時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(305) 市境(?)大和川 (2)

2010年04月11日 23時30分49秒 | 現在の中の過去
(1)からの続き。

 前回の記事では,大阪市側が住吉区・東住吉区の範囲について記事を書いたので,その東側の平野区の状況を取り上げたい。
 大和川南側の東住吉区矢田7丁目。

 奥に見える近鉄の線路の踏切を渡ると,松原市天美北になる。
 そのまま川沿いに行くと…

 こんな立派な建物が見えてくる。
 川の反対側から…

 環境事業局平野工場(ごみ処理施設)。さらに国道を挟んだ反対側には「リフレうりわり」と呼ばれる温浴施設,温水プールや物産館などの入った大阪市の建てた施設がある。2005年11月とオープンも最近だ。隣のごみ処理場の余熱を利用しているようだ。大阪市の施設があるということで,ここの住所は平野区瓜破南になっている。大和川の南側に公共施設があったことに驚いた。
 この周辺を見てみる。

 奥に見える橋が2つの施設の間を走る国道(内環状線)の橋。この橋を渡ると向かって右手に先ほどの施設が見える。

 川の南側の市境付近には,市が変わったことを示す案内もある。
 住所表記も…

 大阪市のものがしっかり取り付けられている。
 川沿い。







 大和川の川原はグラウンドになっていたりテニスコートがあったりとスポーツ施設になっていることが多い。ここの場合,古そうなタイヤの遊具があったり,真新しそうなタイルが埋められている部分があったり謎の模様が描かれていたりと改良途中のような印象もある。トイレも仮設トイレがいくつか設置されている。川原に住所表記はないが,注意などを示している看板が大阪市や平野警察署の名前で出されているので市が違うことは何となく分かる。

 国道の両側に平野区瓜破南が広がっているが,川原をもうしばらく行くと再び松原市(三宅)になる。三宅中行きの大阪市バスの路線もある。

 しかし,その東側には再び大阪市平野区が大和川の南側に存在している。
 長吉川辺の明治橋という橋があるあたり。

 その対岸も幅は狭いが大阪市が細長く存在する。
 その象徴ともいえる施設がこれだ。

 府立平野高校。
 門の住所を見ると…

 名前どおり平野区だった。大和川の北の平野区には隣の区の名前のつく東住吉高校がある。平野区が東住吉区から分区してできたことによるのだろう。松原市には生野高校(名前の由来は生野区で生野区からの移転。)もあり,このあたりの高校の名前はややこしい。
 そこから東側を見ると…

 学校が見える。平野高校の前の道路を通って正門の前に行くと…

 松原市立の小学校だった。
 この2つの学校は道路に面していない部分で隣接している。道路側は住宅地で市境に道路は走っていない。現地ではほぼ判読不能な境界だ。
 平野高校は4丁目2番地で隣接して民家や事業所がある。
 道路の北側(大和川寄り)が1番地になっている。

 ごく普通の住宅地だ。
 姓入りの案内板もある。平野菜乃花の里というらしい。

 この案内板,よく見ると大阪市住宅供給公社の名前が入っている。市の力がこの飛び地のような場所にも行き届いていることが感じられた。そして,案内板の左上を見ると住所に「4丁目1番」と書かれている。この中に道路もある広い区画の全てが1番地のようだ。
 住所表記も…
 

 他の地区で見るものより,ハイフンが一つ多い。
 大和川の南側ではないが,長吉川辺にはこんな住所表記もある。

 ただの4番地ではなく,北4番地だ。
 住所表記を決める際にも色んな制約があったように感じられる。
 松原市との境界の一つ。

 左側の電柱に青い松原市の住所表記が,左側の建物の壁に平野区の青緑色の住所表記が見える。この間に市境があるのだろう。

 ここより東側でも,北側の八尾市が南側の松原市や藤井寺市に食い込んでいたり,国道170号線の辺りで北側の柏原市の中に藤井寺市が食い込んでいたりという例がある。郵便局の検索地図が中心点の住所も表示してくれるので,その状況が分かりやすい。

 河川改修でできた流れなので市境にもともとの流れが影響したりして複雑になっているのかもしれない。それにしては,川が流れていたとは思えないような境界線もあるので,別の事情もありそうだ。