慶応大学看護医療学部での講演会、無事に終えてきました。
お越し下さったみなさま、ありがとうございました!
おもしろかった!
共感した!
という声をくださった患者経験のあるみなさま、看護を学んでいる方々他
しっかり受け取ってくださったみなさま
ありがとうございます。
私が病気を通して見つけた心と体のつながりは
病気とは関係なく、すべての人に通じるものです。
それをダイレクトに経験してるか、
気づかずにやりすごしているかの違いなだけ。
心の状態は体に現れるし
体の状態も心に現れます。
なので、体調不良がすべて体だけの問題とは言えないし
もちろん心だけの問題とも言えません。
人間はすべて数値化できるほど単純ではありませんので
「数値に現れない≠異常がない」です。
一方、人間は驚くほど単純な面ももっているので
「心と体と魂はすべてつながっている」という視点から本当に大切に自分と向き合えば、心と体は必ず応えてくれると思うのです。
そしてこれは別に「病気」という限定された場合に限らず
ごくごく普通の日常を送っている人すべてに当てはまることだと思います。
ただ残念ながら、
私も含めて“大きく健康を損なう”等の経験をしないと気付けない人が多いわけですが。
私の長きにわたる闘病生活は、西洋医学側にのみ立つ方々からすると
「???」
という点も多いだろうと思います。
受け入れたくないと思う医療者もいるだろうなと思うし
事実、私の体験を話して返ってくる言葉に
「うーん…結局伝わらないか~…」と残念に思うことは正直よくあります。
実際、中学生の頃からあった体調不良は
ずっとずっと『原因不明』。
当時(今から25年くらい前かな?)はまだ
今ほど心と体のつながりに注目している人はいなかったし
「心の問題」という言葉の裏には
「気の持ちよう」
「気持ちが弱いから悪い」
「あんたがおかしいんじゃないの?!」
という悪意が潜んでいました。
「そんなつもりはない!」と言われるかもしれません。
でも
「はぁ~?!気持ちの問題なんじゃないの~?!」とか
「俺だってそんな風になることあるよ!」なんて
子どもの私が“医師という肩書きを持った大人の男”に上から目線で言われれば、それは恐怖でしかありません。
「自分が悪いのか…、じゃあこの痛みや苦しみは我慢しなくてはいけない」
と自分を責めることしかできなくなるのです。
事実、子どもの頃からことあるごとにそう言われ続けた私にとって
生きるとは、34年間痛くて苦しいことでした。
なので
「普通の人は、そんなに痛くないし、苦しくないんだよ」
と言われたときの衝撃といったら!
えっ?! そうなの??!
基本的に病院に行くのは体調の悪いときです。
そんなときに医者という肩書きを持った人に断言されてしまえば、それがどんなに自分を傷つけるような言葉や態度でも、「違う」と言うのにはすごいパワーが必要ですよね。
それは大人になった今でもそう。
体調がそこそこのときですら、肩書きを出して強く言われると「どうせ表面的にしか聞いてもらえない」という、経験からの諦めが足を竦ませます。
ここまでの経験をしたということは
誰かの役に立てないかな?
私が広島で療養生活を送っていたときに思ったことです。
医療に携わっている方々の理解も必要ですが
それ以上に、もうどうしていいかわからず途方に暮れてしまう患者や患者家族という立場にいるみなさんに、少しでも私の経験がヒントになればいいな、と。
そう思い、過ごしていた頃からの第一歩を 先日とうとう踏み出せたという感じです。
ありがとうございます。
聞いてくださる方がいらっしゃるから成り立つことだと思います。
自分の健康は自分で守れるように。
自分の心も 自分の体も、自分自身で守れるように。
「『医療』っていう言葉が昔あったんだって!」
「その分野の専門家がいたんだって!」
と笑って話せるくらい、
健康を当たり前に自分で創造し守っていけるような人間社会になるといいな~
なんて思います。