ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

260215食・地の座「味覚の展示場」 ひょうごの在来種保存会の展示など

2014年02月23日 | 保存会通信17号

今年も食・地の座のご厚意により、保存会の展示をさせていただきました。
全国スローフード協会の全国大会も共催というためか、過去にない最大規模のブースを用意していただけました。

スローフードには伝統野菜に興味ある方も多いため、今回は小林さん田中さん土井さんというマニアックアカデミックなメンバーと玉○広報宣伝部長という過去最強の布陣で臨みました。

途中に蓋の空いた龍力瓶を片手にした山根さんが参戦。
すると三○さん、大○さんが乱入。玉○さんとの美女3人が揃い(0.2世紀前ならなお良し)、とても華やかになりました。






保存会通信18号(25年秋)  念願の椎葉村へ【山根成人氏真骨頂!】  代表山根成人

2014年01月21日 | 保存会通信17号
これぞ、山根ワールド!!
全くもって匂う文章だ!!
写真もなんにも入れずにアップ!!



 NHKのドキュメントで知ってからずっと行きたかったが、この三月、椎葉勝さんがウチで食事をしたご縁があり(会員の有元さんのご縁)一気に話が進んだ。

 1日のフェリーで大分港へ、2日の朝7時に着いてからが大変だった。阿蘇山は最高の条件で観光できた。雄大な景観と雨上がりの後の晴れ間だろう、みどりの山々が筆舌を超えた輝きで感動。阿蘇神社に参拝し、阿蘇高菜のタカナ飯をいただく。至る所で湧き出る水の豊かさには悔しいような羨ましさも感じてしまった。

 一宮を昼過ぎにたち、いよいよ椎葉へ。高千穂を過ぎ、いよいよ椎葉村に入ったが、立派な舗装道路と思ったより秘境を感じさせない景観にどこか物足りなさを感じながら鶴富屋敷に到着。那須家32代目の末裔というおばあちゃんが鶴富姫のロマン溢れる話を聞かせてくれた。
「民宿焼畑の椎葉さんはどの辺ですか」と尋ねると「あそこはまだまだずっと奥に入らんとな。」まだ山中に40~50分走らないとということ。「どうりでなあ、これでは秘境でないからなあ」と意外な納得。
実際ダムの北岸に沿ってどこまで続くのかと思うほどくねくねと走らされ、最西端からまた奥へ。ほんとに秘境を味わった観があった。

 どんつまりの「民宿焼畑」に着いたのは3時を過ぎていただろうか。勝さんは山に行って明日の準備で留守だったが、ばあちゃんが歓迎してくれ、彼女の豪邸に案内してくれた。「ウオッシュレットやでえ」と、有元さんに聞いていた別棟だった。早くも第一の目的だったくに子オババとの出会い。オババは映像どうりで元気そのもの、それに客(人間)が好きでたまらんという性格が強烈に伝わってきた。
 自分の居間に案内しテレビをつけ過去の録画も見せながらどんどん喋る。最近出来たという本(オババだけを書いた本)も出してきて早速販売、後で勝るさんが言うには「はや売りよったか」。
 風呂に入り、6時半の夕食は本宅で我々入れて14人の食事が並べられていた。ここでもオババがテーブルごとに料理の説明をしてまわる。概ね本やテレビそのものでたくさんの山菜料理に山女の塩焼きがついたもの。名物ワクド汁も勿論。
 さっき大歓迎してくれた勝さんもすぐに自分たちの席に来てビールを飲む。早速オババの喋る姿に「ウソ八百ばかいうからな」という。オババは全く意に介していない。「ホントはな、来るとは考えてなかった。親分ありがとう」、「なんでそこで親分がでてくるんや」、「そらヤクザの町から来たんだから」などと言いながら大いに喜んでくれた。嬉しい嬉しいといいながら途中特製のどぶろくも振舞ってくれた。
 築150年?の家は一面が物入れになり、その木がいぶされ立派な梁とともに黒光りがして貫禄を呈しながら何ともいえぬ安らぎを発散していた。
 一番最後まで粘ってかなりいい気分になったころ奥さんも出てきて記念撮影。はったりやの亭主にぴったりの穏やかで芯の強そうな人であった。

 最後の最後まで心配していた天気だが、何とか大丈夫だろうと誰もがその星空に確信を持てた様に3日の朝は焼畑のための朝だった。
「山根さんのお陰や、先生有難うホンマに」この男は私に「親分、先生、山根さん、会長、大将」など出任せにイロイロな名称をつける。
 7時の朝食を済ませ山に向かう。カテーリと言われている仲間の応援隊と各地からの参加者総勢40人余り、第一のヤボ(焼畑)で勝さんの説明を聞く。彼は心がとても弾んでいるようで、天候に恵まれたことに最高度の喜びをかみしめているようだった。
 予定通り火をつけられるのは6年目、昨年は何度も雨で延期、結果も思ったようにいかなかったらしい。大体の準備と山の神への供物も揃い祈りのときが来た。
 「偽宮司だけどな」などといいながら例の「今からこのヤボに火を入れ申す、蛇、虫けらども早々に立ち去りたまえ、――――――――――」全員が竹で作った杯でカンパイ。無事を祈る。一番の高所から火が入れられパチパチパチと想像以上の燃える音。わき道に沿って下に向かって火をいれていく、しばらくして一面に火が降りていく様はすごい迫力だった。
 半分以上燃え下がったところで下からも火を入れる。オババはなにかぶつぶつつぶやいている「風の神様、下に向かわれくだされ」という風なことを言うていたようだった。小さな燃材を拾いながら終わるまでずっとそういって祈っていた。腰を折って只祈るだけの姿はだんだん荘厳ささえ感じられる純粋さが自分の胸に入り込んでくるのが分かる。近くに寄ると猛烈な熱さと音、その真ん中に立つ自分に何か誇らしさすら感じられる。
「オババ今日のヤボ焼きは何点やった?」と聞くと「あー90・・・いや、100点だなあ」と何十回やった過去を追憶しながらの言葉は感謝の実感にあふれた安堵が漂っていた。

 二つ目の畑もスムーズに終わり昼の休憩。どの顔も満足の喜びに満ちていた。自然の偶然の中で与えられた幸せにつつましい美しい顔に見えた。こんなうまくいくことはそうザラにないのだということはすぐに理解できた。
まだ煙の残るなか、ソバの種が配られちょっとアバウトでないかと思えるくらいの指導で始まった。焼け跡の温度は30度以下になっているのだという。平家かぶらも混植で蒔かれ、その後ヨシ?で作った箒でなでていく。

3時ごろ下に下り「焼畑体験ハウス」に集まり交流会。有志で600万かけて作ったというしっかりしたログハウスはそばうち教室用の道具や昔の農具などが飾られていた。
4時からの交流会はこの焼畑再生会会長の挨拶に始まり全員簡単な自己紹介。東京、神奈川、奈良、京都、姫路、大阪など各地からアメリカ人も一人いる。
鳥と野菜の網焼きをメーンに山女の塩焼き、山女のなまのぶつ切り、コロッケ、ドーナツ、サラダ、などなど。ヒエツキ節の名人も参加「おひねりがないなあ」と愚痴りながら2曲も聞かせてくれ、座が一気に盛り上がった。
延々と宴席は続くが卑しい私は何時もラストまで粘る。お開きのカンパイの音頭をとらせてもらい気分をよくしてもう一杯。宿に帰ってからもまだくたばらない。戻ったとき星が見えずパラパラと雨が降ってきた。みんなに歓声があがる。これで雨が降ったら1週間でそばが芽を切る、降らねば2週間と勝さんが言ったのをみんな覚えていたからだ。
すべてに恵まれていたんだなあ。と誰もがまたまた豊かな気分で床についたことだろう。
母さんの話では夜中雨で目が開いたというくらい降ったそうだ。 言うことなし。

字の書けないオババだが研究者からは「クニコ博士」とも言われている。近辺の植物500種類は食べ方効能まで熟知している。料理の仕方、保存の仕方、生きる知恵、最高の幸せを感じる術。現代の知識人間がひれ伏してしまう本来の人間の姿をすべての動作で演出してくれている。
 恥ずかしさを感じつつも無限の生活力を土とともに生き抜いている姿は神々しいくらい。

 学ぶことだらけの旅だった。彼の息子の龍也は役場に勤めているが後継を決めている。羨ましくも力強い生き方は混迷する現代社会の大きな方向性の一つとしての価値が評価されていくだろう。まだまだ書きたいことが一杯だが紙面がない。興味のある方は連絡下さい。

保存会通信18号(25年秋) 西脇市高嶋のたけのこ 生産者北田さんを訪ねて 小坂高司

2014年01月18日 | 保存会通信17号
 (去年の取材時にアップしましたが、通信掲載版もアップします)


 昨春、西脇市の農産物直売所「北はりま旬菜館」でお客さんが取り囲んで筍談義の中心となった「高嶋のたけのこ」。
 この産地を調査してきました。

 お話を伺ったのは、高嶋のたけのこ生産者、北田さんです。

 明治中頃、山本宇ノ介さんが京都から竹を5本買い、荷車引いて一日かけて帰ってきました。この5本を元に増やしてきたのがきっかけです。

 竹林は約3ヘクタール、十戸ばかりの方が所有されています。昔は市場にも出荷していましたが、現在は4件が直売所等に出荷しているだけで、他は自家用のようです。

 筍の作業は冬の竹林づくりが最も大切です。竹の根は毎年広がっていくので、手入れをしないと土中に根が張りすぎ、土中が詰まってしまい、筍は小さく形も悪くなります。そのため、竹林では毎年、110センチくらいずつ、土を上に載せます。
 毎年少しずつというのが大切であり、一度に積むと土中で竹になってしまうとのこと。毎年の作業が必要なんですね。
 盛る土は、夏の間の草や落ち葉など田山の有機物と竹林の一部の土を掘って、筍を生育させる区画に土を移動します。
 土をとってしまった区画は竹も根も掃除してしまうこととなりますが、また周辺から根が伸びてきますので、数年後はその区画で収穫できます。
 年月をかけて土が竹林内をぐるぐる回っているのです。養分も、筍を出荷して外に出て行く分だけ、外から田の草などの有機物が供給されていて、まさに資源循環された世界です。

 土づくりのほか、竹の管理も大切です。手入れされた竹林は竹と竹の間が広く、適度に本数管理されています。
「傘をさして歩くことができる」というのはよく言ったもので、筍にじゃまにならず、土に日が適度に当たり、作業性も良い間隔です。
 また、生えている竹も「親竹(おやだけ)」と言い、周辺に他の竹は増やさず大切に管理され、何年間も筍を産みます。
 北田さんの園では親竹に生えた年が刻まれており、これを目安に数年から十年程度の間に更新が行われています。
 更新は一定の年月が経った親竹周辺で、目に留まった筍をそのまま大きくされ、4メートルくらいになった6月頃、大きく左右に振られます。振られた若い竹はまだ強度ができていないためか先が折れます。
 一定の高さで先が折れるとその上には伸びず、枝を張ることとなります。こうすると雪や風に倒れなくなるということでした。伝統の知恵ですね。


 30年位前は共同の加工場が設置され、ゆでたけのこを缶詰(一斗缶)や瓶詰めにし、市内の飲食業や市場で出荷されていたそうです。現在でも一部の家庭で缶詰加工が残っているようです。
(取材後にページに掲載しましたが、通信用をアップします)

 たけのこ栽培は10月に米づくりを終えた後、11月から冬の間、家族で山の手入れ作業を行い、5月まで収穫を行うという、年間の作業が米づくりと相性が良いようです。北田さんも「子供の頃、鍬もって家族総出で土を動かした。」そうです。


 お話を伺ったあと、園に行って収穫方法を見せていただきました。美しく手入れされた竹林の一部にひび割れた地面があり、北田さんが「ココに1本、出かけてます」と。

 これだ!

 これがテレビで見た筍収穫のお決まりの光景です。でも実際に見ると起伏や枯葉もあり、結構わかりづらいものです。
 「(筍先端の)葉が見えれば、どの方向に生えるか、わかりますよ。方向がわかれば、地中の姿や根の位置もわかるので、傷をつけずに収穫できます。」
 北田さんは地面の割れたところを丁寧に鍬で掘り始められます。
 しばらく掘ってみるが、あれ?出てこない。。。?・・と思った瞬間、地中から黄色い葉先が見えてきました。てっきり地面にひび割れができているものだから筍はすぐそこのところにきているのかと思いましたが、10センチも深いところにありました。

 丁寧に周辺の土を取り払われると、特別の鍬の登場です。なんと刃が1メートルもある特注。これはテレビでも見た事無い。「もう少し長いものが欲しいのですけどね。」と北田さん。こんな鍬、いったいどんな使い方をするのかと思えば、テコの原理で掘り起こさます。

 根の位置をしっかり確認してこの特注鍬で「グサッ。グイグイ・・・ぽこっ。」とまさに匠の技です。
 30センチくらいでしょうか。「この筍は土のまだまだ土の中で大きくなるけど、食べるにはこのくらいが美味しい。」というサイズだそうです。

 掘った後の穴には鶏糞ひしゃく2杯の「お礼」を入れて綺麗に埋め戻します。説明いただきながらですが堀始めから20分くらいかかったでしょうか、この手間による対価として考えると、かなりサービス価格でないかと思います。
 高嶋のたけのこは白く太く美しいたけのこです。
 たけのこは日に当たると皮に色が出るとともに、地上に出た筍としては動物に食べられないようにアクを発生させるのですが、日に当たる前に掘り出す高嶋のたけのこはエグ味も無く、柔らかくいただけます。

 私も旬菜館で買ったり職場の方からいただいて食べましたが、太い部分も「束がほぐれる」といった感じです。「アクが少ないのでヌカがいらない」というのも納得。筍の刺身は苦手なので、軽めの水煮でいただきましたが、香り高く歯切れ良く、当然ヌカの臭いも無いので塩も醤油も無くおいしくいただけました。「この竹林からこのようなすばらしい筍が出来る。この先人の残した財産をなんとか次世代につなぎたい。」と北田さんお二人。高嶋のたけのこが新しい動きを見せ始めました。

2014年2月15-16日 史上最強の地産地消軍団、その名も『地の座』!!第8回目の「味覚の展示場」

2014年01月14日 | 保存会通信17号
農商工連携とか六次産業化とか・・・そういう前より本格的に動いているんですよね

農業サイドからの動きではないんだな・・これが・・・

商工サイドから強烈に一次産業を引きつけて、地場農水産物を使った新商品の開発を行う


開発された商品はこのような人目に晒されて・・・審査員はたくさんの市民・・・


すごい


この活動・・・・・・・・・最強の地産地消だと思う


今回も保存会、でるよ


多分・・・(企画者の心情)



保存会通信18号(25年秋)9月3日で10年になりました 代表 山根成人

2013年12月15日 | 保存会通信17号

 昨年より何回か10周年にちなんだイベントをさせてもらいましたが、一応、7月27日の江頭先生講演会で締めくくりと致します。
 農学を学んだこともない自分が代表となっての運営は、やはり素人っぽく、専門的な成果は残せなかったと自認しております。その点歯がゆく感じておられた人も少なくなかったと思いますがどうぞご寛容ください。私自身は「営々と種を採る人」に照準を当て、県内を走り続け沢山の生産者や地域を守ろうとする人々にお会いできたことは最大の幸せでした。このあとは、今までのように新しい発見がどんどん出てくるとは考えられませんし、誰か一人が全県を走るのも現実には難しい面も多いので、先日紹介しましたように県内5地域に分けそれぞれに代表をお願いして、地道に息の長い活動になってくれればと願っております。出来れば行政単位に一人ずつくらいの多くのリーダーが生まれてくれれば、隅から隅までの調査が出来上がるのでないかと考えております。

 もう一つ、今までひょうごの在来種保存会だったのを、保存創生会?とでも改名して100年先の在来作物の創出に向けた活動に大きな期待をしたいと思っております。現在ある在来種を栽培し、その地に合う特性を創出しながら次の代に伝えていくーーーこれが私たちの活動の根本理念だと考えています。日本の作物のほとんどは外国からの帰化作物でした。今もいろんな新しい作物が導入されております。それも今後の在来種となる可能性を十分もっております。一番大事なことは自分たちの命の継続を誰かに委ねないで自立できる農、自給できる農ということが最終的な夢ではないでしょうか。あまりにひどい兵庫県の自給率はすこし頑張れば改善の希望も大きいと思います。孫子のために建てた家、自分が見ることの出来ない50年先への植林、そんな我々の先祖の魂に命の原点と生きる感動を覚えながらチマチマと採種する豊かさを確信したいと思っております。

 尚、何もかもやめるのか尋ねられたりしますがそんなことはありません。種に遊んでもらいながら人生を終わりたい。具体的にはイベントの企画と通信の作成という2本の柱はと運営からは離れ、個人として県内の今までのお付き合いを再確認しながら楽しませてもらいたいと考えております。本当にながい間有難うございました。

250928「いわき昔野菜」の皆様との交流会in梅澤糧穀~福島県から保存会を訪ねて来られました

2013年11月04日 | 保存会通信17号
福島県いわき市からはるばるひょうごの在来種保存会を訪ねて来県されました

いわき市役所と企業組合の方など6名

山形在来作物研究会(山形大学江頭先生)からの紹介だとか
  先生、いろいろ活動されてますね
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/nousuisan/010005.html
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/nousuisan/010001.html

いわき市では昔野菜として在来種を調査され、いろいろな取組みを進められています
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/nousuisan/009997.html

また、成果をこのように冊子として出版されています
いわき昔野菜図譜です
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/nousuisan/013211.html
すばらしい本ですね
その参までありました

交流会は、山根さんの司会によりいわき市の取組みをお聞きした後、保存会の取組みや在来種の紹介、梅澤さんの料理をはさんで現地見学です
簡単にいうと・・・山根さんの独演会です(笑

ちょっと私は午後にはずせない予定があったんで、昼食で失礼しました
午後の状況はわからないのですが・・・ともかく写真ですわ

太いオクラはご存知八代オクラ。そのままガブリ!!

黄のお皿は(早掘り)姫路えび芋!!



250928保存会通信編集会議 梅澤さんとこでモーニングいただきながら・・・

2013年11月03日 | 保存会通信17号
皆様のお手元に保存会通信18号が届いていると思います
これからアップしていきます

その前に・・・

忘れてた

編集会議ってもんしてるんですわ

今回は、田中さん、池島さん、玉田さん、小林さん、小坂にて、梅澤さんとこの2階で

写真だけアップします

ボリュームたっぷりで美味しいモーニングでした



くつろいでいたら、玄関で少々騒がしい集まりが・・・。
次第に階段上がってこられて、そのまま2階の大部屋へ。

騒がしい中心は良く聞く声・・・
・・・「山根さんや。」・・・

続く

250727山形在来作物研究会に学ぶ 番外編

2013年08月15日 | 保存会通信17号
やはりあったか、懇親会です

まずは奥播磨をKEEPです


今日もすばらしい料理です


ほんとに美味しい!
前はお豆腐料理関連だったのに、今はいろいろ楽しめます。
食べるほうにとってはとてもいいことです


これは
そう
美しい断面!
オランダトマトです


ご機嫌さんです
今日もお疲れ様でした

保存会10周年記念 山根成人さん渾身の最終回 映画「よみがえりのレシピ」と山形在来作物研究会江頭先生

2013年06月18日 | 保存会通信17号





第三回 10周年記念映画と講演

 山形在来作物研究会に学ぶ

山根成人
「私自身が将来の在来種保存活動で最も敬意と期待を持っている山形在来作物研会の会長、江頭宏昌氏をお招きして、彼らの創った映画と講演会を下記の要領で催します。きっと喜んでいただけると思っておりますので是非ご参加下さい。」


●と き 7月27日(土) 9時受付開始 終了予定17時
●ところ 兵庫県立大学 姫路環境人間キャンパス (姫路市新在家本町)
●参加費 2000円 (映画のみは1000円)

昼食各自持参(別途依頼あり)

●予 定
・9:30 開会挨拶 山根 成人
・9:40 映画「甦りのレシピ」
(当会世話人ハリマスロフード協会との共催)
・11:30 挨拶 保存会10年の生みの親 保田茂 氏
       神戸大学名誉教授

・12:00 昼食
・13:00 講演 甦りのレシピと在来作物研究会の10年
       山形在来作物研究会 会長 江頭 宏昌氏

・15:30 対談 山形と兵庫 山根 成人 江頭 宏昌氏
・16:00 終了
・16:10 保存会今後運営の各地域の代表世話人の紹介
      ・摂津三田地区 小林 保
      ・但馬地区 北村 宣弘
      ・丹波篠山地区 酒井 菊代
      ・神戸淡路地区 小坂 高司
      ・ハリマ地区 田中 秀樹 池島 耕
       ・国内全般 土井 孝浩
•17:00 閉会

● 参加のお申し込みは下記へお願いします。

【注意】講師の足の都合もあります。宴会するかもしれません。昼食がかわるかもしれません・・・・・・。
いつものことですが、予定がかわるかもしれません。
修正がありましたらこのページでお伝えしますので、申込された方は、時折、チェックしてください。


ひょうごの在来種保存会

【本 部FAX 079-284-3330(これが一番確実)
E-mail : seed-yamane@giga.ocn.ne.jp

【神戸支部】sakura148@mail.goo.ne.jp

保存会通信17号(25年春)【活動報告】(2012年9月~2013年3月)

2013年06月16日 | 保存会通信17号
【活動報告】(2012年9月~2013年3月)

11月4日 

エビ芋収穫芋煮祭
今年は最悪に近い不出来。各地どこも悪かったというのが慰めみたい。
夏の焼け付くような乾きが大きな原因だったようだがーーーちょっと工夫努力も足りなかったのではと


11月7日

初めての神に感謝
姫路の護国神社の宮司(スローフードの平井さんの友人)気持ちよく受けてくれたので収穫物をお供えして神(自然)に感謝。
姫路のエビ芋、姫路ショウガ、神力米と龍力酒造の新酒、加西の大豆など供える。
来年からは23日の新嘗祭の日にということに。
護国神社を誤解しないでーーー皆さん近隣各地で身近な神社で祈りのときを持つのは無意味でないと思います。
護国神社= 右より思想――― 関係ありません。くれぐれも。
平井さん曰く護国は五穀ということでーーー。県内の神社はみな五穀豊穣祈願の神さんで。


11月10日

柳田さん宅へ。この日から10年の活動をまとめるための再訪問を始めたがその第1日目だ。
明日の篠山山の芋イベントの前日で夫婦で泊めてもらう。
美酒を頂きながら今までの話を確認する。
彼は当会の代表的なモデルでもあるし、私の最も大切な生産者の一人である。
いや生産者には止まってない活動家でもある。


11月11日

丹波山の芋を応援する会
大阪の住本君の呼びかけ、中村重男さんの男気で実現した一流シェフの料理会。
こんな心意気に感動した。詳細は別記


11月12日

鳥取のショウガ
年を感じさせない爽快な人と出会えた。
中原孝志さん(80)。
60年前に姫路から導入したのが始まりという縁に驚いた。
浜茶のも出会える。詳細池島君別記。

その後竹野海岸で昼食を用意してくれていると久保さんからの連絡。
流木を整理しそれで塩を作り地域活動にしている福田則雄さんと竹森明光さんには頭が下がる。
羽釜で炊けた飯に久々感動。
その後クワイがあるというので近くの笠浪幸壽さんを訪問したが、自家用を小さな溝に植えつけているだけだったので
増殖をお願いする。
ただこの人もマルチ百姓,自給生活に近く、すばらしい生活者だった。
但馬はすごい、すごい。


11月24日

駅前講座の最終日。4人入会


12月2日~3日

赤花そば、 井口さんとのお別れ
2日は北本夫妻と4人で赤花ソバの本田さん訪問、休業中の民宿にむりやり宿泊。
翌日もソバ談義と工場見学。

3日はイゴ芋の田野良幸さん訪問。
偶然井口さん入院と重なる。
詳細別記。


2013年1月11日

印南野学園講演 松島先生入会
25年来の知人で元播磨農業高校の池上先生と連絡とってくれ、入会してくれ地元西脇市で協力お願いする。


1月12日

大屋有機農業学校で講演。
あとの昼食会で種の話題が出て今後につながる。詳細別記。


1月21~24日

長崎、福岡の旅
私的な旅であったが長崎で岩崎さんの畑見学。
福岡で古野さんの畑見学。詳細別記。


1月26~27日

食「地の座」の市。
今年始めて展示を取りやめた。
スペースがなくなったこともある。
生産者は数人出展。大盛況でマンネリ打破の勢いだった。


2月2日

丹波若者百姓出会いの会
詳細別記。福岡と池島この会のことは何年も前から気になっていたが小沼会員が世話人の一人と聞き、初めて案内してもらった。毎年100人くらいの若い百姓が夜を徹しての集いを続けているからだ。
聞けば17年続いているというから驚きだ。
参加申し込んだところ逆に講演を頼まれることになったが実に感動的な集まりで、播磨と何らかの接点ができたらいいなあと実感した。
夜冷えるのも怖いし、その日のうちに帰ることにしていたが、だんだん帰りたくなくなってくるほど不思議な魅力があった。
こんなオジンがそんな気分になるんだからね。
何故だろう、まず自由であるこは言えるなあ。


2月6日

甦りのレシピの渡辺監督と農業会館で3月9日のシンポジウムで上映する映画の打ち合わせ。
監督といってもまだ30歳ちょっと新進気鋭これからの人だ。
自ら全国をPRして奔走しているようだった。


2月17~18日

引退記念イベント
岩崎政利さん船越建明さんを招いて。詳細は別に資料あり。
10年前から夏の江頭さんと三人で私のトリをやってもらおうと決めていた。
この日のためかなり労力を使ったが楽しいものだった。
参加180人余り、県外から研究者たちの参加もあり充実したものになった。
今になって気配りの足りなかったのは坂番さんと浜口さんが前日から姫路に宿泊していることを知らなかった。
多分岩手からの山田佳奈さんも前日からだろう、当日も交流会も出たのできっと姫路で泊まったことだろう。
酔って気が回ってなかったのは言い訳にならないな。反省。
初めてなので少し心配していた「かもめ食堂」船橋律ちゃんの弁当も好評を得た。
米や野菜も大半はメンバー栽培のものを使ってもらい、今後に自信をもてただろう。   
交流会の豆の蔵もいつものことだが60人近くで溢れかえったが大した不満も出なかったように思う。
参加者の皆様、手伝ってくれた皆様本当にありがとう。
翌日は田中君や牛尾さんの畑に行ってもいいと思っていたが天気も悪かったので朝食後ウチの茶の間で田中君、浜口さん合
流して昼間で喋っていた。
結構中身のある時間で却ってよかったかも。


3月3日

名古屋で
小用で東京に行っていた帰りに、先日の講演会に参加してくれていた金ごまの亀山さんと愛知在来種保存会設立に向けて活動を始めた高木さんとゆっくり話しようということで名古屋駅で会う。
高木さんは農業畑一筋で私なんかよりすべてに優れた人物だった。。
JA営農部で長い経験を持ち、名刺には23億売る直売所「あぐりタウン・元気の郷」のフードクリエーター、日本野菜ソムリエ協会講師、岐阜県立国際園芸アカデミー非常勤講師、調理師など多彩である。
裏面にも「種工房」とかコンサルタント有限会社「いちゆう」代表取締役とか。
話はすぐに核心に入り、自分の今までの人生を打ち明け、今からの為の現在の心境を話してくれたので、私のほうも同じような気持ちになっていた。
人の心をつかむ訓練ができているというか天性のものか「仕事の出来る男」だなと感心した。
種を扱って収入を求めるなら種屋をやればいいが、私としてはいつもの調子で
「アンタ、もう十分儲けてきているし、今後も講師料だけでもかなりあるようやから、もうお金儲けはやめてむしろ持ち出しになる仕事した方が豊かになりまっせ」と提案。
「ここですっきりふっきれました」ということで決着。
今後に向けては何の問題もなさそう。
立派な仲間ができたと実感できた1時間だった。


3月9日

食の研究会
甦りのレシピ上映と奥村彪生氏 今回は自分の提案も通り充実した内容を期待していたが、それ以上の成果があったように思う。映画は夏に再度姫路でやることになっているが、十分期待できる。
結局は江頭さんプロディースだが、それもとってもよかった。
彼もそれなりに絵になっていたし、学者的な硬さもなく自然体での語りが全体のレベルに一役買っていたように感じられた。
それにしても渡辺監督は若いのにうまくまとめているなあと感心。
今後我々の活動に教材としてとても役に立つことは間違いない、ありがとう。

奥村先生は今年の一月にそ早朝のNHKラジオ番組を夢うつつの中で聞いていたが、とてもいい話だったので、彼のことを思い出し、今日のイベントに呼んでくれるように頼んだ。
民俗学と伝統的な食の世界を自由に話している世界は他にはあまりない。
種のことも含め、我々現代人の今一番の問題は「どう生きたらいいのか、どこに向かって進んだらいいのか」であり、それはどこから生まれたかという基礎的な精神生活を失っているからだと思う。
根無し草だからどこに飛んでいくかが分からない。
単なる経済成長しただけ、科学研究での成果、あらゆるテクノロジーなどすべてがそのこと単体だから、行き先が分からないままなのだ。
そして誰も気づかず走り続けている。

伝統的な食と文化、民族の成り立ちを学び、そこに精神の基礎を置く。
また動物的にそのことに気づいているから歴史、先祖、存在の真実などの学びに目が行き始めたのだろう。
奥村彪生氏はその意味で日本でこの分野の第一人者であろう。
というより他にいない。
経歴自体は一流でないのと結構楽しみながらの生活だから学ぶものも軽い気持ちで受けてしまっているきらいがあるが、早急に学問の総合的な基礎にすえつけねばならないだろう。
文学、社会学、哲学、理学、工学、建築学、栄養学、環境学、すべてにおいてこの歴史を学んでおく必要があるだろう。
後の交流会にも付き合ってくれたが75歳、そう何時までもというわけにもゆかない。
ずっとお呼びしての勉強会を続けていく場を作り出そう。

保存会通信17号(25年春)九州旅。岩崎、古野 保存会世話人代表 山根 成人

2013年06月11日 | 保存会通信17号
2013年1月21日~九州旅。岩崎、古野
保存会世話人代表 山根 成人

久しぶりに長崎旅行だったが、とにかく岩崎さんとこに最初に寄せてもらうことにした。
武雄温泉からレンタカーを借り、昼前には待ち合わせの展望台に着いた。
早速畑に向かう。

途中びっくりしたのは畑の土。
真っ赤といえるほどの赤土でテニスコートで時々見られるようなどぎつい色だった。
後で聞いたらこれは客土して入れたのだと言う。
「その土で作ったものは高く売れるとか言うてますよ」てなこと。

畑は3箇所見せてもらったが、1月末というのにどの畑もまだまだぎっしり元気な野菜が生きていた。
これをどうやって売り切るのだろうかと人事ながら気になった。
それにしても彼の説明を聞いているとこちらまで楽しくなるほど全く曇りがない。

「野菜の種はかわいい」と彼は言うが、それから育ち、また次の種を育む野菜たちにも同じようなまなざしで付き合っている。
一つ一つ入手の経路とそのルーツを語る姿は楽しくて仕様がないくらい生き生きとしている。
ダイコン、カブ、ブロッコリー。
2つ目には人参、水菜、ネギ、キャベツなんかがいづれも200メートルくらいありそうな長い畝に作られている。
前に来たときはこの2番目の畑であることはおぼろげながら記憶に残っていた。

100軒余りの消費者に配送していくだけでも大変な作業。
勿論作付け面積から言えば他にも販売先があるだろう。
「何人かに手伝ってはもらいますがね」

家族は奥さんとお母さんくらいだから収穫はほとんど出来ないだろう。
それに講演、集会、採種と保存、「ようやるなあ」としかいえないが、楽しそうな姿を見ているとそんな心配は無用だ。

耕作面積は3町歩、最後の畑は親戚に頼まれたと言うていたが、その奥には小さな休憩小屋も作り、中にはプロジェクターまで用意されていたから、ここにも見学者が来るのだろう。

作物の性質と味も一つ一つ克明に説明する姿からは実際に栽培し、食べているということが伝わってくるから聞くものを納得させ
る力がみなぎっている。
おろしダイコンにはコレだとか、カブの美味さではコレが一番とかすべてに実際に体験したものが言葉になっているところがすごいと思った。


昼を近くの食堂で済ませ、茶を飲みながら1時間余り喋っていたが飽きることがない。
めったに会うこともないが何のわだかまりもない会話が弾む「同胞なんだなあ」と感じあえる仲間であることを実感。
幸せなひと時を作ってもらった。


2日目は平戸へ、
長崎よりは勿論鄙びているがそれなりの歴史がある町で、古い商店街は味があった。

店は閉められていたがまだ現役だろうと思わせる種屋さんの立派な看板を見て思わずシャッターを押してしまった。
三浦按針の住んだ家が品のある喫茶処としていかされていたのも印象的。

観光は一応終わったのだが、
「母さん、ワシ古野さんに会いたいんやけどなあ、電話して、もし具合が悪いか、歓迎してくれ
ないようやったらこのまま帰る。もし歓迎してくれたら博多でもう一泊してもええか? ええやろ?」
「ええでえ電話してみたら」
長い間顔は合わせてないし、声も10年くらいは聞いてない。
どういうかちょっと分からなかったがとにかく電話。

運良く奥さん(久美子さん)が電話に出た
「ああ古野さん。姫路の山根やけど、久しぶりです」
「やあーー山根さん、お久しぶりです」
もうこの声のトーンでよかったと確信できた。
「長崎へ女房と旅してたんやけど、どうもあんたらに会いたくなってなあ、急に電話したんやけど」
「まあ懐かしい、寄ってください、今どこですか」
「着くのが遅くなると思うのですがね、今武雄温泉4時ごろになるかも。それにそっちの都合もあるやろし」
「いいですよとにかく来て下さい」

亭主の返事も聞かずにええんかいなと思うたが
「今日韓国から二組来ていて若い研修生ともう一組は今田んぼで電気柵の説明してるから夜一緒に食べましょうよ」
と言う。
「そんならお言葉に甘えまっせ、着いたら電話しますわ」

こんな調子で気分よく訪問できることになり、桂川駅まで久美子さんが迎えにきてくれた。
「隆男さんは現場で研修中だからもう少し遅くなりますけど、私が畑の案内させてもらいますよ」
この親密感はなんだろう。

小雨まじりの夕闇の中の畑の見学、
ここは岩崎さんと違って野菜類が殆ど収穫を終え、もう春の準備が感じられる様子だった。
広い畑の中、500メートルくらい先に3人の人影がある
「あれダンナか?」
「そう、現場で指導してるのよ」
まさにくれかけようとしている圃場の一角で話し合ってる農民3人の姿は何ともいえぬ情感は美しい絵でもあった。

それにしてもこの一箇所で6~7ヘクタールがかたまってある。
ここもここもと殆どが古野の圃場。
頼まれるというより貸してくれと頼み込んだというからすごい。

「ここは電気柵してるでしょう。米をやる田んぼは全部電気柵してるからよく分かるでしょ」
一番広い圃場から少しはなれたところではレンコンまで植えている。
まだ真っ暗になってないので少し離れた畑も案内するといって里山の裏側に回った。
「ここは私の郷のほうでね。ここは田圃だけ、後何もやらない」
という小川沿いからさっきの里山に向かう。

途中、古野さんが始めて就農したときの1年間堆肥つくりだけに費やしたという畑―――やはり思い出の詰まった地なのだろう。
地にはいつくばって草と土に命をかけてきた男のスタート地点だなあと我がことのような感慨をおぼえた。

終わったときもう闇になっていた。
しばらくしてダンナが帰ってきた。

「ヨー済まんな。前触れもなしに」
「よう来てくれてホント嬉しいね、今日はにぎやかだから一緒に飲もうと思ってね、ちょうどいい」
この挨拶で長い間会ってない空白は完全になくなった。

若い研修生が4人、畑にいたのが3人、7人の韓国人とにぎやかに楽しい晩餐会になった。
久美子さんのキムチつくりの先生という女性のキムチはあっさりとしていて今まで初めて味わったことのないものだった。
特に水キムチはうまかった。

「この酒飲んでくれ、ウチの米で作ったものや」
「へーーそれはよばれんとあかんなあ」
無農薬ヒノヒカリ、いわゆる飯米で作った酒「一鳥万宝」
カモの働きで出来た無農薬の純米種,有機米というのはザラにはない。
まさに宝物、少しある酸味が甘く感じられる女性好みの酒かなと思いつつ、こんな酒がここで飲める幸せを感じながら盃を重ねた。
国宝級とかいう「韓国の秘蔵の焼酎も取り出して宴は盛り上がった。

「山根さん有機農業やっててよかったですねえ」同感。
当時はよかった。

最高の旅ができた三日間、生きていることに感謝できた。ありがとう。

保存会通信17号(25年春)在来種と土の関係  保存会会員 西山 雄太

2013年06月10日 | 保存会通信17号
在来種と土の関係
              保存会会員 西山 雄太

「種採りの際に、どういう土の状態を作っていけば良いのか?」
これは悩ましいテーマです。

種採りの技術書はあっても、良い種をとるための土の状態については、ほとんど記載はありません。
在来種も種だけで、その味や形ができてきた訳ではなく、その地方の風土(気候や環境、土)が育んできたものです。
その種の個性を残していくためには、昔からその種を育ててきた人と同じような土づくりも一緒にしなければ、本来の個性を引き出すのは難しいのではないでしょうか。

種採りと土の状態について、先日の講演会の後の懇親会で、岩崎政利さんから話を伺っていると、
「関東の土は耕土が深くて羨ましい、うちは30センチほどしかないから」という話がありました。
岩崎さんの畑は、種採りに向いた万能で理想的な土なんだろうと、漠然と思っていましたが、やはり合わないものもある個性のある土だという事でした。
岩崎さんはその環境の中で、合う作物を育て、より本来の特性を持った状態を残されています。
在来種も、それを育む土も、良し悪しの2択で判断することはできず、その個性や特性を、発揮させる環境を用意することが、大切であると改めて気付きました。

その種に合う土、そこに普遍的な答えはなく、元々の土の状態、種採りをしてきた方の土づくりの方法など、様々な要因を組み合わせてできる個性の上に、成り立っているようです。
自分の育てる土や環境を知って、種の個性を育める土の状態をつくっていくことが、これからのテーマの一つです。