幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

口内炎で美肌&減量!

2015-08-08 07:40:41 |  ├心と体と自分

おはようございます。
とんでもなく暑い日が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

私は先週できた口内炎に悩まされ続けて早10日です^^;
今回はたったひとつなのに、なかなか治癒せず…

前半はがんばったものの、痛みが治まらず今週はほとんどものが食べられませんでした。

そんなわけで意図せずファスティング状態。

おかげさまで痩せましたー!(笑)
おまけにお肌がすべすべに。
足のむくみも若干とれ、その恩恵にあずかっています。

痛い痛い口内炎、このくらいの喜びはあってもいいですよね♪


とはいえ、連日猛暑日でただでさえも体力が奪われる上に、
果物すらまともに食べられないのは結構堪えます。
楽しみに行ったZUMBAレッスンはフラフラで、さすがに焦りました^^;

もう少し早く治癒してくれることを狙っていたんだけどな~…
明日は家族そろって焼肉の予定なのに。
塩水うがいもしていたのにな。

ただでさえも普段からそんなに肉が食べられないというのに、
ファスティング状態の体に肉を入れて大丈夫なわけがない!

…ので、ここ2日は少し食べる方向にいましたが、ま…間に合うかしら?
アヤシイわ…

楽しい時間と呼吸の深さ

2015-07-25 23:26:11 |  ├心と体と自分
最近、ふと顔を合わせお話して盛り上がる方々…

スポーツジムの駐車場のおじさま方。
お隣の奥様(おそらく60代)。
反対隣のおばあちゃま(80代)。
天体観望会でサポートしてくださっている天文同好会のおじさま方。

ああいう場でにこにこお話できると、楽しさ倍増(*^^*)


今日は
土星の輪っかの厚みやら
ふたつの太陽の二重星・コルカロリやら
月のクレーター、アペニン山脈、アルプス谷やらについて
熱く語ったり見たりしてきました。

楽しい時間は、呼吸が深いと気づく私。

脳が感じる時間経過 ~Newの上にあるワクワク

2015-05-14 14:45:28 |  ├心と体と自分

 “ 楽しい時間はあっという間!”

なんて、聞いたことや言ったこと、
感じたことがある方は多いのではないでしょうか?

それは遊びであっても勉強であっても。

興味をもっている分野に深く触れている時や
好きな人たちと過ごしている時に感じる感覚です。

今日はこの、『脳が感じる “時間の経過”』についてのお話。



まず注目したいのが、
楽しい時間があっという間に過ぎ
 「あれ?もう終わり?!」
と思った次に出てくる感覚。


「ものすごく充実してたー!
 結構長時間だからどうかと思っていたけど、
 あっという間だったー!!」

と、満足感や充実感で満たされるのか、
それとも

「もう終わりか~…
 もう少しやりたいな~…」

と、若干の物足りなさを感じるのか。


これによって、提供されたレッスンなり講演なりの
クオリティが図れます。


前者ならいいですよね。
おそらく、脳も体も物理的に疲れてはいるのだけれど
そんなことに気づく間も無く熱中していた証拠だから。

気づいたら、実はけっこう疲れていた…なんていうこともあるでしょう。


後者の場合は…
提供する側には多くの改善の余地があるということが伺えます。

講師をする場合は、前者のものを提供できる人間であれるかどうかが
ひとつの目安であると言えるでしょう。


逆に
「長いな…、早く終わらないかな…」
なんて思ってしまうようなものはがっかり。

できればそこにお金なんか支払いたくないし
自分の時間や労力だって割きたくはないと思ってしまう。



そしてここからが、今回お伝えしたいポイント。


実は私、あるレッスンを受ける度に感じる感覚があるのです。
それは…

 楽しい!
 ものすごーく満足!
 充実してた~!!
 濃い内容だった!
 またあの人から受けたい!
 次に会えるのが楽しみ!

なんて思うのと同時に、その人のレッスン時間が
他の講師のレッスン時間よりも長く感じるということ。

つまり
『楽しい時間はあっという間』
ではない感覚が生まれるのです。

むしろ
『長くてたっぷりとした、贅沢な時間だった』
という感覚。


 一体これはどういうことだろう?


そう思ったとき、ある脳科学者の言葉を思い出しました。

「小学1年生の1学期って、すごく長く感じませんか?
 人間の脳は、新しいことが多いほど、時間を長く感じるのです」


 まさにこれ!


つまり、
自分にとって新たな世界・知識・会話に“たくさん”触れた上で
楽しさやワクワクを感じる
こと。

これが起きたとき、
『あっという間』の時間が、『短く』ではなく『長く』感じるのです。

なので感想が

 濃かった~!!

になるというわけ。


楽しいだけではなく、どれだけ自分にとっての
『新しい発見』や『新たな気づき』があるのか。


その時の満足感や充実感といったらない!


講師として人前に立ったり
セラピスト・コーチとして人と会話をする以上
自分がこういうあり方で人と向き合い続けられるかどうか。

そしてもちろん、何かのレッスンやセッションを受けるのなら
こういう人から受けたい。


これは
自分が生徒やクライアントになることによってもたらされた気づきです。
気づき続けるって奥深くておもしろい。


人間の心・体・脳の無意識下での反応って本当に正直♡

カラダの記憶~春のくしゃみ

2015-03-29 15:11:01 |  ├心と体と自分

東京に帰ってきて9ヶ月が経ちました。
(正確には、住んでいるのは神奈川ですが^^)

この期間、新しい経験や新たな出会いもしてきましたが
新たな体験よりも驚くのは、カラダの中から出てくる記憶の数々。


お日様を浴びて花や緑の匂いを感じる…
春や秋の、ゆるやかな季節の移ろいを感じる…
繊細な情緒が感じられる季節感を味わう幸せは
北海道で暮らしていた当時、私が求めてやまないものでした。

カラダに染み付いた季節感。
それを感じられることは、それはそれは幸せ。

また自分の生活を送りながら
日常の一部として実家の家族と関われるのもやはり
「実家の家族と過ごす=飛行機に乗って数日間非日常を過ごす」
という11年を送ってきた私にとって幸せなことでした。

そういった
「ああ、そういえば私、これが好きだったー!」とか
「これに幸せを感じていたんだー!」
という、眠っていた記憶が呼び出される一方…


シンドイ記憶も当然のように呼び起こされました。


真っ暗でシンドかった学生時代の記憶。
不自由さを感じ、自由に息ができなかった頃の記憶。

そういった記憶が、再び私の中から沸き起こり
身体や心、脳が反応する…

無意識に反応するため
自分でコントロールできないそれに
私はずいぶん苦しめられました。


当たり前なのですが
ヒトの記憶の中には嬉しい・楽しい・幸せなものもあれば
苦しい・辛い・痛い記憶もあります。

どちらかしかないなんて、ありえない。


北海道に移り住んだとき、
カラダがずいぶん楽なことにびっくりしたものでした。

関東のような激しい寒暖差がない上に
空気がきれいだからかな?

それまでの環境や人間関係が一新されたおかげで
迷い苦しみながらもこの仕事と出会い、
友人たちと出会って様々なものを手放して。

人との距離感も、東京と北海道ではだいぶ違います。

北海道に引越したとき
神奈川に戻ってきたとき
それぞれに手に入れたものと手放したものがあるわけです。



さて。
ここ最近、妙にくしゃみが出る私。

花粉症…?
いやいや、これはちょっと違うと思う。

何だろなー?
なんて思って早1週間。

突然思い出しました。


 私、中学生くらいの頃から、こういうことがあった!!


これが出るのはどういう季節で、どんなメンタルの時なのか…


「消えた!」「なくなった!」「治った!」
と思っているものは、物理的環境が理由な場合も多々有ります。

でもこれは、実際自分の中からなくなったのではなく
「あるけど、それが出てくる必要のない環境にいる」
ということなのです。

わかりやすい例で言うと
 空気の綺麗なところに引越したら喘息が出なくなった…
  ↓
 治ったと思った
  ↓
 空気の汚染された場所に行ったらまた喘息が出てしまった
という感じかしら?
(あくまで、例えね)


記憶は人間のカラダや心の奥底に眠っています。
その記憶そのものの書き換え、または解消がされない限り
人は同じことで悩み苦しんでしまうものです。

「やってみたら大丈夫だった!」
これは、『今』の自分が書き換えに成功した例。
これは拍手モノ。

「大人になったから、今なら大丈夫だと思う」
これはまだ、実際には動いていない例。
こっちはまだ、現実にはどうなるかわかりません。

「大人になったから大丈夫」というのはある意味理想です。
でも実際は、大人になったって
苦手なものは苦手だし、嫌いなものは嫌いなのよ。


ただ、今と昔が違うのは
『これが出るのはどういう季節で、どんなメンタルの時なのか』
と見ていくことができるということ。

つまり、
 どんな環境・状況で
 自分の中で何が起きていて
 自分自身がどこにいるのか(自分の内側なのか、外側なのか)
を見ていくことができるようになっているということ。

また
回避する・向き合う・違う角度から携わる…など
いろいろなアプローチをすることができるようになっているかもしれません。

そこが違う。


さて、私の “対くしゃみ” はどうしようかな。

ナチュラルに シンプルに 嬉し楽しい毎日を

2015-02-10 21:53:26 |  ├心と体と自分

少し前、私は(自分にとって)大きな問題の渦中にいました。

体の中が落ち着かず、ずっと続く嘔吐感。
不安や恐怖、後悔。
一人で立っていられず、
自分がかなり傷ついてしまっていることにも気づきました。

もう本当に、どうしようかと思ったのですが…

一番しんどかった週に、珍しく友人と会う予定がたくさん。
しかもたまたま、それぞれがみんなコーチやセラピスト。
そして更に、実家の家族と深く話せる時間も持てて。

夫をはじめ、家族や友人など
たくさんの人たちが私を支えてくれて
もう本当に、嬉しかった。
ありがたかった。

どうもありがとう。


そして
我ながらすごいと思ったのが
今回私を支えてくれた友人の多くは、
こちらに引越してきてから出会った人たちだということ。

わずか半年。
このわずか半年の間に、私はちゃんと人間関係を築いていたんだなぁ。



生きていればいろいろなことがある。
こんな仕事をしていても、間違えることはたくさんある。
自分の選択が違ったことを認めるって、すごく怖い。

でも、違和感や不信感を抱えたまま進んだり
根底がグラグラのまま進んでしまったりする方がもっと辛い。

体が伝えてくれるのなら、その声を尊重したい。


外側から見たり、内側から見たり、
家族や友人や仲間たちが
いろいろな立場で、いろいろな立ち位置から
私にメッセージをくれました。

どうもありがとう。
本当に、嬉しかったよ。


そして
そのおかげと言いますか…

実家の家族との心の距離がより一層近くなり
夫との絆もより深まりました。
ありがとう。


私はコーチ&カラーセラピストをしています。
私も相手も人間。
完璧な神ではないのよね。

ナチュラルに シンプルに 嬉し楽しい毎日を。

言葉の質変化

2014-09-18 15:33:02 |  ├心と体と自分
先日、元同級生と数時間にわたって
マシンガンのような女子トークを繰り広げました。
…その彼は男性だけれども(笑)

女子トーク…
とはいってもそれはもちろんただの比喩。
私の場合、長く熱く語ることほどその内容は
本質をつく濃~くてマニアックなものになっていきます。

これはたぶん、私と何時間語っても語っても
「時間が足りない!」
「語り尽くすことはない!」
「しゃべり倒したけどまだイケる!!」
という経験を共有してくれている友人たちであれば
 “あ~…、あれを繰り広げたのね…”
と想像してくれることなのだろうと思います(笑)

同級生なので付き合いの年数はそれなりに長いとはいえ
あんなに語り合ったのは初めてでした。
ましてや異性だしね。

結婚して家族ぐるみのおつきあいをするようになり
大人になっても比較的会う機会には恵まれてはいましたが
そうはいっても会えるのは良くて年1回。

それすらも中学高校時代の自分たちからは、
到底想像できないことでした。

そんな彼に言われました。


「病気してからかさ…、なんか話すことの質が変わったよね。
 本質的なところを見てくれてるんだと思うけど…
 人生相談みたいな感じ? すっごくスッキリする」


これは嬉しかったです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

いや~…もちろん…というか、
だってそれが仕事なんだけどね(笑)

でも相手は友人である上に、セッションをしているわけではありません。

しかもセッションを望んでいるわけではない相手に
一方的にそのような会話を繰り広げるのは、ただの暴力だしね。

だからそうではなく、私の言葉の質が変わったのだとしたら
それは倒れて自分のカラダや家族、そしてまわりの環境と
向き合い続けた3年間によって築かれたもの。

そして昨年仕事復帰してまたシンドイ思いをする中で
さらにディープに自分と向き合い続けているこの1年のおかげ。

本当におかげさまで おかげさまです。


数週間後、彼の奥さんに言われました。


「この間話を聞いて、なんかこの人レベルアップしてる!!って思いました。
 なんか…いい言葉が浮かばなくて…上から目線なわけじゃないんですけど^^;」


図らずもご夫妻に認めていただき、ありがとうございます(笑)


自分ではね、そんなにはっきりとはわからない。
自分の言葉の質の変化なんて。

でもそうやって見て受け入れてくれる人がいてくださるというのは
とてもとても、嬉しいことです^^
ありがとう!