時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(300) 新旧交代

2010年04月06日 04時55分55秒 | 現在の中の過去
 周りにブログを書いている人が減り始めた頃に始めたこのブログの記事の数も今回で300を越えた。全ての記事に当てはまるわけではないが,「時間と共に変化するもの」を取り上げていく中で,自身の行動の傾向が変わってきたように感じる。。新しいものが出てきたときは,その後しばらくは見られる新しいものに注意がいってしまい,じきに見られなくなる古いものに向けられるものへの注意の方が薄くなってしまうことだ。似たような経験は何回かあったので,「お金」の例を書いてみたい。

 現在出回っている1000円札と500円玉。今これを見ても新鮮さは全くない。ところが,これらのお金が出始めた頃は,こちらのお金の方が貴重な気がして,使わずとっていた。逆に古いお金の方はとっておこうという気にはなれなかった。大体,新しいお金の方が出回り,古いお金をあまり見なくなったころになってようやく古いお金の方が貴重に思えてきた。そのことでとっておいたお金もあるが,部屋の片づけをする中で1世代前のお金を見つけたこともあった。500円玉が変わったときには中学生,お札が変わったときには高校生で,今ほどお金を見ていたわけではないが,そこそこは目にしていたはずだ。しかし,今,それを見てみるとかなり違和感があった。



 

 たまにしかお目にかかっていない高額紙幣。




 この紙幣が利用されているときでも新渡戸さんが何者なのかに触れた機会はそんなになかった。紙幣から肖像画が消えた今となってはもっと触れる機会が減ったのではないだろうか。
 逆に1万円札,今でもあまりお会いはしていないのだが,人物が変わっていないこともあって,偽造防止のプリズムみたいなのが貼られている以外はさっと違いを説明できない。 

 一世代前の紙幣を取っておこうと思ったのは遅かったが,このときは逆に早かった。親からもらったものを机のシートに挟んで保管していた。


 記念紙幣は当時珍しくてとっておいたものが,今もそのまま珍しい(努力すれば入手可能だが…)ので,新旧入れ替えの場合とは別かもしれない。ただ,これと一緒に挟んでいたのが,現在使われている500円玉だったので,新500円玉しか見なくなったころに,あんまり意味のないコレクションだったと気付いた。そのときに旧500円玉をとっていなかったのでなおさらだった。
 貯金箱の中からこんな記念硬貨も見つけた。
 

 長野五輪の記念硬貨で,小学校高学年の時のことだが,この硬貨の記憶は見つけるまで全くなかった。
 紙幣ほど変化は顕著ではないので,硬貨の変化に気付くとうれしい。
 有名ではあるが「ギザ十」

 ふちにギザギザがある以外に差がないのが興味深かった。これが昭和20年代後半の発行なので,出会うと不思議な感じだ。
 同じ頃に出された5円玉も今とは違う。

 はじめ見たときに何か違っているのは分かったが,すぐにその違いは分からなかった。
 イラストは同じだが,フォントが現在がゴシックぽいのに対して,楷書体に近くなっている。

 ブログを書いていくうちに,写真で撮るものの傾向もだいぶ変わってきた。文にまとめることで見方も変わってきたのかなと思う。