ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信18号(25年秋)2013年6月22日~  ソバと雑穀、岩手の旅      代表 山根成人

2013年12月21日 | 保存会通信
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 2月の集会に岩手から来てくれた岩手県立大の山田加奈先生のお誘いで「種の話」を。
 途中主催の「岩手食文化研究会」の活動冊子など送ってこられて「しまった受けるのでなかった」と少し後悔したほど立派な活動をされている団体だった。しかし成り行き上しかたないのと個人的に行ってみたいという色気もありお受けした。


 23日、昼頃着いたが駅には先生が迎えに来てくれていた。
 少し市内を歩きながら案内してくれたが印象はとてもきれいな街だった。まず路上のゴミがほとんどない、歴史ある建物が残っている、水辺の植物が生かされている。姫路とは随分の差を感じざるをえなかった。
 会場には旧知の里内藍さんが来てくれていてびっくりしたが嬉しかった。来れたらというくらいに思っていたので、まさかという驚き。

 講演はいつものように「エフワンをご存知の方?」と聞いてみたが知ってる方は少なかったので[種]の変革を含め基本的な話で終わらせたが、さてさて如何なものだったか。
 質問も二~三人あったように思うが、最後にソバを作っている高家さんというご夫人がこぼれ種的な最初の種を採っているが、それでいいのかというような話があった。この質問が縁となり、翌日、彼女を訪ねることになるとは思ってなかったが、結果的には今回の私の一番の収穫はこの人との出会いにあったのだ。


 講演が終わり交流会があると案内されたのは会場の近くの店で。
 これもまあ垢抜けした店で東京だろうが京都だろうがどこに出しても引け取らぬくらいすっきりしていた。スタッフの対応も十分丁寧、料理の出し引き、全体量なども申し分はなかった。東北はすごいと改めて最敬礼。それに参加している面々はそれなりに各方面で何か大事なものを引き受けている人ばかり。岩手の在来種保存会なんてもう出来ているようなもので、在来種部門を誰かが引き受けてくれたらいいだけで、今まですでに二十品種くらいは立派な冊子になっていて、この日来ていたJAの渡辺さん?が担当してその続編を出版するというから恐れ入る。

 すっかり気分がよくなりホテルに荷物を預け、佳奈さんともう一軒ホテルの前の居酒屋に付き合ってもらったがここもまたよかった。地域性が感じられる魚菜に満足。


 24日朝、佳奈さんが迎えに来てくれ今日案内役をしてくれる田沢さんを紹介してくれた。事務局長で今回の講演を企画してくれた人だという。それにしても車を出してくれて一日付き合ってくれるという。
 どこに案内するか決まっていなかったらしく何となく高家さんの話が出て、「遠いけど行きますか」ということになり2時間かけて青森の近く葛巻町に向かった。昨日の高家章子さんの柔らかい物腰とその奥にある堂々とした生活から出た信念のようなものを想起しながら、途中道の駅や直売所も見学、一つの視点であった雑穀の郷もつぶさに見学、それは盛岡にはない様相だった。ここかしこにこの季節にあらゆる雑穀が売られている。これだけ乱された世にも根強く作り続けられている食文化に感動した。売り場に立つだけでも心が熱くなる。

 昼頃だったか江刈川集落に着き「森のそば屋」へ。
 古民家を利用したこじんまりした店ですぐに落ち着いた気分になる。何の前触れもなかったので章子さんは驚いていたが「是非来てくださいとは言いましたが、本当に来てくれるなんて」と何度も喜んでくれた。「今ソバは一番不味い時期になっています」というが決してそんなことはなかった。「保存はどうしてます、冷蔵庫?」「いいえ作り方も、干し方も、打ち方も保存もみんな昔のままでやっているんです、ほら隣でも保存してるんですよ」と窓から見える土壁の小屋を指差す。立派なものだなあと改めて感じ入る。それにしても彼女の話は耳につくほど「お父さん」が出てくる。「お父さんが何度も出てきますけど、お会いしたいですなあ。」すると嬉しそうに「私、年に二回、三百人くらいの集会で講演を依頼されるんですが、ある人が数えていて三十五回、お父さんが出てきたと数えられた」と言う。すごい夫婦だなあ。
 「ところで年にいくらくらい売り上げありますの?」といつものごとく無粋な質問「レストラン(みち草の駅)や売店とあわせて一億くらいです。」どん詰まりのような小さな集落で一億―――また驚かされた。「多いとき一日三百人くらい来てたけど震災後は少し減ってますね。(かつては二万二千人人来たこともありましたが)年間一万二千人くらいが来られているようです」恐れ入りました。

 食べ終わってから2階に案内してくれ「特別だけど」とソバ打ち、そば切りの現場を見せてくれた八十歳を越えた上山千代さんと七十代後半の上山トヨミさん。(正確を期すとこうなりますが・・・)には自然体でソバを切る姿は一切の道具を使ってない。ひょっとして上を向いていても切れるのでないかというほど普段の顔でーーー。この姿は自分の一生の思い出で消えることはまずないだろう。そこで焼きたての山女もご馳走になり感激。

 そうこうしているうちに「お父さんが帰ってこられた」という。
 記念撮影後はお父さんの作業場、水車小屋の見学。これもまた筆舌を超えた夢のような風物だった。小さな小川だが年中かれることのない川から引いた水路はかなりの勢いでバイパスを流れ直径三メートルもある水車をリズミカルに動かしている。すばらしい。中に入ってその工程をすべて丁寧に教えてくれる。収穫した四十五キロのそばが三十キロの粉になるまで。これと四町歩のソバを仲間と栽培するのがお父さんの仕事。見事な連携プレーで尊敬しあっている。こんな桃源郷のような生活スタイルは私の記憶にはない。自分自身の男として人間としての矮小さを感じながらの時間は何かすがすがしい。仏典そのものに浸っているような素直な自分に出会えた気がした。
 もう一基の水車が少し上流にあり、それも見学、最初に立ち上げた十二人の名前も刻まれていた。そばを碾く石臼を見て「これの手入れが結構ねえ」目立てということだろう。その道具も原始的には見えたが彼にとってはとても大切な道具だと話しているようだった。


 それにしても何と豊かな旅だったことだろう。山田佳奈さん、田沢さん、高家さんご夫妻、出合った人々と幻と思える在来のソバ。本当に有難うございました。

 帰りに名古屋で亀山氏と愛知の在来種保存会に向けた話を老舗居酒屋「大甚」で。
今回の旅はすべて棺おけとともに私の脳裏と付き合ってくれるだろう。

 ええ人 ええ酒 ええ話   の旅でした。

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