      ( 出島物語ー46 )                                                        山崎闇斎の門弟のうち、崎門の三傑と称せられたのは、浅見絅斎・佐藤剛斎・三宅尚斎で、中でも浅見絅斎が最も有力であった。 闇斎の門流は、その一部は水戸に仕えて大日本史の編修に協力し、またその主流は京都もしくは其の附近に在って、幕府に仕えず、諸侯に仕えず、困苦して学を講じ、以て王政復古の機会を待ちました。 闇斎の門人浅見絅斎、その門下若林強斎などです。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー134  ( 土佐の南学-7 ・山崎闇斎と 保科正之 )

2009-08-18 07:40:31 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-134   田中河内介・その133      ( 出島物語ー45 )                                                        会津の学風・士風の形成に大きな影響を与えた闇斎であったが、保科正之の死は人生の一つの転換点となった。 その後は、現実の政治的世界との関わりを断ち、京都に腰を据えて家で子弟に教授、学問・思索に専心、死までの九年間、ひたすら古典に沈潜して自らの思想を鍛え上げていった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー133   ( 土佐の南学-6  ・山崎闇斎と 会津藩家訓15ヶ条 )

2009-08-06 11:06:29 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-133   田中河内介・その132      ( 出島物語ー44 )                                                        会津藩 「 家訓 」十五ヶ条に関する話。  先ず山崎闇斎がその草案を作り、正之の意見によって修正を加え、更に又闇斎の意見を徴するなど、反覆論議を繰り返して出来上がった。  会津藩では家訓を金科玉条として、二百年来、上下共に之を常に心に留め、且つ之を丁重に取り扱ったので、家訓の藩士の精神上に及ぼした影響は計り知れない程大きかった。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー132   ( 土佐の南学-5 ・山崎闇斎と会津士魂 )

2009-08-01 01:09:42 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-132   田中河内介・その131      ( 出島物語ー43 )                                                        山崎闇斎は、土佐で野中兼山らと共に南学を研究、京都に帰り学塾を開き、その門弟は六千といわれます。 四十八歳の時には、会津初代藩主 保科正之公に賓師として招聘され、会津藩の学問士風の形成に強い影響を与えました。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー131   ( 土佐の南学-4 ・野中兼山一族の悲劇と 野中婉女 )

2009-07-26 13:52:45 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-131   田中河内介・その130         (出島物語ー42)                                                         野中兼山の失脚と死去後の一族の悲劇を、野中婉女の物語を中心に述べます。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー130   ( 土佐の南学-3 ・谷 時中と 野中兼山 )

2009-07-17 18:31:48 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-130   田中河内介・その129                                          (出島物語ー41)                                                                        戦国武士を対象としてきた南学は、平和時代に対応した新しい内容を具えた学風へと転回する。 谷 時中(じちゅう) がその重要な役割を演じる。 谷 時中の門下の代表的人物は、学問の 山崎闇斎、土佐藩政 確立期の偉大なる政治家 野中兼山の二人です。 . . . 本文を読む

ものすごい先生たちー129   (土佐の南学-2  ・南村梅軒と その道義学風 )

2009-07-12 15:21:46 | 幕末維新
【 吉田松陰 ・田中河内介 ・真木和泉守 】    先生とその門人たち-129   田中河内介・その128                                                        (出島物語ー40)                                                                    土佐に多大の影響を与えた 「 南学 」 の話を続けます。 今回は 「 南村梅軒とその道義学風 」、「 弘岡城主の吉良宣経 」 の話です。 . . . 本文を読む