放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

北大路魯山人 極上の寿司は・・・。

2007年10月01日 01時13分59秒 | Weblog
魯山人の料理王国
北大路 魯山人
文化出版局

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 おはようございます。
 北大路魯山人論2回目。
 魯山人が活躍した頃、ちょうど日本料理では、寿司がファーストフードから日本料理に確立した時期。すきやばし次郎や久兵衛などの、伝説的な職人が活躍していました。
 魯山人は、今に続く、寿司を文化にまで高めた一人。
 当時の魯山人は、寿司に新日本料理と呼び、寿司に、日本料理の広がりの可能性を見出していました。
 なぜならば、戦前、寿司は、立ち食いのみで、茶で食べる。いわばファーストフードでした。それが、戦後、きちんとした店構えの寿司屋ができ、魯山人の頃、数多の名人達人が現れ、また、戦前の華族、旧財閥の名残りである舌と文化を背負った文化人、財界人などがその食を競い、寿司を高めていったのです。
 江戸前の寿司が大好きだった魯山人は、寿司の可能性を多く書き残しています。
「寿司は結局寿司屋が作っているのか、客が作ってるかということになる。みていると客はいい寿司屋に行き、わるい客はわるい店に行く。寿司屋と客とは五分五分の勝負で、各店それぞれそれらしいのが来ている」
 
 さらに、魯山人はこんな風にも。
「寿司は何より材料に金がかかるもの。上等のものは上等の材料を使い、高い。寿司の味を知るには、旨いと評判の店に飛び込んで経験するほかに近道はない。
かといって、20代、30代は、おおかたふんだんに食えれば満足なのだから、味などわかるわけはない。年も40の坂を越えて、ようやく口がおごってから、酢加減がどうのこうの、まぐろの本場モノ、など寿司談義ができるようになる。
もちろんこうなるまでに、わたしとて、だいぶ寿司代を払っている」

 魯山人、こだわりの寿司とは
☆まぐろへのこだわり
・上等のまぐろ ・・・ まぐろの旨いのは岩手宮古の岸網のもの
 まぐろの寿司は涙がぼろぼろこぼれるほどさびの利いた寿司
 さびの利いた上に、しょうが2,3片をのせてやる。
☆米へのこだわり
・米は福島辺りが一等で、新潟、秋田などの小粒の米がいい。
・酢は米酢、飯に三分づきくらいの色がつく酢が旨い。塩、酢だけで味付けが本道
・握りは小握りが上等。

 さらに、魯山人は寿司職人談義を記しています。
「江戸前寿司の第一は、生気のあるなしである。江戸前寿司は、簡単で、ざっくばらんな調理法を用い、客の前で生きのいいところをみせ、感心させながら食べるところに特徴がある」
 当時の寿司職人 2人の名人の技術をも論じています。
 新橋「新富 支店」 西銀座「久兵衛」
「『新富 支店』みっちゃんはか細くみせるが、ふてぶてしい作品をなし、
『久兵衛』は性闊達で、豪放をなす」