幸せのカケラ

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笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

メールは便利。そしてそこにある落とし穴。

2008-07-21 00:58:07 |  ├日常のまぬけな話

インターネットが普及して、メールが日常のツールとなって
人と人とのコミュニケーションの形態もだいぶ変化してきました。

直接会って話すだけだった時代から
人は手紙を書くことを得、電話を得、FAXを得、そしてメールへ…

メールというものは、相手の状況を選ばずに一方的に
自分の都合を伝えることが可能です。

わざわざ自分の時間に合わせてもらわなくても、
相手の都合のいい時間に見てもらえればいいわけだから
一見するととても便利なツール。

でもこれを使い間違えてしまうと、とても失礼で不快なものになってしまいます。

メールはあくまで、人と人を結ぶコミュニケーションツールのひとつです。
使っているものはパソコンであったり携帯であったりと、「機械」ですが
使っているのは送信者も受け取り手も人間。

だからそこにも「最低限の礼儀」は必要です。

仕事においてもプライベートでも、時々「はぁっ?!」と相手の感覚を
疑いたくなるメールがあるな~と思います。

夫と2人で「こういうのって困るよね」とがっくりきてしまうもの。
それは…

『ごめんなさい!急遽行けなくなったのでキャンセルで』
『ちょっと遅れます~!』

なんていうメールがパソコンに届くとき。

この人はこっちが一体いつ、パソコンを開くと思っているのだろう?
こっちの都合は考えないのだろうか?
この時点ですでに準備して待っているというのが、わからないのだろうか?
こっちにも次の予定があることを考えないのだろうか?

そもそも自分の都合で一方的にキャンセルしたり遅れたりするのに
電話で謝ってくるわけでもなく、事情を話すわけでもなく
メール一本打っておしまいかっ?!
…と。

当然のことながら、その人に対する不信感は増してしまいます。
その後関わりがあったとしても、どこか信じきれない部分が存在したままです。

またドタキャンされるんじゃないか。
またコミュニケーションがちゃんととれないまま不快な思いをさせられるんじゃないか。
また平気で遅れてくるんじゃないか。

メールを送信するのも受信するのも機械がやってくれますが
その向こうに人間がいることを忘れてしまっては人間関係は成立しません。

メールだからこそ、顔が見えないからこそ、誠心誠意。

内容や状況にもよるので、メールでの連絡が、全部が全部悪いというわけではないけれど、
相手のことを考えることができる人なら、ギリギリの遅刻や欠席の連絡を
無機質なメール1本で終わらせられるはずがない、と私は思うのです。

自分だけではなく、相手のことも考えてキャッチボールするのがコミュニケーション。
約束したから準備して…その日のために時間を割いたり、材料を買ったり、
都合をつけたりと、人は動いているのです。

「仕事だからごめんなさーい」も言い訳にはなりません。
待ってる人だって仕事でしょ?

メールの使い方ひとつで、壊れてしまう人間関係があることを
私たちはもっと知っていてもいいですよね。



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