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幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

性と死と自分らしさ

2015-08-17 18:51:15 |  ├自分らしさ

先日、AIDSフォーラムに参加してきました。

ゲイの牧師さんのお話や
浄土真宗・カソリック・プロテスタントの宗教家の方々のディスカッション、
そして現役AV男優のみなさんのお話をうかがってきました。

日常生活において、なかなか直接お話をうかがう機会のない方々のお話。
でも語られる内容はとても身近なものでした。
普段から私が感じたり考えたりしていることと同じ!

 自分らしく生きるということ。
 でもそれって、どういうことだろう?
 どこかでブレーキがかかってることが多々あるよね。
 性が絡むと自分らしさを抑圧してしまう人の多さ。
 自分の身を守るということ。
 性と死のつながり、性と生と死。
 仕事で見せている自分と、ありのままの自分。

普段とは異なる視点から語られる言葉は、
私も仕事や自分の闘病体験を通してお伝えしていることと深く繋がっていました。
とても興味深かった!!

そして人をー人の心や人生をー動かすのは結局、
その人自身の生きた体験と生き方そのものなのだな、と。



西洋占星術やタロットをかじると、『死とSEX』を司るハウスが出てきます。
私は昔から、これがとても不思議でした。

 性と死に、一体なんの関係が…?

と。
でも視点を変えてみると、
 生きることそのもの
 頭でコントロールできないこと
 命の莫大なエネルギー
 恐怖やパニックを引き起こすもの
 味方にした途端、価値観が大きく変動する
など、人間の根底に潜む大きなものを孕んでいるのが「性と死」なわけですよね。
(うーん…なんだか文字にするとチープな感じになってしまいますが…)

性と死、生と死、そして自分らしさ。
たぶんかつては日常に溶け込んでいたことが、どんどん非日常扱いされるようになった現代。
だから扱えなくなる人が増えてしまうのかな…?


Anyway!
あのフォーラムの情報をキャッチした自分に拍手。
足を運んだ自分と主人に乾杯です。

大都会で呼吸する

2015-07-25 16:33:21 |  ├自分らしさ
久しぶりに外苑前に来ています。

北海道から来てくれた友人とランチ。
ほんの2時間の逢瀬の感想は、2人とも
「短いね…」
でした。

札幌時代は会えばランチからディナータイムまで喋っていたからね…σ^_^;
そんな感想になってしまう。


彼女とわかれてからフラッと立ち寄ったのはインテリアショップ。
イームズのYチェアの座のペーパーコード張り替えをしてらっしゃる職人さんと語らせていただいてワクワク♡

このまま帰ろうかと空を見上げた時に思い出しました。

そうだった。
私はこんな大都会が大好きなんだった…!

ゆっくり呼吸ができる。
空気が通る感じ。

それは私にとって、長野や山梨の自然の中にいる時と同じような感覚なのです。
不思議に思われるかもしれないけれど。

そんなわけで、せっかくのインテリアのメッカ。
スタイリッシュなインテリア商品を見ていて思うのは結局これ。


ごちゃごちゃしたものはいらない。

たくさんはいらない。

本当に好きなものを少しだけ。

好きな人と好きなものに囲まれて過ごすのが一番幸せだわー!

結局これが、生きる道

2015-02-05 22:28:06 |  ├自分らしさ
好きなことをして暮らすこと
楽しいことだけして暮らすこと
ストレスなく暮らすこと

そんな生活に憧れる。
でもいざその立場が手に入りそうになったら罪悪感を感じちゃう。

そんな経験、ありますか?

それは怠惰なんじゃないかとか
もっと努力しなければならないんじゃないかとか
サボってると思われるんじゃないかとか。

私にはあります、そういう経験。


それを見事に“感じなかった”のは
闘病中、体や病気と向き合っているときや
大好きな仕事に夢中になっているときでした。


でも
それなりに健康で
特大のトラブルはないにしても、ものすごく夢中になれることがないときって
ごちゃごちゃ余計なことを考えちゃう。

先のことを考えて不安になったり、
やりたいことがわからなくなったり、
他人と比べて自分にダメ出ししたりね。


シンプルだった自分の中が、揺らいでしまうのです。


“好きなことをしていいんだよ。
楽しく暮らしていていいんだよ。”


そうなのかと思っても、それが知識や頭で理解した「そうなんだ」の場合は、やっぱりそう生きることに罪悪感を感じてしまう。


何故なら…


私たちは子どもの頃から「がんばれ」「努力しろ」と言われ続けて育っている場合が多いから。

しかもそれが “イコール しんどい思いを伴う” と経験してきていることが多いから。

辛さがないものは受け入れてはならないと、心の深いところに刷り込まれてしまっているのです。


だから好きとか楽しいとか嬉しいなどの気持ちだけで生きることを
受け入れられなくなってしまっているわけです。

しかもそんな渦中にいる時は、自分で気づくことができません。
必死だからね。


だから“幸せ率”が高くなると
「いいのかなぁ?」と不安になったり
「楽のあとには苦がくるんじゃないかな?」と怯えてしまったりするわけです。

無意識に自分の足りないところを探して、自ら泥沼の中に突っ込んでいってしまったりね。

シンドイよね。



『好きなことだけして暮らす』

この難しさ!


厄介な経験値を、私たちは積み上げてしまいました。



でも、年齢を重ねて生き生きと自分らしく生きてらっしゃる方々と話すと、みなさんこう仰います。
「楽しいことして暮らしてたらいいのよ!」

大きな失敗や経験を乗り越えた方々の見つけた答えもそこにあります。
「大事な家族と楽しく笑って過ごそう!」


そしてやっぱり私も今、思うことはこれなのです。

『好きなことして、楽しく生きていればいいんじゃないかな!』

大きな病気をしたり
しんどいトラブルに見舞われたり
1人で立っていられないほど傷ついたりした後に
私が辿り着くのはいつもそこ。

だから結局、答えはそこにあるのよね。


ナチュラルに シンプルに 自分らしく

自分が楽しいと笑っていられることをしよう。

今日のハジメテ

2015-01-29 16:59:58 |  ├自分らしさ
初めてのことってドキドキする。
初めての場所ってドキドキする。

今日のハジメテは、麻生図書館に行くこと。

たかが市立図書館です。

が、

ハジメテの所に踏み込むとき

ハジメテのことをしてみるとき

それがどんなに些細なことであっても
気持ちやものごとが動いたりする。

日常のパターンを少し変えるのは
時に楽しくて
時に勇気が必要で
時にドキドキ
時にワクワクする。


そして私が手に取った本は
「(例えば仕事や勉強のために)読まなければならない本」ではなく
「読みたい本」だったのでした。

HIROKOを生きる

2015-01-16 14:01:15 |  ├自分らしさ

昨年から新たに取り組み始めた私の探究の中で、
秋頃ふと思ったことがある。


 私、『ひろこ』をちゃんと生きてないんじゃないかな…


小さい頃、私はこの名前があまり好きではなかった。

ひらがなで書かれた3文字の印象が、なんとも大きくて広い。
伝わるかな?
「ゆ」とか「み」とか「な」みたいにくるくるっとかわいくはないの(笑)

妹の名前にはその文字が入っており、しかも濁点もついている。
ちょっと複雑でギュッと何かが詰まっている印象。

加えて彼女は、親や友達から「ちゃん」付けで呼ばれていた。
私は「ひろ」とか「ひろこ」とか、呼び捨てなのに。

とはいえ、当時はこんな風に言葉にして説明できていたわけではない。
何となく感じていたのだ。

小学校に上がって、友人からの呼ばれ方は渾名になった。
しかもそれは「ひろこ」という名前からではなく、
苗字(旧姓ね)を変化させたもの。

別に嫌ではなかったけれど、
妹は相変わらず名前の上2つの音に「ちゃん」付け。
どこかで羨ましさを感じていた。

そんな中、私もやっぱり「名前にちゃん付け」をしてほしくて
母に依頼した。

でもその頃の私は「ひろちゃん」という音をかわいいとは思えなくて
苦肉の策で「ろこちゃん」となった。

その呼び方はしばらく続き、
一見私の願いは達成されたかのように見えたのだけれど…
同時に感じる、なんともいえない心地悪さ。

結局数年後、母からの呼び方は「ヒロ」に戻り、今に至る。


学生時代から、私は「苗字に『さん』付け」される呼び方に抵抗があった。
「伊藤さん」のように。

だって苗字って、『自分』じゃない。
あくまで『家』だ。

だからたとえ苗字から発生した音であっても
ニックネームで呼ばれることは私にとってありがたいことだった。


結婚し姓が変わると、名前で呼ばれることが多くなった。
旧姓と違い、ニックネームを付けづらい「伊藤」が、私にとっては幸いした。

「ひろ」
「ひろちゃん」
「ひろこちゃん」
「ひろこさん」
「ひろさん」
「ひろ先生」

自分が戻ってくるような感覚があった。


そんなある日、私を「ひろこ」と呼んだ人がいた。

そのとき、稲妻のような衝撃が私の中を駆け巡った。


 あ…私、「ひろこ」なんだ。


『自分が、自分である』ということを感じた。
『私は、ひろこである』



私は名前を表記するとき、ひらがなで書くのが好き。
やわらかくて、まるくて、やさしい感じがするから。

 「ひろこ」

「なんかヤダ」った幼稚園時代とは真逆の感覚。
同時にカタカナはかわいくないと思っていた。

 「ヒロコ」

四角い!!(笑)

なのに母は、私の名前を「ヒロ」と書く。
いつまで経っても。

何故、伝わらないんだ…
そんな風にすら思っていた。

ところが!

この度、女神のファシリテーター・トレーニングで出会った仲間たちは
何故か多くが私の名前を「ヒロコ」と書いた。


 これは何だろう?!


さらにある友人は、私にメッセージをくれるとき
あえて漢字で書いてくる。

 「裕子」

ここにはおそらく、深い意図がある。


この「ひろこ・ヒロコ・裕子」にまつわるエトセトラ。
私が私を生きること、私が『ひろこ』を生きることが
大きく動き出している感じがする。

「ひろこ」も「ヒロコ」も「裕子」もすべて私で
私は「HIROKO」なのである。

すべてを許容できてきている私が存在している。


というわけで、これからも「HIROKO」をよろしくね。

未来の自分が知っている

2015-01-14 14:21:25 |  ├自分らしさ

初めて描いたフリーハンドの曼荼羅。

今までも、もっと簡易的な
何重にも円の描かれたものに線を入れていって色を塗る
というものはやったことがありましたが
何となく感覚が違いました。

今回の曼荼羅は、自分の内側にあるものを出して描いた感じ。

写真なので、実物とは若干印象が違いますが
あ~…私、こんなの描いてきたんだなぁ と
数日経って見ると、また体の内側から何かが沸き起こってくる感じがします。

この曼荼羅が象徴しているものが何なのか、
未来の自分が振り返ったときに気づくような気がします。

今、すべてをわかろうとする必要は、ないのよね。

『二言』なんて、ありまくり

2014-12-24 16:38:24 |  ├自分らしさ

あまりにも予想外で
自分にとっては衝撃的な提案で
体に落とし込んで考えることができないくらいパニックになって
頭で考えて「いいよ」と言った。

でも本当は、嫌だった。

私が「いいよ」と言ったから、事態は急展開。

あまりに早い展開に、私は全然味わいきれず
心がついていかない。

本当は、嫌だ。

だけど「本当は嫌」でも、他に策が思いつかなくて。
その提案を受け入れない場合に
自分が受け入れなければならないすべてを
引き受ける度胸も覚悟もなかった。


ただ流れに乗ったまま、サヨナラの日が近づいてくる。

確かに「いいよ」と言ったのは私だった。
だって全然、頭がついていかなかった。
いきなりのことに、ショックが大きすぎて考えられなかった。
だから「いいよ」と言う以外、どうしたらいいのかわからなかった。

私の心は置き去りのまま。

家族の手によって私の大切なものが
知らない人に奪われてしまうのだと気付いたのは、
事態が動き始めたことを知らせる母からの1通の手紙だった。

手紙を読んで泣いて、
それでも「いいよ」と言ったのは私だから…と
サヨナラを言いに行った。
諦めるしか、選択肢はもう残っていない。


でも実際にそれを目の前にして
手を触れて 音を聞いて 感じたら
もうダメだった。

嫌だ。

手放したくない。

こんなに、こんなに、大事だった。


「今更もう遅い。今回は諦めろ」と言われる。
「相手にも迷惑がかかる。
 こっちの勝手な都合で『やっぱり…』なんて言えない」と言われる。

わかってる。
わかってるけど、私もう、そんなにいい子じゃいられない。

私が謝るから。
私が話しに行くから。
私の大事なものを奪わないでほしい。
今ここで、無理やり自分を頭で納得させていい子を演じたら、
私はこの先ずっと後悔する。


伝えたら

受け入れてもらえた。


本当に、母にも妹にも先方にもご迷惑をおかけしてしまったけれど。
それに対しては本当にごめんなさいなのだけど。

受け入れてくれて、ありがとう。


言って、動いて、気づくことがある。

「二言はない」なんて言うけど、嘘だ。
言ってみなきゃ気づけないことなんてたくさんある。
言ったから気づいたこともたくさんある。


全部、引き受けることにした。




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心の方がわかってた

2014-12-23 23:07:07 |  ├自分らしさ

最善を考えたつもりでも、
頭で出した答えなんて、心も体も全然納得なんてしていない。

納得したつもりになっているだけで、
結局本当の自分が求めているものは全然違ってた…
…という現実をつきつけられた今日。


久しぶりにマリンバを弾きました。

手が覚えてた。
体に音が入ってた。
嬉しかった。
母も妹も、嬉しそうに聴いてくれていた。

私、こんなにマリンバが好きだったんだ…


目まぐるしく動く現実で、頭ではなく心と体で感じて味わっている2014年。

今、リセット&リスタートの時だなぁ…
本当に自分が大切にしたいものは何なのか。
何を手放して、何を大切に抱きしめるのか。

最近、涙腺崩壊率が高い。




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好きなこと探し

2014-12-18 12:29:11 |  ├自分らしさ

自分がやりたいこと、夢中になれること、好きなこと…

 そんなことをやって暮らしていければいいけれど
 そもそもその『やりたいこと』がわからない。
 『夢中になれること』なんて思いつかない。
 『好きなこと』が何なのかわからない。

 「好きを仕事にする」なんて一見素敵だけれど
 仕事にしたいほど好きなことって何なのさ?!

…って、思うことがあってもおかしくない。


人の心理とはおもしろいもので

好きなことが明確なときは
「やっていいんだ!」と受け取れる言葉であっても

そもそもその『好き』が何なのかわからないときは
その言葉がプレッシャーになってしまう。


 そんなに夢中になれるものなんて、私にはない。
 どうしよう…

って。


確かに自分が「好きだー!」と思えるものと出会えた時って嬉しい。
「ずっと探してて、『これだ!!』と思ったんです」という話も
たびたび耳にする。

そう。
そういう出会い方も、ある。

でもそういう出会いをしていない人にとっては
その言葉すらプレッシャーになってしまうことがある。


 「『これだ!!』と思った」

それは本当は、出会い方のひとつなだけ。



というわけで、ひとつ私の体験をシェア。



今年、私は今まで関わりのなかった世界やそのワークに参加してきました。

もともと倒れる前から心と体のつながりに関しては興味を持っていたし
倒れてからはそのつながりを身をもって体感&実感してきたし
ここと向き合いつつ、人にも伝え提供できる自分になることを
漠然と思い描いてはいました。

そんなことを思いながら仕事復帰したのが昨年の秋。

体の状態を見つつ手探りしつつ
いいペースで仕事を再開したわけですが、
年が明けたらいろいろな課題が一気に押し寄せてきました。

体も苦しかったし
自分を保つのもしんどかったし
一番大事な人への信頼が揺らいているし
正直、もうこれ以上どうすればいいかわかりませんでした。

その時、自分でやれることはもうすべてやっていたから。

そこで、藁にもすがる思いでとある2人に連絡。
そこから、徐々に私の世界が動き始めました。


初めて参加したワークショップ『Dragon Gate Sanctuary』。
「気になったらおいで」と言われて参加したのだけれど
正直、送られてきたURLからサイトを見ても意味不明(笑)。

本当にまったくもって意味不明だったのですが
何だか「これ、自分に必要だ…」ということだけはわかった私。

ワークショップ開始は3日後。
しかも3泊4日。
札幌からだから2日後には出発しなければ間に合わない。
交通費も宿泊費ももちろん参加費もけっこうかかる。
仕事も調整する必要がある。

 どうしようかな~…

悩みました、形だけ(笑)
そして私は、行くことにしました。

何もわからず参加したそのワークショップは
参加中もわけがわからず、私は4日間泣きっぱなし。

ただ「今まで自分が思っていたありのままの自分」と
「本当のありのままの自分」は違うのかもしれない…
なんていうことが見えてきて。
これまた怖くて、大泣きしました。

自分と向き合うってどういうことなのか
それまでとはまた違った次元での体験が始まった感じでした。


その直後、突然夫の転職が決まり、
念願だった関東への引っ越しが決定。


さらにそこからがまた怒涛のように

『なんだかよくわからないけど、ちょっと気になる』

『全然知らないんだけど、妙にひっかかる』

『怖いから見たくない』

『見たくないけど、そこを見なきゃいけない気がする』

『あ~…、嫌だ(>_<)!』

なんていうものが私の中に押し寄せてきて…

私はひとつひとつ、じっくり向き合って自分の中に落とし込んできました。



人は

目の前に“わかりやすいもの”があると安心します。

“頭で理解できるもの” や “説明できるもの”であれば大丈夫だと信じ込みます。

“好き” とか “夢中になれる” とか “夢を叶える” とか “ワクワクする” とか
ポジティブなイメージのものを信じるべきだという刷り込みもあります。



裏を返せば

“よくわからないもの”に対しては不安になる。

“理解できないもの” や “説明できないもの”を警戒する。

“嫌だ” “怖い” “見たくない” “向き合いたくない” と思ったものは
自分に害をなすものとして遠ざける。目をそらす。逃げてしまう。



でも実は、そっちにこそ自分の奥底で求めていた世界があったりするのです。

「うっ…」と斬られたその先に、
「あれ?いつの間にか私、こんなところにいた」
なんて感じられるような幸せがあったりするのです。



そんなわけで、このような体験を散々しまくった私は今年
自分に必要なものを着々と腹の中に入れ、
自分の器を広げている感覚があるのですが
「これぞ私の求めていたもの!!」と飛びついた感覚はありませんでした。

どちらかというと
「あー…嫌だーーー…」とか言いながら、
やると決めて、やって、感じて、探求して、気付いて、自分の中に落とし込んできた
感じ。


だからね、何が言いたいかというと
「うえ…」って思う世界が実は、自分に一番必要な世界だったりするのよ
ということ。

自分を夢中にさせるものとか、好きなこととか。
気づいたら手に入れているかもしれない。


>>さあ、一緒に探究しよう♪




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目立たないつもりでも、隠れられているとは限らない

2014-12-12 14:35:30 |  ├自分らしさ

似合うと言われても、明るい色の服が着られない。
華やかな色の服なんて着たら目立っちゃう。
パステルカラーなんて着たらまわりに何を言われるか…


目立ちたくない。


「だから目立たないように地味な色の服を着ています」
「暗めの色の服を着ています」
「モノトーンでまとめています」


ここには、見ていくべき心理がたくさん隠れています。

最初にお伝えしておくと、
これは“地味な色や暗い色はよくない”という話ではありません。
どんな人にも、似合う色があります。



さて。
ここに隠されている、向き合いたい心理とは?


まず、その方にとって
『目立つ』とは何なのか。

『目立つ』と、何が起こると思っているのか。

そもそも何故、それを『目立つものだ』と思っているのか。



そして
自分とはどんな存在だと思っているのか。

基準がまわりの目になっているのではないか。

誰の、何の価値観が刷り込まれて生きてしまっているのか。



さらにもし、これがパーソナルカラー診断を受けた後にも働く心理であれば、
自分に似合う色を受け入れられない
 =ありのままの自分の魅力を受け入れられていない

ことにも繋がってきます。

自分を大切にしているのだろうか。



私たちは生きていく上で様々な情報を得、価値観を植え付けられます。

その時、自分の内側に揺るぎない軸ができていないと、
まわりの目が気になってしまったり、
他人の価値観に振り回されてしまったり。

私も自分に似合うものを知って
見せ方(魅せ方)を知って
カラーセラピーで思いがけなかったことに気がついて
病気になって体の声を聴くようになって
心と体のつながりを体感して
コーチングで自分の深くまで入っていくようになって…

と、かなり自分のことを見て
対話して
気づきを重ねて、
自分の軸ができてきたと思っていました。

もちろん、事実として
何も知らなかった頃よりずっと自分があるし、自分がいると思います。


それでも探究の世界は奥が深いし、すぐに揺らぐ自分がいます。

なので自分の中で新しい気づきを重ね続けることの
深さと大切さを感じる毎日。

その軸が…
自分の内側にどんっと座っていられるモノがなかったとしたら…

その軸を他人の価値観や
『一般的』という言葉に代表されるような架空のものに
委ねてしまっていたとしたら


それはとてもシンドイだろうと思います。

その場合は、まず自分自身を創っていく必要があるわけです。


そして…
「目立たないように地味な色」
「目立たないように暗い色」
「目立たないようにモノトーンで…」
のつもりで着ていても、もしそれが自分に似合っていなかったら、かえって悪目立ちしてしまうのです。

ご存知でしたか?

この心理状態の場合、
目立たないようにしているつもりが
逆に “変な目立ち方をしてしまっている” って、
一番避けたいことなのではないかと思うのですが。

どうでしょう?


誰かに洋服やメイクのことを言われるとき
どちらかといえば、「似合う」「いい」と言われることの方が多くありませんか?

本当に似合っていない場合、
それを伝えてもらうチャンスって、実はなかなかないでしょう?

だから悪目立ちしてしまっていても、気づけない。
自分は隠れているつもりになっちゃう。

そしてまわりからの印象はそんなに良くない
(暗そうに見えたり、顔色が悪く見えたりしてしまうから)
という悪循環にはまってしまうわけです。


でも表現したい自分は、そうではないでしょう?
ではどんな自分を創っていったらいいのか。
そこを探究&クリエイトしていきましょう(^^)

このような探究&クリエイトをしていくセッションをしています。


>> どんな自分を創っていくか、探究&クリエイトをしていく



次の記事はこれに関連して
『「似合わない」と言ってくる相手』について
です。





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