最初で、(たぶん)最後の、海外旅行(ニュージーランド)に明日から行ってきます。
9年前に、たった3日間だけ、韓国に行ったことはあるのですが、それ以来なんです。
この年になって、私にとっては冒険ですが、やっぱり行ってみたい。
きっと、元気で帰ってきます。
3月からまたよろしくね~。
最初で、(たぶん)最後の、海外旅行(ニュージーランド)に明日から行ってきます。
9年前に、たった3日間だけ、韓国に行ったことはあるのですが、それ以来なんです。
この年になって、私にとっては冒険ですが、やっぱり行ってみたい。
きっと、元気で帰ってきます。
3月からまたよろしくね~。
旅程が全部終わり伊丹空港に向かう途中、休憩のレストハウスでのことです。
建物から出て、バスの駐車場に向かtったDさんがトイレにバッグを忘れたことに気付きました。
Dさんは70代で足が弱い。そこで、若いAさん (と言っても60代) に、「走れ~!」と。
Aさん、全速力でDさんが使った障害者用トイレに走りました。
使用中だったので、ノックして大声で
「すみませーん、その辺に赤いバッグがありませんか~!」
「あ~あ、ありますよ。」
後でAさん曰く
「何十年ぶりかであんなに走って、私がこけていたら、また顔にあざが増えて見られなくなるところだったわ。」
彼女は、初日にオリーブの木の枝で顔を強打しして、まだあざが残っていたのです。
もしバッグがなくなっていたら、みんな暗い気持ちで帰宅するところを、彼女の力走で、真から笑うことができて、めでたし、めでたしでした。
本題とは別ですが、醤油工場の見学で。
でっかい樽が入口に利用してありました。
友達二人とロープウェイ下り便を待っていたら、周りは中国語らしき言葉の人がいっぱいでした。
すぐそばの女性に「中国から?」と話しかけてみましたが通じません。
手振り身振りで聞いていたら、やっと「台湾」と聞こえました。
すると横にいたお爺さんが、日本語で話して、日本の『お正月』の歌を歌い始めたのです。
続いて、『浦島太郎』を歌い、周りのみんなが手拍子で、3番までバッチリ間違いなしです。
話しかけてみたけど、後ろの男性が手振りで、彼は84歳、耳が聞こえないのだと教えてくれました。
そのうち、バケツのような丸いゴンドラ(というのかな)がきて一緒に乗り込み-、中で二次会が始まりました。
お爺さんは『浦島太郎』をすごく楽しそう、うれしそう、得意そうに歌い、友達も私も一緒に歌いました。周りは手拍子。終わったら、みんなで拍手、拍手。
遠い過去に、お爺さんと日本人とどんな関わり合いがあったのでしょう。
ゴンドラが停まり、お互いに日本語で「さよなら、さよなら」とお別れしました。
お爺さんが主役の小さな小さな日台交流でした。
眉山展望台からの吉野川
四国旅行、徳島の夜は阿波踊り会館で阿波踊りの見物です。会館の立派なビルに入ったところで、「○○さん、○○さん」と私の旧姓が聞こえて来るような・・・???
振り返ってみると、なんとまあ、小学校時代の同級生がホテルの浴衣着て立っていました。
彼は姫路在住。去年、同窓会で半世紀ぶりに会ったばかりでしたが、ほんとによくみつけてくれたものです。
さて、阿波踊りは、たかが阿波踊りの認識だったのに、なんのなんの、立派に県の振興に役立っているのに驚きました。
もひとつびっくりは、街中なのに、その会館の5階からロープウェイで眉山(びざん)に登るようになっていたこと。
素晴らしいアイディアが活かされていて、宮崎はとてもかなわないと実感です。
宮崎には四国から来た人が成功している話をよく聞くけど、やはり、頭の使い方が違う気がしました。。
昨日は、市内から2時間の山間部にバスツアーでした。 主な目的は鮎料理でしたが、その前に、有名な歌人 『 若山牧水 』 の生家と記念館に途中下車です。
生家は思った以上に立派な家。父親が医者だったからそんなものかな。 生家から眺める景色は、山と川の、それは静かな、気持の落ち着く風景でした。
我を恨み 罵りしはてに 噤みたる 母のくちもとに ひとつの歯もなき
飲むなと叱り 叱りながら 母がつぐ うす暗き部屋の 夜の酒の色
牧水記念館で見た中の2句です。
どちらも母親の立場が見えて、牧水自身、この歌ができたのだから心配かけてることはよくわかっていても、どうしようもなかったのだろうなあ~と、じーんとした何分かでした。
若山牧水の生家
生家から見える風景
翌朝、カーテンを開けると、眼下は広い交差点で、1方向は海の下に
向かっていました。
時間が経過するにつれて大きな駐車場(台場海浜公園の)に続々と
車が集まっていて、まあ、きれいな色の車が多いこと!
都会の車はこんなにカラフルか、と眺めていました。
10時には、またぞろぞろと息子に付いて式場のレストランへ向かいました。
2度の乗換えをして、最後の地下鉄を降り出札口で切符が入っていかない。
義妹と「あれ?なんで?反対に入れてみようか?」
(あっはっは今思うと可笑しい)
後ろで知らないおじさんが「そっちはダメだよ。ここが点いていないから」
そういえば隣は下の矢印が点灯しているわ。
ようやく通過してみると息子たちがいない!義妹と二人残されて、
「ヒヤ~、冷たいね。誰も振り返ってくれなかったんだ。」
そう言いながら階段を駆け上がり左右を見るけど、いない!
さっきのおじさんが「どこに行くの?」
「え?あ、う・・・」ややこしいレストランの名前を覚えていない。
おじさんは話にならない、という風に去って行った。
そこで、携帯が鳴って息子の声。あ、これがあったんだ。(*^_^*)
人前結婚式は、ピアノ伴奏で歌「アメイジング」で始まりました。
小さい頃、廊下の網戸を突き破って外に飛び出した甥を思い出して感無量です。
夕方には、息子AB共、空港まで送ってくれて、自宅着21時30分。
数えてみれば二日間、10回の電車乗り換えで、おのぼりさんが終りました。
土曜日の早朝、甥の結婚式のために、約10年ぶりに上京しました。
義弟妹も一緒で5人全員が東京には不慣れのいわゆる「おのぼりさん」。
まず、空港で搭乗の時から初めての切符なしの「タッチ&ゴー」で、どうするの?とドキドキ。
やってみれば、なーんだ。
羽田からお台場のホテルまではリムジンバスで。
切符買う場所、乗り場番号はネットで見た通りで、どうにか無事乗車できて、ホーッ。
ホテルに荷物を預け、ここで合流した息子Bの後に5人がゾロゾロ付いて、
埼玉の義弟の家に向かいました。
もう安心ですが、息子を見失ったら大変です。「旗を持ってほしい」なんて冗談言ったりしながら、2回の乗り換えでやっと目的地に到着。
待ち時間がほとんどなかったのには、これが都会か!と感心しました。
面白かったのは、練馬から来るはずの息子Aに「今、どこ?」と電車内でメールしたら、
「弟の横だよ。」と返信が。
「???」とななめ向こうに座っている息子Bの方を見たら、ほんと、横に居るのでびっくり!
後で聞いたら、途中で乗ってきた人が、息子Bの前を通って横の横に座った。
それが兄貴だったので、メールして驚かせたとか。。
車両も人も多いのに、こんなことがあるのですねえ。
夕方には埼玉からまたぞろぞろと東京へ。いささか疲れました。
息子Bは5人も面倒見て、まだ疲れたかも。
ホテルの部屋は23階。こんな高さは初めてで地震が怖かったけど、起こらなくて幸いでした。
旅行最終日、越前竹人形の里で工房の見学でした。
圧巻は人形の髪一本一本も竹だったこと。経験15年という男性が、細長い竹をナイフで割りながら説明してくれました。機械ではなく、ただひたすら手で、細長く割った竹を縦半分に、また半分に、またまた半分に、さらに半分に、さらにさらに半分に、と髪の毛状になるまで割っていきます。
それを、竹製の坊主頭に穴を開け埋めていくのだそうです。
写真はその様子と、展示された人形の前、後です。手も着物も全部竹です。
帰りの伊丹発の機内から見えた街の夜景は、まさしく宝石箱のような、これまでに見た夜景の中で一番きれいで、旅の最後を飾ってくれました。写真が撮れなくてほんとに残念!
正確には 『 千里浜(チリハマ)なぎさドライブウェイ 』 と言うそうです。
景色の良い海岸線を走るのだろうと思っていたところが、バスは車道を外れて海岸に降りて、そのまま波打ち際を走る、走る。
車窓のすぐ横が海。下に波が寄せてくる。海鳥がいる。鳥が飛び立つ。 「うわー!」「ひゃー!」「すごい、すごい!」てんでに声をあげて喜んで・・・。
後方を見ると夕陽が追いかけてきています。8㌔の海岸線を走って、バスから降りました。
ここの砂は粒がとても小さくて、水分を含むと固くなるから、大きい車でも走れるのだって。 確かに乾いた砂の上を歩くと、小麦粉の上を歩いているような感触でした(ちょっとオーバーだけど)。記念にと、砂を紙に包んで持ち帰る人もいました。
夕陽はどんどん海面に近くなってきて、沈むまでずーっと眺めていたかったけど、集合の時間が。 来てよかったなあ~の気持いっぱいでさよならしました。