ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信18号(25年秋) 山形在来作物研究会より学ぶ お米の勉強会 村山日南子

2014年01月13日 | 保存会通信
お米についての連続勉強会
2013年7月27日(土)午前9時半~午後5時、於:兵庫県立大新在家キャンパス(環境人間学部) 記録:村山、写真:村山


 長い充実した1日でした。

 映画「よみがえりのレシピ」は去る5月18日に神戸アートビレッジセンターで観て、報告を6月14日発行の7月号に載せました。映画の後、監督の渡辺智史さんと山根さんの対談もありました。とても中身の濃い、見ごたえのある映画で、1回観るだけではもったいないような映画でした。そして、映画以上に驚いたのは、監督の渡辺さんの若さでした。山根さんがその場で仰ったようになぜ山形にはこんなに優れた人が多く出るのだろう、と感嘆しました。
 そんな訳で再度この映画を見るのを楽しみに、そして、江頭先生にお会いできるのも楽しみに出かけました。

 映画「よみがえりのレシピ」鑑賞
 先ずは、山根さんのあいさつ、続いて映画「よみがえりのレシピ」上映。そして、ひょうごの在来種保存会の生みの親の保田茂先生のお話の予定でしたが、先生はご病気とのことで、代わりに江頭先生が少し話されました。



 映画は淡々と撮られているのに、在来種を作っておられる方々の思いや暮らしぶりと共に、その野菜を畑で食べてすぐにレシピが浮かび、料理にして、その農家さんたち皆さんに食べさせる、才能あふれるイタリア料理の店「アル・ケッチァーノ」のオーシェフ奥田政行さんの料理と食事風景が映し出されるという組立でした。作るところから消費までを1つ1つ追った映画でした。
 また、江頭宏昌先生は、在来種の保存の必要性を机上で訴えるのではなく、奥田さんと一緒に農家さんを1軒1軒歩き、共に作り、共に食べ、共に広めることに成功なさっている動く学者さんです。



★焼き畑のカブたち

 庄内では食糧難を救う意味もあり焼き畑でいろいろなカブが作られてきました。藤沢カブ、宝谷カブ、温海カブ、田川カブ、夫々の農家さんが映し出されました。
 藤沢カブの生産農家さん、渡会美代子さんは、後藤勝利さんにカブの種を譲って作ってもらうことになったあと、しばらくして亡くなり、映画もご覧になれなかったそうです。
 人間が作り続けてきた種は、人間が作らなくなれば、即消えてしまいます。自然種の絶滅よりずっと沢山の種があっという間に消えていきました。藤沢カブは間一髪絶滅を逃れました。



★だだちゃ豆たち

 庄内の方々はだだちゃ豆の枝豆が大好き。各家で自家採種が繰り返されて20種類以上の営統があり、夫々少しずつ見た目、香り、味が違うという。茹で方も「我が家流」が一番、近所を読んで大量の枝豆を振る舞い、茹で方を楽しく競う様子が映し出されました。

★美味しいからと、作り続けられてきた野菜たち

☆外内島(とのじま)キュウリは、漬物屋さんからの全部買うから作ってほしいとの依頼や江頭先生の説得によって作られ続けてきて、今では地元の小学校で対売、種取りまで続けられるようになりました。

☆甚五右ヱ門芋は、佐藤家で作り続けられてきた一子相伝の里芋で、現在は信栄さんの指導で孫の春樹さんが作っておられます。

☆梓山大根は、3年漬け置きしてもシャリシャリ感が残る辛味ダイコン、釜田憲治さんが種を守っています。

☆もってのほかは山形の方々が大好きな食用菊、黄色とピンクがあり、地元の人はピンクが好き、関西のお店では黄色を売っています。

 どのお野菜も、作っている農家さんと、奥田シェフの料理、農家さんほか皆の美味しそうな、満ち足りた様子が映し出されて、生産から、流通、加工、消費へ、そして生産農家さんへと、野菜と共に想いを共有できる循環がなりたっていて感動しました。


「『よみがえりのレシピ』と在来作物研究会の10年」

山形在来作物研究会代表江頭宏昌先生のお話



1.在来作物とは

☆在来作物との出会い

 私の学生時代の悩みは、科学の目的は何か?科学や科学技術の向う先は果たしてこれでいいのか?当時の育種改良は、農家が楽して高品質のものを沢山作れることが目的でした。
 そして、1994年川喜多次郎の「創造と伝統」に出会い、問題を創造的に解決するには3つの科学が必要だということを学びました。書斎の科学だけではダメで、実験科学と野外科学が私の研究には必要と、研究の道筋を立てました。足が地についた生き方、市民パワーの結集、世代から世代へ引き継ぐ、この3つの方向で、自分には一体何ができるのか?
 そこで出会ったのが、山形大学の元教授の青葉高先生の本「北国の野菜風土誌」でした。そこには、「野菜の在来品種は生きた文化財である」と書かれていて、戦後間もないころから日本各地の在来野菜の大切さと保存を訴えてこられていました。先生の記録によると、1976年の山形県内には76種類の在来野菜がありました。

 「在来野菜は生きた文化財」!

 では、今はどうなっているのだろう、まずは現状調査から始めようと決心しました。これで3つの科学が実践でき、自分の問題意識を実践に移せるかもしれないと直感しました。

☆在来作物とは

 山形在来作物研究会で決めた定義では、「ある地域で、世代を超えて栽培者自身によって種苗の保存が続けられ、生活に利用されてきた作物」です。野菜だけでなく、果樹、穀物、観賞植物なども含み、また、農業上、その他利用上、特徴が明瞭に区別できる作物の種類は在来品種と呼びます。

 在来作物は商業品種に比べて、収量は少なく、耐病性も弱く、外観もよくなく、日持ちもよくなく、味も万人向けではなく、苦い、辛い、強い香り等個性的ですが、食品(モノ)であると同時に、歴史、文化、栽培法や利用法など地域固有の知的財産の面も持ちます。
また、「生きた」文化財ですので、作り続ける人がいなくなれば消失して、二度と同じ遺伝子を持つ野菜を作り出すことは出来ません。

☆「在来作物」と「伝統野菜」との違い

 伝統野菜は、ブランド価値を高めることを目的として、場所や栽培期間、品質等の条件を決め、自治体や民間等の団体が認証したものをさすことが多いですが、在来作物はブランド価値とは無関係に、野菜、穀物、果樹、花弁等の作物の在来品種の多様性を守るための呼称です。

 「在来作物」は、新しく農家が自家採種を始めたものでも、世代を超えて自家採種で栽培され続ければ未来の在来作物になりうるし、自家採種する人が増えれば、風土に合った在来系統が育成され、多様性を高めることにもなります。

☆在来作物消失の原因

 農業人口の減少、古くさいというイメージ、生産や流通効率が悪くて市場価値が低い、栽培者の高齢化、都市化による農地の減少、保存食、飢饉時の備えの不要化等々。

2.山形在来作物研究会の設立とその活動

 03年11月30日設立、目的は、失われつつある作物の在来品種にもう一度光を当て、その多面的な価値を再評価して利活用を図ること。山形大学農学部の教員有志が中心となり発足。会長は08年度まで元山形大学農学部教授の高樹英明先生。山形に拘り、「山形在来作物研究会」としました。専門的な学会とは違い、高校生や主婦なども気軽に楽しく参加できる開かれた研究会にするため年会費は2000円。会費のみの運営で心配したが多くの方々の協力により、会報「SEED」も発行できました。在来作物の「種子」を守ると同時に、教育研究、食文化、農業、食品産業に新しい「種」をまきたいという願いを込めて会報の名前は「SEED」。毎年一回公開フオーラムを開き、全国から毎回150名前後の会員が集い、農家の声を聴く、料理・加工品を食べる、採種の意義を考える、保存食を考えること等をしてきました。2005年4月から在作研幹事が中心となり、料理人、県職員などが執筆者となり、隔週で4年間、計100回山形新聞に「やまがた在来作物」を連載し、県内の在来作物や食文化を丁寧に紹介しました。また、これをもとに、07年に「どこかの畑の片すみで」、10年に「おしゃべりな畑」を出版しました。

3.農家・レストラン・研究者とのつながりが原点

☆なぜ、お金にもならない、手間のかかる在来作物を継承してきたのか?

 農家を訪ねる度にその理由を聞くと、美味しいから、お世話になった人に喜んで食べてもらいたいから、自分の代で種を絶やしたくないから、などの言葉が返ってきました。
 これを聞き、残ってきたのは、農家の良心と想いの賜物だと思い知りました。そして、自分ができることは、そうした農家の今の想いを記録し、今の世間や未来に伝えることではないか。また農家が大切に継承してきた作物や農法をより広い視野から評価し、励ますことではないかと強く思いました。

☆アル・ケッチアーノの奥田政行さんとの出会い

 農家の訪問調査を始めた頃奥田さんと親しくなり、一緒に農家を回るようになりました。奥田さんは在来野菜ばかりではなく、魚、山菜、肉、果樹など様々な食材を発掘して、創作料理に取り組み、市民や全国から評判を呼んでいました。
 私は、新しい在来作物が見つかる度に、その特性を生かした新しい料理を奥田さんに創作してもらいました。もし、奥田さんの料理がなかったら在来作物の広がりはなかったと思います。在来作物を用いた新しい食文化を開拓したとして、奥田氏山形在来作物研究会が共同で2010年5月に第一回「辻静雄食文化賞」を受賞しました。

4.在来作物の魅力

 在来作物には多様性、地域の個性、つながり、という3つの魅力があります。

<多様性>
 山形を代表する果実、サクランボの代表品種「佐藤錦」は農家が作りだした在来品種ですが、最初の交配は1912年、品種名が付いたのが1928年です。当時は加工用サクランボが一般的でしたが、1970年代になると、加工用を抜いて生産量が首位になり、交配から約100年
経った2010年時点で、山形県のサクランボの全国出荷量シェアは72%です。鶴岡の「ダダチャ豆」も100年以上の歴史を持ち旧鶴岡市内で20億円以上の生産額を誇っています。今の価値観に合わないからといって、このことから、無価値に見える在来品種を捨てるべきではないということが分かります。

<地域の個性>
 山形を代表する在来野菜カブは山間地を中心に20種類前後の在来品種が分布し、郷土色あふれる食べ方もそこに根づいています。カブは短期間で栽培でき、寒さにも強く、保存性もよく、飢饉時には穀物に変わる重要な食べ物となってきました。

<つながり>
 在来作物を通して、都市住民との交流や、家庭でも世代間で食の継承が広がります。

5.山形の在来作物をとりまく近年の動き
 今年13年11月で山形在来作物研究会発足満10年。栽培農家さん、レストラン奥田さん、我々研究者と、理解あるマスコミが、一緒に様々なことをしてきました。そして、在来作物について市民の意識も高まってきました。山形県も力を入れ2011年に「やまがた伝統野菜展開指針」を出し、伝統野菜を「地域の宝」として、全県的な取り組みを展開していくことになりました。
 伝統野菜の栽培実態はさまざまで、ただ一軒の農家が家宝として継承しているもの、地域の数軒の農家が栽培し、地元で消費されているもの、生産が拡大し県外・全国に流通しているものなどがありますが、一律に生産拡大を目的にするのではなく、野菜の特性や現場に応じてやっていこうという提案です。

 鶴岡市も2010年にユネスコ創造都市ネットワークの食文化都市への加盟を目指して多様なことをはじめ、在来作物を次世代に伝えるためのレシピ集「はたけの味」、お米のレシピ集「たんぽの味」が出版されました。また地元の在来作物を活用し、ビジネスに結びつけるための講座が開かれています。山形大学農学部でも同様な講座「おしゃべりな畑実践講座」が2010年から毎年、無料で開講してきまして、 150名以上の修了生が知識と仲間のネットワークを生かして活躍しています。
 2011年10月に映画「よみがえりのレシピ」が公開されました。これは、「市民プロデューサ一になりませんか」と寄付金を集めて出来上がった、山形市民の手作りの映画です。在来作物を中心にして、栽培農家、レストラン、研究者、小学校、加工業者などにスポットをあてながら、食といのちと農の本来的な意味をごく自然に考えさせます。全国で上映が進むにつれて、在来作物の価値に目覚める人が急増しています。

6.おわりに

 在来作物の種子と利用の文化を守ってきたのは、効率化の波にもめげずに、また儲けとは無関係に、良心と愛情を持って継承してきた農家であることを忘れてはなりません。
 この地域の宝、在来作物を、今後どう保全し、継承していけばよいのか、各地で地域の事情を考慮した創造的な試行錯誤が必要でしょう。
 在来作物以外にも「無名の宝」が沢山あります。故郷の景観、里山、土、人の暮らしぶり、文化芸能、神様や仏様等々。在来作物の保全と継承を考えることは、「無名の宝」を維持するヒントにもなるのかもしれません。





質疑

 山形は、種の囲い込みが強いが、外に出さないと消えてしまう危険も強いのではないか、ジーンバンク計画はないのかとの質問に対して、「種は旅して伝わってきた」のも確かなので、反省している面もあります。ジーンバンクは運営が大変なので、利用しながら守っていくしかないと考えています。



おまけ

(こんな歌もあります)

「種をあやして」
作詞 あおきふみお
作曲 横澤 芳一
歌と演奏 影法師
企画制作 ひなた村

畑に育つ 野菜はやがて
花を咲かせて 種を稔らす
茎の枯れる頃 愛しむように
百姓の手が 種をあやす
※幾百年 幾千年
百姓は種をあやしてきた
明日蒔く種を 失くさぬために
いのちを未来に つなぐために

ここに伝わる 種は見てきた
私につながる いのちの歴史
私がこうして 生きているのは
あやし続けた 種あるおかげ
※繰り返し

いつしか百姓は 種をあやさず
どこかで作られた 種を播いてる
そこから未来は 見えるだろうか
そこからいのちは つながるだろうか
※繰り返し


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