日本国家の歩み 


 外史氏曰

   すばらしき若者たち
 
   祖国日本の行く末

  

ものすごい先生たちー141 ( 土佐の南学ー14 ・『 和文天祥正気歌 』 『 初到建寧賦詩 』 )

2009-10-04 13:25:39 | 幕末維新
田中河内介・その140

外史氏曰

【出島物語ー52】

 土佐の南学―14

       雪中の松柏いよいよ 青々     綱常を 扶植 するは 此の行 に在り
       天下久しう無し 龔勝が潔     人間 何ぞ 独り伯夷のみ 清からん
       義高うして便ち覚ゆ 生の捨つるに堪うるを   礼重うして方に知る 死の甚だ軽きを
       南八男児 終に屈せず       皇天上帝 眼分明
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『 和文天祥正気歌 』

 日本で 文天祥(ぶんてんしょう) をひろく紹介した人は、浅見絅斎である。 彼はその著 『 靖献遺言 』 の中で、宋の文天祥の詳しい伝記を述べ、あわせて註釈をつけた 『 正気歌 』 を載せています。 文天祥は 敵に執えられ、節を屈せずして 降伏を拒否、土牢の中に四年間押込められ、斬殺されました。 『 正気歌 』 は、その天祥が 北京獄中 ( 土牢生活第二年目 ) に詠じたもので、 よく知られています。 
 藤田東湖が 水戸藩の 「 弘化甲辰の国難 」 ( 東湖ら正義派にとっては 全くの冤罪 ) で幽閉中、もっとも力強い伴侶となったものは、この文天祥の 『 正気歌 』 でした。 この詩は、幼少の折、父幽谷に教えられ、ついに暗誦して、一字一句も忘れていないものでした。 
 そして東湖自身も、獄中 ( 小梅の水戸邸の座敷牢 ) で 文天祥の 「 正気の歌 」 に和して、『 和文天祥正気歌 』 を作っています。 本詩の解釈は ここでは省略しますが、この中で 東湖が言おうとしていることは、次のことです。
   ① 日本に於ける 正気(せいき) の 消長。 
   ② 正気保持者 烈公( 斉昭 ) の 冤罪(えんざい)。 
   ③ 自身の正気発揚 についての 心境。

序文
 本詩には、東湖先生が 何の為に この詩を作ったのか、そのわけを書いた 次のような やゝ長い序文が付いています。 
    
    彪(たけき) ( 東湖 )年八、九歳、 文天祥の正気の歌を 先君子(父 憂国 ) に受く。 先君子之を誦する毎に、盃(さか
   ずき) を引いて 節(せつ) を撃(う)ち、慷慨(こうがい) 奮発(ふんぱつ)す、  正気の天地に塞(み) つる所以を 談説して、
   必ず推して 之を忠孝の大節に本づけ、然る後に 止む、今を距(さ)ること 三十余年なり。  凡そ古人の詩文、少時誦せ
   しところ、十に七八を忘る。 天祥の歌に至っては、則ち歴々として暗記して、一字を遺れず、而して 先君子の言容
   (げんよう) 宛然(えんぜん) として 猶ほ心目にあるがごとし。
    彪 性 善く病む。 去歳 公( 斉昭 ) の駕に従いて来るや、方(まさ) に感冒を患う、疾(やまい) を 力めて 途に上る。
   公の罪を獲るに及びて、彪も亦禁錮(きんこ) に就く。  風窓雨室、湿邪(しつじゃ) 交も侵す。 菲衣(ひい) 疏食
   (そしょく)、飢寒(きかん) 竝(なら) びいたる。 其の辛楚(しんそ) 艱苦(かんく)、常人の堪(た) え難きところなり。 而るに
   宿痾(しゅくあ) 頓(とみ) に癒(い) え、體氣頗る佳(か) なり。
    宇宙を睥睨(へいげい)して、叨(みだり) に 古人と相期する者は、蓋(けだ) し 天祥の歌に資(よ) るもの多しと為す。 
   夫れ天祥、宗社(そうしゃ) の傾覆(けいふく) に値(あ) い 身は胡虜(こりょ)に囚(とら) えらる。 実に臣子の至変なり。
   彪の 幽せられし若きは、則ち特に一時の奇禍(きか) にして、其の事と 跡とは、皆大いに同じからず。  
    然れども古人云うあり。 「 死生も亦大なり 」 と。 今 彪の困阨(こんやく) は、既に己に此くの若し。 然るに人猶
   或は以て意に慊(けん) とせず曰く  『 遂に何ぞ死を賜わざる 』   曰く   『 何ぞ早く自裁せざる 』   と、彪の死生の間
   に出入する所以も 亦復此の若し。 而も頑乎として変ぜず、自ら信ずること 愈々厚き者は、未だ始より 天祥と同じから
   ずんばあらざるなり。 
    嗚呼、彪の生死は 固より道(い) うに足らず、公の進退に至りては、則ち正気の屈伸、神州の汚隆(おりゅう) 繋がる。
   豈 特に一時の奇禍とのみ これ云わんや。  天祥曰く 「 浩然たるものは 天地の正気なり 」  と、 余 其の説を広め
   て曰く  「 正気は道義の積むところ、忠孝の発するところなり 」 と。  然して彼の正気とは、秦 漢 唐 宋、変易一なら
   ず、我が所謂正気とは、万世に亙りて変ぜざるものなり。 天地を極めて易らざるものなり。 因って天祥の歌を誦し、
   又之に和し、以て自ら歌う、歌に曰く。 云々。

              和文天祥正気歌    ( 文天祥の正気の歌に和す )

           天地正大気    天地 正大の気
           粋然鍾神州    粋然(すいぜん) として 神州に 鍾(あつ) まる
           秀為不二嶽    秀でては 不二の嶽(がく) と為(な) り
           巍巍聳千秋    巍巍(ぎぎ) として 千秋に 聳(そび) ゆ
           注為大瀛水    注(そそ) いでは 大瀛(だいえい) の水と 為り
           洋洋環八洲    洋洋として 八洲を環(めぐ) る
           発為万朶桜    発(ひら) いては 万朶(ばんだ) の桜と 為(な)り
           衆芳難与儔    衆芳(しゅうほう) 与(とも) に 儔(たぐい) し 難(がた) し
           凝為百錬鉄    凝(こ) っては 百錬(れん) の鉄と 為り
           鋭利可断鍪    鋭利 鍪(かぶと) を 断つ可(べ) し
           藎臣皆熊羆    藎臣(じんしん) は 皆 熊羆(ゆうひ) にして
           武夫尽好仇    武夫(ぶふ) は 尽(ことごと) く 好仇(こうきゅう) なり
           神州孰君臨    神州 孰(たれ) か 君臨せる
           万古仰天皇    万古 天皇を仰ぐ
           皇風洽六合    皇風 六合(りくごう) に 洽(あまね) く
           明徳太陽    明徳 太陽に (ひと) し
           世不無汚隆    世として 汚隆(おりゅう) 無くんばあらず
           正気時放光    正気 時に 光を放つ
           乃参大連議    乃ち 大連(おおむらじ) の議に 参(さん)じ
           侃侃排瞿曇    侃侃(かんかん) として 瞿曇(くどん) を 排す
           即助明主断    即ち 明主(めいしゅ) の断(だん) を 助け
           燄燄焚伽藍    燄燄(えんえん) として 伽藍(がらん) を 焚(や) く
           中郎嘗用之    中郎(ちゅうろう) 嘗(かつ) て 之を 用ひ
           宗社磐石安    宗社(そうしゃ) 磐石(ばんじゃく)  安(やす)し
           清丸嘗用之    清丸 嘗て(かっ) 之を 用い
           妖僧肝膽寒    妖僧(ようそう) 肝膽(かんたん) 寒し
           忽揮龍口剣    忽(たちま) ち 龍口(たつのくち) の剣を 揮(ふる) ひ
           虜使頭足分    虜使(りょし) 頭足(とうそく) 分る
           忽起西海颶    忽ち 西海の颶(ぐ) を起し
           怒涛殲胡氛    怒涛(どとう) 胡氛(こふん) を 殲(つく) す
           志賀月明夜    志賀 月(つき) 明かなるの夜
           陽為鳳輦巡    陽(いつわ) りて 鳳輦(ほうれん) の巡(めぐる) と為す
           芳野戦酣日    芳野(よしの) 戦(たたかい) 酣(たけなわ) なるの日
           又代帝子屯    又 帝子の屯(ちゅん) に 代(かわ) る
           或投鎌倉窟    或は 鎌倉の窟(くつ) に 投じ
           憂憤正悁悁    憂憤(ゆうふん) 正(まさ) に 悁悁(うんうん)
           或伴桜井駅    或は 桜井の駅に 伴(ともな) ひ
           遺訓何慇懃    遺訓 何ぞ慇懃(いんぎん) なる
           或殉天目山    或は 天目山(てんもくざん) に 殉(じゅん) じ
           幽囚不忘君    幽囚 君を 忘れず
           或守伏見城    或は 伏見(ふしみ) の城を 守り
           一身當萬軍    一身 萬軍に 當(あた)る
           昇平二百歳    昇平(しょうへい) 二百歳
           斯気常獲伸    斯の気 常に 伸ぶるを 獲(え) たり
           然當其鬱屈    然れども 其の鬱屈(うっくつ) するに 當りては
           生四十七人    四十七人を 生ず
           乃知人雖亡    乃ち知る 人亡ぶと雖(いえど) も
           英霊未嘗泯    英霊(えいれい) 未だ嘗(かっ) て  泯(ほろ)びず
           長在天地間    長(とこしな) へに 天地の間に 在って
           隠然叙彝倫    隠然として 彝倫(いりん) を 叙(じょ) す
           孰能扶持之    孰(たれ) か 能(よ) く 之を 扶持(ふじ) す
           卓立東海濱    卓立(たくりつ) す 東海の濱(ひん)
           忠誠尊皇室    忠誠(ちゅうせい) 皇室を 尊(とうと)び
           孝敬事天神    孝敬(こうけい) 天神に 事(つか) う
           修文兼奮武    文を修め 兼て 武を奮い
           誓欲清胡塵    誓って 胡塵(こじん) を 清めんと 欲す
           一朝天歩艱    一朝 天歩 艱(なや) み
           邦君身先淪    邦君(ほうくん) 身 先(ま) ず 淪(しず) む
           頑鈍不知機    頑鈍(がんどん) 機を 知らず
           罪戻及孤臣    罪戻(ざいれい) 孤臣(こしん) に 及ぶ
           孤臣困葛藟    孤臣 葛藟(かつるい) に 困(くる) しむ
           君冤向誰陳    君冤(くんえん) 誰に向って 陳(の) べん
           孤子遠墳墓    孤子(こし) 墳墓に 遠ざかる
           何以謝先親    何を以てか 先親(せんしん) に 謝(しゃ)せん
           荏然二周星    荏然(じんぜん) たり 二周星(しゅうせい)
           獨有斯気随    獨り 斯の気の 随(したが) う 有り
           嗟予雖萬死    嗟(ああ) 予(よ) 萬(ばん) 死すと 雖も
           豈忍与汝離    豈(あに) 汝と離るゝに 忍びんや
           屈伸付天地    屈伸(くっしん) 天地に伏す
           生死又奚疑    生死 又 奚(なん) ぞ 疑(うたが) わん
           生當雪君冤    生きては當(まさ) に 君冤(くんえん) を 雪(そそ) ぐべく
           復見張綱維    復(また) 綱維(こうい) を 張るを 見るべし
           死為忠義鬼    死しては 忠義の鬼(おに) と 為り
           極天護皇基    極天(きょくてん) 皇基(こうき) を  護(まも) らん


『 初到建寧賦詩 』

 謝枋得(しゃぼうとく) が我国の人々に知られるようになったのは、浅見絅斎がその著 『 靖献遺言 』 にその伝を収めたことによっています。 その謝枋得の詩 「 雪中松柏・・・ 」 は、餓死を決意した枋得が 北送されるに当り、本詩を賦して知友への訣別の辞としたものです。 この詩も 幕末志士たちの間で、大いに高吟されました。 皆さんも 高吟してください。

             初到建寧賦詩   ( 初めて建寧に到りて 賦する詩 )
                     宗 謝枋得
           雪中松柏愈青青    雪中の松柏(しょうはく) いよいよ青々
           扶植綱常在此行    綱常(こうじょう)を 扶植(ふしょく) するは 此の行(こう) に在り
           天下久無龔勝潔    天下 久しう無し 龔勝(きょうしょう) が潔(けつ)
           人間何独伯夷清    人間 何ぞ 独り伯夷(はくい) のみ 清からん
           義高便覚生堪捨    義 高うして 便(すなわ) ち覚ゆ 生の捨つるに 堪(た) うるを
           礼重方知死甚軽    礼 重うして 方(まさ) に知る 死の甚だ 軽(かろ) きを
           南八男児終不屈    南八(なんぱち) 男児 終(つい) に 屈せず
           皇天上帝眼分明    皇天上帝 眼(まなこ) 分明(ぶんみょう)

           ○ 綱常 ― 三綱 ( 君臣・父子・夫婦間の道 )  五常 ( 三綱に兄弟・朋友間の道を加える ) の略。 
                   人たるの道。
           ○ 礼   ― 人の人たる世界を構成している秩序。 すなわち子として孝、臣として忠を尽して それが
                   節目にたがわず 具現されているをいう。
           ○ 皇天上帝 ― 単に 「 天 」 というに等しい。 宇宙を主宰統括している 至上のかみをいう。


 次回からは、 『 靖献遺言 』 によって 大きな影響を受けた 梅田雲浜、橋本景岳、吉田松陰、有馬新七、南八郎( 河上弥市 ) などを取り挙げます ( ものすごい先生たちー136 参照 )。  まず最初に 梅田雲浜から始めます。

                   つづく 次回


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