講師として人前に立って
専門知識を伝えたり、場をリードするには
それなりの器が必要です。
「私なんて、まだまだ」
「私には無理」
そう思う必要はないけれど、
前に立つと決めたなら、講師としての自分を創っていく作業が必要になります。
受講生は、時間とお金をかけて来てくださる。
講師がそこをお腹で理解しているかどうかは大切でしょ。
インターネットや本に乗っているような情報なら
講座に通う意味はないもんね。
自分で調べればいいんだから。
体験談を話すのも大切ですが
それは、あくまでプロとしての伝えるという立場に立っての
内容や伝え方になっているかを見ることがポイントです。
素人に毛が生えたような体験談や個人の話を延々と聞かされると
受講生は辟易しちゃう。
自分が受講生になって、反面教師で教えられたことがたくさんあります。
他の講座への誘導や宣伝に終始したり
本を薦めて、講座ではその本の中から抜粋して話をしたり
ネットで調べることを勧めたり
自己紹介に半分近くの時間を割いたり
プロとしてではなく、世間一般でよく耳にするようなことを最もらしく話したり
「時間がない」と言って専門的な話を何もしなかったり…
そんなことをして、受講生は「来てよかった」と思うかな?
続きがあることや、その世界が奥深いのだということを説明されても
自分のカラダに落とし込んで何かを感じられなかったら
その先に広がる世界を“この講師から”見せてもらいたいとは思わない。
何の知識も感覚も得られない講座では、残るのは不満ばかり。
講師として、受講生に何を伝えたいのか。
何を持ち帰ってほしいのか。
すべてを理解できなくても、
自分の世界が広く深くなっていく感覚が持てるかどうか。
『伝える』立場にある人間にとって
それは常に向き合い、取り組んでいくことだなぁって。
受講生は敏感です。
講師としての自分の器は、
ただ「知っている」という知識だけでは創っていけないものだから。
自分が受講生になると、改めてそんなことを考えさせられます。
専門知識を伝えたり、場をリードするには
それなりの器が必要です。
「私なんて、まだまだ」
「私には無理」
そう思う必要はないけれど、
前に立つと決めたなら、講師としての自分を創っていく作業が必要になります。
受講生は、時間とお金をかけて来てくださる。
講師がそこをお腹で理解しているかどうかは大切でしょ。
インターネットや本に乗っているような情報なら
講座に通う意味はないもんね。
自分で調べればいいんだから。
体験談を話すのも大切ですが
それは、あくまでプロとしての伝えるという立場に立っての
内容や伝え方になっているかを見ることがポイントです。
素人に毛が生えたような体験談や個人の話を延々と聞かされると
受講生は辟易しちゃう。
自分が受講生になって、反面教師で教えられたことがたくさんあります。
他の講座への誘導や宣伝に終始したり
本を薦めて、講座ではその本の中から抜粋して話をしたり
ネットで調べることを勧めたり
自己紹介に半分近くの時間を割いたり
プロとしてではなく、世間一般でよく耳にするようなことを最もらしく話したり
「時間がない」と言って専門的な話を何もしなかったり…
そんなことをして、受講生は「来てよかった」と思うかな?
続きがあることや、その世界が奥深いのだということを説明されても
自分のカラダに落とし込んで何かを感じられなかったら
その先に広がる世界を“この講師から”見せてもらいたいとは思わない。
何の知識も感覚も得られない講座では、残るのは不満ばかり。
講師として、受講生に何を伝えたいのか。
何を持ち帰ってほしいのか。
すべてを理解できなくても、
自分の世界が広く深くなっていく感覚が持てるかどうか。
『伝える』立場にある人間にとって
それは常に向き合い、取り組んでいくことだなぁって。
受講生は敏感です。
講師としての自分の器は、
ただ「知っている」という知識だけでは創っていけないものだから。
自分が受講生になると、改めてそんなことを考えさせられます。