幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

自己紹介〜心とカラダ・幸い病気のおかげさま編〜

2017-07-13 10:12:03 |  ├伊藤裕子をご紹介
おはようございます。
伊藤裕子です。


今日は改めまして
私・伊藤裕子の自己紹介〜心とカラダ・幸い病気のおかげさま編〜です。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが
私は2010年7月12日早朝、突然体調がおかしくなりました。

頭痛・発熱・吐き気・めまい・しびれなどから始まり
全身麻痺・全身痙攣・言語障害・呼吸困難・
よく見えない・聞こえにくい…

いろいろな症状に、一気に襲われる私の体。


「病院に行っておいで」と言われても
自力で行ける状態ではなく、
慌てて帰宅した主人に連れられ病院へ…


医師の前の私は

数分おきに熱が38℃を超えたり36℃台に戻ったり

指1本自分の意志で動かすことができなくなり
こわばって掌に食い込む指を無理やり主人に開いてもらったり

言葉を発したくても口が動かず
呻くことしかできなかったり。

明らかに異常な状態。


でも、
診断結果は異常なし


 このまま治らなかったらどうしよう…


沸き上がる不安。
そして主人も思ったそうです。


 生きる意味がわからなくなってしまうんじゃないかな…



医者嫌いが作られた20年〜ドクターハラスメントの日々


私が体の異常をはじめて感じたのは
中学生のときでした。

突然起こるひどい動悸。
苦しくてその場でうずくまる。

心臓のあたりに激痛が。
息もしにくい。

そんなことが前触れもなく起こるようになり
おかしいと思った母は、私を病院に連れて行きました。


でも、何の検査をしても異常なし。


数値的に異常が出なければ、医師は何もしてくれません。
せいぜい、気休めの薬が処方されるくらいです。
(当時のあれは一体何の薬だったんだろう??)

しかし数値的に異常がないからといって
私の体が良くなったわけではありません。


中学3年生の夏、海で倒れてしまいます。

病院に連れて行かれ、検査をしても異常なし。
大きな病院を紹介され、検査をするけどやはり異常なし。

おかしな体を抱えながら、今度は高校3年生の夏。
予備校で倒れました。

そして病院にて、また同じことが起こりました。

それでも西洋医学的に、異常はないのです。


結果、痛みや苦しみを我慢することは
私にとって当たり前のことになっていきました。

「あなたの『大丈夫』は信用できない」と
言ってくれた友人の方が、よっぽどありがたかったな…


大学生になってからも

社会人になった後も

体はずっとおかしいまま。

体の痛みや苦しみからくる不調と、
病院たらい回しの日々は継続されました。


でも数値的な異常はないから
どんなに痛くても苦しくても、助けてはもらえません。

整体や気功や鍼灸やカイロプラクティックや…
「いいよ」と聞けばアレコレ試す日々。


約20年間、体は常に痛くて苦しかった。

でも
私が本当に本当に辛かったのは、
カラダの痛みや苦しさではありませんでした。


それは…


それぞれの病院で、
何人もの医師から投げつけられる心ない言葉たち。


 「はぁ〜? 気のせいなんじゃないの?!」

 「動悸がするとかさぁ、俺だってなるし」

 「あんたがおかしいんじゃないの?」

 (毎日終電生活の私に対して)「はぁ?休めないって、何でだよ」


中には診察中にタバコを吸って
煙を私に吹きかける医師もいましたし

荒っぽく打たれた注射で筋肉がおかしくなり
3日間腕が上がらなくなったこともありましたし

「昨日の院長の診断は間違いだね〜。こっちの薬をとりあえず飲んで〜」
と大量の薬を何度も購入させられたりもしました。


看護師に話した内容が通っておらず、
一方的に自分のやりたい検査をして

「あの…私、この症状をどうにかしたいんですけど…」

と訴えると

「は?そんなの話にならないね」

と、意味不明な返答をして取り合ってくれない医師もいれば


検査後、出血が止まらず
不安になって病院に連絡した私に対して

「そんなわけないけど。
 もしそのまま血が止まらないなら癌ってことだから」

と電話口で言い放つ医師もいました。


まだまだ、この手のエピソードはキリがなくあるのですが
とりあえずここまで。

中学生の頃から、成人した以降も。
多感な時期に、大人の専門家(医師)から受け続けた
数えきれないほどのドクターハラスメント。

それにより、私は医者が嫌いになり
また無意識に自分を責めるようになっていきました。


 みんな、こんなに身体が痛くて苦しくてもガマンして生活してるんだ。

 「痛い」「苦しい」って言う私が悪いんだ…



奇跡的な治療家との出会い


2010年の夏に倒れた後
異常なしと言われた私は、なんと1ヶ月の日本縦断出張に出ます。

当時、まだ広がりはじめたばかりの
TCカラーセラピスト講座〜トレーナー講座を全国各地で開講する旅。


ありがたいことに各会場ほぼ満席で楽しい一方、
やはりあれだけの症状が出た後のこと。

どんどんモノが食べられなくなり
体のしびれが出始め、
札幌に戻ったときにはまったく動けなくなっていたのです。


  


幸い、広島滞在中に腕のいい整体師さんと出会った私は
母に連れられ、急遽広島に飛びました。

 もう、彼にしか治してもらえない。

 きっと彼なら治してくれる。

藁にもすがる思い。

そこは、病院に見放された人たちが最後に辿り着く、
駆け込み寺のようなところでした。


初めて会ったとき、その整体師さんは思ったそうです。

 「うわ…大変な子がきちゃったよ。

  その身体でよく生きてたね」


毎日受けることになった整体はとんでもない激痛。

初期の頃は、体力も気力もなく
とんでもない痛みに、叫ぶことすらできませんでした。


絶食治療をはじめ、
腸のこと、ローフード、マクロビ、デトックスなど
自分の知識と整体師さんのアドバイスを総動員して
食事療法を取り入れたのは大正解。

動物性のものや消化に負担のかかるものは
食べれば身体に激痛が走るので、
その後2年間は完全なベジタリアンでした。


歩けないので車椅子生活を送っていた私の体重は激減。
まるでペラペラの紙のような身体。

光も音もダメだから
自然光の無音の世界でひっそりと過ごしたい。

呼吸困難がとりわけひどく、私の身体は
普通の人が何も考えずにしている「呼吸」の
やり方がわからなくなっていたのです。


それでも救われたのは、
その整体師さんと、サポートに入ってくれていた医師が
私の身体を「異常である」と認めてくれたこと。

病人にとって、『自分が病気である』と
認めてもらえないのはとても辛いこと
なのです。

身体が苦しいと訴え始めてから実に20年。

ようやく私は、
その苦しさがあるのは異常であると認めてもらえたのでした。



心と身体の繋がりって、こういうことか!


結果として闘病生活は、実に3年半近くかかりました。

その間、私の病気の回復の助けになったことが
『心と身体の繋がり』

そしてもうひとつ。
『何がなんでも健康第一』


病気になって、母に付き添われて過ごし始めたとき
こんなことを言われました。

「あなたを育てる中で、ずっと引っかかってたことがあるの。
 前にも何度か話したけど。
 ちゃんとあたたかいご飯(愛)をあげられていなかったんじゃないかって。
 ずっと苦しい思いをさせていたんじゃないかって。
 それが今の病気と関係あるんじゃないかって。
 何かひっかかることない?
 何でもいいから話してほしい」


確かに昔からたまに言われていたこと。
でも最初はよくわかりませんでした。

だってとても仲のいい家庭で育ったし
環境的にも恵まれていたと思うから。


でも…

「小さなことでもいい?」と私はポツリと母に話し始めました。


 「お母さんが私の大切なものを傷つけたとき、
  お母さんは『わざとじゃない!』って怒ったけど
  私はただ『ごめんね』って謝ってほしかった」

 「あの時、どうして怒られたのか未だにわからない」

 「私が傷ついて相談しても
  『相手の気持ちになってちゃんと感謝しなさい』って
  いつも、何があってもそう言われるから
  結局私がすべて我慢しなきゃいけないんだって思ってる」

  etc etc...

それらひとつひとつは、本当に小さなエピソードでした。
でも、怒りや悲しみ、諦めや絶望は30数年ずっと私の中に溜まっていたのです。

また中高時代の嫌だった思い出や人間関係も然り。

それらひとつひとつを丁寧に話して
また母も真摯に向き合い受け取ってくれて。

 「それはお母さんがおかしいわ。ごめんね」

私の心の中に溜まっていたものは
徐々に解けてなくなっていきました。


  


時を同じくして、実は離婚の危機にもありました。

働かず、口でだけ立派なことを言う夫。

子どもの頃から貯めていた貯金は食いつぶされ
「来月はここに住んでいられるんだろうか…」
という状況が1年以上続いていたのです。

それでもまわりからは「素敵な夫婦ね」と言われる。
それがもう苦痛で苦痛で、仕方がなかった。


何を言っても、どう伝えても変わらない夫に

 離婚という選択以外、もうどうしようもないのかな…

と絶望していました。


 でもやっぱり嫌いにはなれないんだけどな…

 一生、一緒に過ごすつもりでいたんだけどな…

 離婚しないと、何も変わらないのかな…


そんな悩みが出始めた当初は、相談してもやはり

 「あなたと結婚してくれた彼に感謝しなさい」

 「自分ができることを相手にも求めちゃダメだ」

と返答していた両親も、さすがに事態を重く見たようで
結局、両家の親を交えて6人で家族会議をするに至りました。

結果としては、その後も紆余曲折はありましたが
今はみなさまご存知の通り。

とても仲良くやっています。



そうやって小さなことから大きなことまで
本当にひとつひとつ向き合って解消していきました。

両親や妹弟とのこと、夫との関係、
過去の傷やトラウマ、人間関係…


そして大好きだった仕事をいったん手放すこと。

今の状況・状態をそのまんま受け入れること。
必要な時間なんだなと、その時間をくれた体に感謝して。


そうすることで
身体の回復力もまた、上がっていることを私は感じるようになりました。


そのとき、初めて実感したのです。


 心と身体が繋がってるって、こういうことか!!


知識としては知っていたこと。
それが現実として私の中に落ちてきたのはまさに、
この長期の闘病生活のおかげだったと思います。


その後、体はゆっくりゆっくり快方に向かいました。

死にかけだったのが、重病人くらいになり、病人になり、
「ストレスなしの生活」が最大テーマの自宅療養時代を過ごし
体調のアップダウンを繰り返しながら2013年の年末に仕事を再開。

翌2014年にはまた大きく体調が下降し、
瞑想や気功、エネルギーワークなどに出会い、

そして札幌から神奈川にお引越し。

そこで体が環境に慣れるまで、
また体はアップダウンを繰り返しました。


今、私は体の声を聴きながら
元気に楽しい毎日を送っています。

私の体験が、
少しでも同じようにシンドイ思いをしている方たちの
お役に立てれば嬉しいです。


心や体がシンドイとき(病気のとき)
ひろ流・回復力をあげるポイント

  自分に起きていることをそのまんま受け入れること

  今の状況や環境を受け入れること

  過去も人間関係も執着もプライドも手放すこと

  仕事への不安やこだわりを手放すこと

  心・体・家に溜め込んでいるものを手放すこと

  自分としっかり向き合うこと

  体の声に耳を傾けること

  心の声を無視しないこと

  親やパートナーとしっかり向き合うこと

  無理して食べないこと

  知識に偏らず、今起きていることを見ること

  会いたくない人には会わないこと

  やりたくないことはしないこと
  (やらなきゃならないと、1人で勝手に思い込んでいることね)

  自分が楽しいと感じることをひたすらすること

  考えすぎないこと

  自分を騙さないこと

  自分の現状や状態、気になることは伝えること

  自分を自分の人生の中心に置くこと

そして

  幸い病気のおかげさま



幸い病気のおかげさま。

伊藤裕子でした♡




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子どもがいない呪いからの解放

2017-02-28 20:45:28 |  ├伊藤裕子をご紹介
こんばんは。
伊藤裕子です。


今回はちょっと、プライベートなお話。
でもきっと、同じ悩みを抱える女性はたくさんいらっしゃると思うから。


女性の生き方が多様化し、
少し前までの

 【結婚&出産=女性の幸せ】

という構図は崩れはじめています。


でも…

そうはいってもやっぱり、
《結婚&妊娠》に対して思い悩む女性は多いですよね。




私たち夫婦には、子どもがいません。


望まなかったのか?と問われれば、答えはNOです。

10年前に姪っ子が生まれて
かわいくて
私も主人の子を産みたいなと思って

それでもなかなか授からなかったある日。

両親と同じくらいの年齢の女性(同業者)に言われました。


 「あなたは子どもがいないから、人として欠落しているのね〜。

  なーんか気になってたのよ〜」


子どもが欲しいと思いながら
ちょうど自分の方向性でも悩んでいた時期。

その言葉は、私の心の奥深くにサクッと刺さりました。


たぶん、ものすごい衝撃だったのだと思います。

心に刃が刺さったまま、
血が流れていることに、私は気づきませんでした。



半年後。

実家に帰省して、母と会話をしていたときに、
私の口からポロっと涙のようにその言葉が溢れます。


 「あのね…

  『子どもがいないからあなたは人として欠落してるんだ』って言われたんだけどね。

  私、欠陥人間なのかなぁ…?」


口から言葉がこぼれた途端、堰を切ったように涙が溢れてきました。


 「そんなことない!」

 「でもその人、子育てママを応援してるんだって言っててね…」

 「そんなことを平気で言う人に応援なんかされたくない!!」


叫びながら、私を抱きしめてくれる母。


きっと無意識に自己防衛が働いたんじゃないかな。
受け入れられるようになるまでの時間が必要で。

半年たってようやく私は、
自分がものすごく傷ついていたことに気づいたのです。



そしてさらに、
この記事が書けるようになるまでに、10年近く。




人は、自分がひっかかったことのない事柄に対してとても鈍感です。


 「何でそんなこと気にするの?」

 「どうしてこういうことに気を配れないの?」


どちらも、思った経験があるのではないでしょうか。



子どもという授かりものに関する不用意発言は
その後も(正確にはその前も)たびたび受けました。

だから傷ついた経験はこれだけではありません。


結婚して、妊娠して、出産して。


それらを当たり前に何の問題もなく経験した人は
《経験する中で悩み、迷い、苦しむこと》が存在するのはわかるけど
《経験できないことで悩み、迷い、苦しむ人のこと》はわからないからね。


言葉は人を癒しもするし、傷つけもします。

悪意がなくても、凶器になる。


言葉に対して敏感な私なので、探究がずーっと続いています。


そして経験を通して思うのは
生き方に迷い、悩み、苦しむ女性の人生について。

女性がみんな、
自分らしく豊かな幸せを味わえる世界にしたい


今、私が思うのはそういうこと。
だから、新たな企画を準備中です。


もちろん、
男性も自分らしく豊かな幸せを味わえる世界にね。


  


「子どもがいなくても、素敵な人はたくさんいる」

子どもがいるからこそ知れる世界があるのと同じ価値で
「子どもがいないからこそ送れる、素晴らしい人生がある」


それを

 頭ではわかっていても、心が追いつかない数年間がありました。



子どもがいないことに囚われてしまうのは、まるで呪いのよう。


湧き上がってくる罪悪感や劣等感。

誰かに何かを言われて傷ついて、笑ってかわして後で泣く。
そんな自分に自己嫌悪。

苦しいよね。



でも、もう解放されていい。

あなたは存在しているだけで、素晴らしいのだから。

だからもう、
ただ自分を生きよう。



今、私は恋人時代から通算20年以上一緒にいる主人と
仲良く二人暮らしをしています。

やりたいことがたくさんあって、3つくらい体がほしい。
(でもたぶんそのうちひとつはゴロゴロしてばかり)


仲良しはどんどん深く濃くなることを 世界に証明するのです☆




呪いから解放されよう。

伊藤裕子でした♡




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仕事も恋愛も素の笑顔で♡ 自分スタイルデザイナー伊藤裕子(いとうひろこ)

2016-11-17 20:36:22 |  ├伊藤裕子をご紹介
こんにちは。

仕事も恋愛も素の笑顔で♡
自分スタイルデザイナー 伊藤裕子(いとうひろこ)です。


今日は改めて…
ワタクシ・伊藤裕子って何者でしょ?というおはなし。





1976年生まれ 40歳。
20歳のときに出会い、つきあい始めた主人と2人暮らし。

東京都武蔵野市出身。
生まれも育ちも、住みたい街No.1の吉祥寺♡
(先日2位になっちゃったけど〜)


27歳で結婚。
新婚生活は、いきなり北海道の最北端・稚内でした。

それはそれはもう、カルチャーショックがすごかった…。


新婚生活はストレス三昧

ずっと「手に職をつけなさい」と言われて育った私は
美大でインテリアデザインを学び、
卒業後は設計の仕事をしていました。


それが一転!


 働く場所がない!!


専門職だった私は、
スーパーのレジ打ちや昆布拾いの仕事をしたくなくて。

仕事もない、友達もいない、出かける場所もない、
遊ぶ場所もない、おいしいカフェやレストランもない、
風が強すぎて自然すらない…

一番近いローソンまでは、どっちに行っても車で3時間


 全然コンビニエンスじゃない!!


そんな地での生活に、ストレスは溜まるばかり。

顔中に吹き出物ができ、
耳が聞こえなくなり、
だんだん朝起きることが恐怖になりました。



 また朝が来てしまった…

 今日はどうやって過ごしたらいいんだろう…


だから
「郵便局にハガキを出しに行く」
という用事がある日が、本当に本当に嬉しかった。


 今日はやることがある!!


まだ27歳。
夫は《北海道の田舎ばかりまわる転勤族》。


 私の人生、これで終わっちゃうのかな…


大学受験のときよりも
就職活動のときよりも
会社を辞めたときよりも
生き方や人生について考えました。


 愛がなきゃ生きられない。

 でも、愛だけじゃ生きられない。

 女の人生って、何だろう?



今から13年前のことです。


逆単身赴任!でもその会社はダメだった…

私のあまりの憔悴っぷりに見かねた主人が言ってくれました。
「札幌に出て働いていいよ」

でもね…

北海道以外のみなさま。
イメージできますか?

同じ道内とはいえ、《稚内⇔札幌》は《東京⇔名古屋》と同じ距離。
数値にして約330km。
新幹線はありません。

JRで5〜6時間。
車でも、やっぱり夏道で5時間くらいかかります。
(雪が降るので、冬はもっと大変!)


それでもどうしても都会にいたくて働きたくて
私はあるディスプレイ会社に就職。

しかし…

その会社には問題があって、すぐに辞めることになりました。


 どうしよう…


マンスリーマンションの残りは11ヶ月。

働きたい。
でも家庭を犠牲にはしたくない…


どこに行ってもできる仕事を身につけたい

そう思い、ホットペッパーをめくり
訪れたのはいくつかのカラースクール。

理由は
稚内時代に色彩検定1級を取得していたことと
パーソナルカラーを知っていたことで
「これなら家でお仕事ができるかもしれない」
と思ったから。


今とは違い、ブログやホームページなんて
特別な人しか持っていない

携帯には絵文字すらない

まだまだ、
「情報ってどうやって得るの?」という時代です。


事情を話し、
とにかく早く身につけたいこと
自分で仕事をしたいことを伝え、
イレギュラーの時間帯にマンツーマンでレッスンしていただいて。

私は29歳になっていました。


気づいたときのあの感覚を…

色は楽しい
自宅で働ける
家庭を犠牲にせずに仕事ができる

そのくらいの気持ちで始めた
パーソナルカラーカラーセラピーの勉強。


楽しかった♡


美大出身だったおかげで
色に対する感覚はすでに自分の一部のようだったし

四元素とか陰陽五行説とか
好きな世界の話がたくさん出てきて。


でもそのうち、まわりの言葉に惑わされるようになってね…


 独立するならあれをしなきゃいけない

 こうならなきゃいけない


気持ちは焦るばかり。
そんなとき、セッションを受けて気づきました。


 私にとっての大切なことは

 みんなの言ってる理想とは違うんだ。



自分にとって一番大切なことに気づき

まわりの声に惑わされて思い込んでいたものがはずれたとき、

心が軽くなって、涙があふれました。




私の思い込みは、他にもたくさんあってね。
(今だってあるけどね)

でも自分の心の奥底に触れた瞬間のすっきり感や
自分の新たな魅力を知ったときの嬉しさが
ひとつひとつ、私の殻を破っていってくれたから。

だから…


自分らしく生きたいと思うのなら


 そのままの自分の魅力や価値を知って、
 生かせるようになっていただきたい。

 思い込みの制限や枠を外して、
 自由に豊かに生きられるようになっていただきたい。


   

 メイク・ファッション…
  外見的な悩みや、自己表現の仕方がわからない方に

  自分の魅力、美しさ、かわいらしさを感じられるよ。
  知ることができるよ。
  それを生かせるようになれるよ。

 だって私がそうだったから。

 かわいくなくて嫌だなとか
 太ってて嫌だなとか
 外見のコンプレックスはかなりのものだったの。

   

 働くスタイルで悩んでいる方に

  自分にとって無理なく幸せを感じる働き方があるよ。
  自分が輝く仕事を自分の力で選びとれるようになるよ。

 私もブレブレだったの。
 ブレてるときは、頭の中がぐるぐるして苦しいよね。

 仕事も
 人間関係も
 コミュニケーションも
 自分がどんな人なのかの軸ができれば変わってくるから。

   

 夫(妻)や恋人との関係で悩んでいる方に

  あなたが豊かで幸せでいられるから、パートナーとの関係もうまくいく。
  あなたが腹の底から幸せを感じられるとき、愛が何かに気づくかも。

 「仲良し夫婦」と言われても
 やっぱり人生山あり谷あり。

 愛とお金がグルグルに絡まって
 私もたくさん泣きました。

 でも今、主人との関係は
 きっと20年のうちで一番いい♡

 愛が溢れているのを感じています。


自分のスタイルに出会い、そうやって生きていられているとき
体の内側から幸せが溢れてくるの。

あの感覚を、みなさんにも味わっていただきたいし
味わえるから。
だから私はこの仕事をしています。



そんな自分スタイルをデザインしていきたい方はこちらまで。
お会いできるのを楽しみにしています♡




仕事も恋愛も素の笑顔で自分スタイル♪

伊藤裕子でした♡




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伊藤裕子の履歴書

2012-07-07 00:04:52 |  ├伊藤裕子をご紹介
倒れて闘病生活を開始して2年。
ずいぶんずいぶん、よくなってきました。

どのくらい良くなったかというと、
プロフィールを書いてみようという気力が生まれたくらい(笑)

というわけで、
ワンパク育ちで自然大好き!
でも住むのは都会がいいという
アウトドア好きなインドア派の私の履歴書です。



1976年2月17日生まれ
東京都武蔵野市出身

吉祥寺にて両親・妹弟・祖母・伯母に囲まれ
外(主に庭)を走り回って育ちました。


YMCA 3歳児保育
  ちょっと遅れて入園。
  泣かないように、小さい目を大きくカッと見開いての登園初日でした。

造グループ ワンパク幼稚園
  その名のとおり、ワンパクいっぱいの幼稚園。
  飯盒でご飯を炊けるなんてあたりまえ。
  かまども手作り、もちろん薪拾いだって全部自分で。
  竹馬サッカーや毎日のマラソン。
  涙涙の毎日で、負けず嫌いと我慢強さはここで培われました。
  この時に負ったケガの傷、今でも残っています。
  
  父の仕事の関係で1ヶ月ほどベルギーへ。
  「フランス語が話せたらもっと楽しいのに!!
   メルシーとボンジュールだけじゃお話できないよ!」
  と母に訴えた4歳の私。
  今「いろいろな国のことばを自然に話したい」と思う私。
  なんとこの頃から…^^

武蔵野市立本宿小学校
  給食がとってもおいしかった小学校。
  しかもプールが給食室の上にあるから、
  4時間目の授業はいい具合に育ち盛りの空腹を刺激。
  泳げるようになりたい!と思って習った水泳は今でも大好き!
  特に好きなのはバタフライ(笑)
  将来の夢を聞かれるとよくわからなかったけれど、
  『魔法使い』には本気でなろうと思ってました。

成蹊中学校
  入試ギリギリまで「努力圏」だった私立中学。
  でも「絶対あそこに通う!」と決めていたので受かりました。
  『想いが強ければそれは必ず現実になる!』
  それを確信したのがこの時。
  それは今でも私の中の核。
  私のセッションでも毎日の生活の中でも、重要な核となっています。

成蹊高等学校
  ものっすごい量のまんがを読み漁りました。
  おたくだったってことかしら?!
  でもこの頃にまんがで得た知識が
  実は今の仕事にとってもとっても役立っています。
  まんがって偉大!

武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科インテリア専攻
  キャンプカウンセラーとして、野外活動に夢中になった日々。
  「生きる」「生活する」という点から見ると、
  インテリアデザインとキャンプは大きな共通点があります。
  『体験から掴んだ感覚や経験は絶対に忘れない!
   体に染み付いたら自分のもの!』
  だから私はセッションや講座の中でも「体験!」「感じろ!」って、
  かなりうるさいと思う(笑)

22~25歳
  就職して店舗やオフィス空間の設計職に。
  いいモノに触れる機会もなく、感じて心を奮わせることもないまま
  PC画面を見て何かを「創る」ことに携わり、終電で帰る毎日。
  自分には圧倒的に経験や体験が足りないと思い退社。

25~27歳
  イギリス・イタリアを短期で旅し、英語はベーシックスキルだと実感。
  この時、英語はほとんど話せず…
  もっと話せたらもっと楽しいだろうなと思い、一念発起。
  9ヶ月間のオーストラリア一人旅へ。
  ホームステイにファームステイにキャンプツアー。
  一生懸命伝えようとすると、どこの国の人もみんなちゃんと聞いてくれる!
  これは本当に嬉しかった!!
  実はそれまで、『海外留学』も『一人旅』も
  自分の人生にはまったく縁のないものだと思っていました。
  『「ありえない」と思っていたことこそ、自分に必要なことなのかも!』
  と思い始めた第一歩。

27~29歳
  結婚して北海道へ。生粋の東京っ子が初めて住んだのは日本の最北端・稚内。
  海外に行くより大きなカルチャーショックを受けました。
  料理をすること以外、やることのない毎日。
  家でおとなしく主婦をするよりとにかく社会とつながっていたい私は
  ひどいストレス状態になり、顔中に吹き出物、耳も聞こえなくなりました。
  だんだん朝がくることすら恐怖になっていく日々。
  見かねた主人が札幌への逆単身赴任を提案してくれ、
  初めての一人暮らしを開始しました。
  でもいつまでも別居は嫌だから暗中模索。
  どこに行ってもできる仕事を身につけようと、
  パーソナルカラーとカラーセラピーを習得。
  これが独立へのきっかけです。
  そういえば、「社長」というのも自分の人生においてありえないと思っていたものだった!
  『「ありえない」と思っているものこそ、自分にとって重要なキーになる』
  これはもう、その通りだ!今の私の仕事、そして人生のキーワード。

29~34歳
  COLOR SALON 彩音オープン。
  北海道と東京を中心に活動を開始。
  仕事をすればするほど次に自分に必要なものが見えてくるので、
  コーチングや他のスキルも身につけ、仕事が楽しくてたまらない毎日。
  個人セッションの他、カラーセラピストやカラーアナリスト養成講座の開講、
  企業や各団体でのセミナー、イベントなどを。
  美容専門学校や製菓調理専門学校では講師の仕事も。
  担当科目はセルフプロデュース・インテリアディスプレイ・デッサンと造形・
  色彩コーディネート・色彩検定対策講座・美容文化論など。
  全国各地で講座を開講するようになり、いろいろな方々との出会いが楽しくて楽しくて、
  おまけにご当地の文化がおもしろくて、ご飯も美味しくて最高!!
  
  プライベートでは「○○の素」を使わなくても食材の味を引き出して、
  おいしくしかも体にやさしい調理法やローフードデトックスと出会います。
  「体の声を聞く」とはどういうことなのか、わかるようになってきました。
  食べ物や食べ方を変えただけで太ももが5cmも細くなったり、肌がすべすべになったり、
  無理なく体重が減ったり…で感動!
  
  また自分の中の英語が消えてしまうのが嫌だな…と思っていたこの頃、
  「多言語の自然習得」というものに出会いました。
  どんな言葉でも赤ちゃんが身につけるように自然に習得…ということが自分の体験と重なり、
  やってみたら自分の中で起こり始めた言葉に対する変化にびっくり!
  
  今、この一連の キャンプ→海外生活→パーソナルカラー、カラーセラピー、コーチング→
  デトックス→赤ちゃんの自然なコミュニケーション という流れの中から、
  すべてのものの本質は同じ源から発生していることをとてもとても感じています。
  
34~36歳
  2010年7月、突然倒れました。
  発熱、嘔吐、眩暈、難聴、全身痙攣、全身麻痺、呼吸困難、言語障害などの症状が。
  体はここまで動かなくなるのか…って。
  でも病院での診断は「異常なし」でした…。
  明らかに体からの強制ストップがかかったことはわかったので、
  すべてを手放し治療に専念することに。
  長期の闘病生活の始まりです。
  「よく生きてたね」という状態でしたが、
  家族に支えられ治療できるスキルと知識を持った方々と出会え
  私自身は周りが驚くほどこの状況を受け入れていました。
  「人生の中で必要な時間なんだな~」って。
  パッと手放してしまったので、日常や仕事への変なこだわりやしがらみに
  苦しめられることもなく、よかった!
  そしてこの体験を通して気づいたことがすごくたくさん。
  体が発信しているメッセージをキャッチすることも、すごく上手になりました。
  食べ物のことをはじめ、ものごとの手放し方、受け取り方など、
  今までやってきたことがすべて役に立ってラッキー♪
  とにかくストレスのかかることは避けようと、
  自分の心と体が喜ぶことだけ、楽しいと感じることだけ
  するように心がけた結果、それは必然的に
  無茶な無理やガマンをしないことにつながっていきました。
  
  そして回復していく中、たくさんある時間を利用して始めたのが
  海外ゲストの受け入れ。
  もちろん、体がもたないので短時間です。
  いろいろな人、言語、文化に触れれば、世界はどんどん広がる広がる!
  そして気づいたこと。
  やっぱり私は「言葉」が好きだな~って。
  「語学」ではなくて「言葉」が。
  仕事もすべて、言葉を使うもの。趣味もそう。
  倒れてから一番不自由になり、回復に時間がかかったのも実は胸~喉~口のあたり
  話したり歌ったりすることだったのも、きっと関係あるんだろうな。
  
  幸いにも大変な大変な病気になったおかげで、
  実は夫や実家の家族との仲がすごく良くなりました。前以上に!
  いやというほど自分の心と体と向き合ったこの時間。
  もちろん苦しいこともたくさんあったし、泣いたこともありました。
  でもそれが、全然いやじゃなかった。
  みんなに支えられて、みんなと向き合って。
  そして本当にありがたかったのは、家族だけではなく
  今まで出会った友人、知人、お客様、受講生のみなさんが
  ゆっくり見守り支えてくださったこと。
  メッセージをくださる方、あえてメッセージを控えてくださる方。
  どちらの心遣いも本当に嬉しかった!ありがとう。
  
  今度は私ができることをやっていく番。
  私が、できることを。