ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信18号(25年秋)野瀬のかんぴょう顛末記     代表 山根成人

2014年01月25日 | 保存会通信

 3月、相生市野瀬の高畑さんに電話した時、「私のユーチューブを見たという人に種も道具もみんなあげてしまった」と言われ、かなり落ちこんでいたが、もう一度訪問して何か手がかりを、との淡い期待をもって出かけた。

 お会いしてみると健康上には問題無いようで、すこぶる元気な様子だった。春小豆のことからかんぴょうのよかった70年代の話題になると機嫌がよくなってくれた。しかし種のことになるとダメ。「どこにもない、誰も持ってない。道具は女衆が見るのも嫌だからみんな焼いている。道具を送った人も誰だかもう分からない」と取り付くシマがない。40分ぐらい何とか粘り最後まで一緒に作っていた人のことを話したので
 「亡くなったったその人は何ちゅう人ですか?」
 「広瀬さんいう人やけど、何も残っとらんで」
 「でもまあ一度いってみようかなと思うんですが」
 「ダメやけど、あそこの娘さんがものすごく頭のええ人でなあ、今は相生市の漁業組合長をしとるはずや、帰り道やから寄ったらええやろ」

 送り先の手がかりを何度聞いてもダメ、只、皮むき器のことは「高畑さん、あれはお宅のものですがねえ、ホンマは地域の文化財でっせ。伝えておかなアカンのですわ」としつこく言うていると最後に「こっちの倉庫の2階にひょっとしたらあるかな、そこまで言うなら見てみようか」と言ってくれた。
 そして玄関に下りかけた時、娘さんの好江さんが送りに来られたので、
 「あの時の住所とか何とか残ってませんかねえ」
 「お宅があのインターネットの人ですか」
 「ええ、山根です。執こういうてごめんね」
 「なんかそういうものは残してるかも知れんな」
 といって玄関の下駄箱の上を探し始めてくれた。

 「あった、これやな」

 宅急便の控えが残っていたのだ。思わず両手で彼女の手をにぎり頭を下げていた。やっぱり来なあかん、粘らなアカン。神さんは褒美をくれるんや。仙台市の野沢長生さんという方だった。これさえあればもう今日の収穫は充分。大きな倉庫の中を全部見せてくれたが道具は見当たらなかった。
 「まあいいですわ、この方と連絡とってお願いしてみます。私も勝手なもので送り状だけで満足していた。好江さんは親切な方で携帯番号も交換してくれ何かあったら連絡してあげると言うて下さった。晴れ晴れして充実感さえ感じる。

 帰り道漁業組合の事務所へ立ち寄り
 「変なこと尋ねますが、すみません旧姓広瀬さんという方はーーー」
 「私ですが、何か」
 「ああよかった、関係のない話ですがかんぴょうのことで」
 「私かんぴょうのことは全然――ホント知りませんよ」
 言葉にケンがなかったので保存会のことなど少し話してみると
 「父が亡くなってから、近所の西川さんという方が種がほしいと来られたので。お渡ししたとは聞きましたよ」
 「エッホントですか」
 あーあ何と今まで怠慢だったのかと猛省。橋本さんは親切な方で住宅地図を開き
 「この西川公さんという家、ここですわ」
 「有難うございました。あーあ来てよかった。甲斐がありました。又何かあったらご協力お願いします」
 何とうまく話が進むのかと久々の調査に悦にいる。調子が出てきたので引き返し西川家を探索。すぐに分かったが誰も居られなかったので名刺だけ置いて帰る。

 夜、早速野澤さんに電話。この人もまた感じのいい人で、こっちの言うことを殆ど理解してくれたようで、種は勿論「器械も使ってないので」と言うて下さった。返してもらえれば嬉しいと伝えた。西川さんには翌朝電話して近々お訪ねするように伝えると「機械はあまり使わんが時期になって来たら教えるで」と言ってくれた。

 保存会10年のうちで自分が調査して、目の前で絶滅するような恥ずかしいことになることを出がけまでは覚悟していたが、あの憂鬱はすっ飛んだ。

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