ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
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綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

つづる7 「週一日記」のすすめ③

2015-01-19 11:22:52 | Weblog

 

つづる7

              《子どものうちに育てておきたい表現力》

                                                               「週一日記」のすすめ③

六 「書くこと」が心をケアするー1

 

                  日本語教育部会協力研究所員 田 中 定 幸

 

 

 

(一)日記にも「書き方」の指導を

 

「日記をはじめて、だいぶたった。何人かの子どもは、たしかによく書くようにもなった。けれども、そのほかの子どもたちは、あいかわらず、いつ、どこで、何をしたか。そしてどんな気持ちだったかと、あらすじのような書き方でなかなか進歩がみられない。」

 忙しい時間をさいて「赤ペン」を入れて励ましても、なかなか内容や表現に広がりや深まりがみられない。もっと、ほかのことに力を入れた方が、子どもも育つのではと、思ったり、考えたりするときがあります。

 日記は、子どもの「自己表現」であり、一人ひとりの子が、書きたいことをえらんで、書きたいように書かせたいとだれもが思います。そして、書いた子ども、書かれた内容や表現に合わせて教師は「赤ペン」を入れて返します。

 したがって、全体への表現指導が行き届かず、なかなか表現力が向上しないで、書き手の思いは教師には伝わらず、それを読み、感想を書く「赤ペン」も、思うように書けなくもなったりします。昔にくらべて日記を書く機会が少なくなった状況では「赤ペン」による子どもへの励ましだけでは、なかなか成果をあげることはむずかしいと思います。

 日記を書くことで、子どもの心を「ケア」し、成長をたしかなものにするためには、

「赤ペン」での指導と合わせて、その一方で、子どもたちに「日記を書く力」すなわち、文章表現力をつけていかなくてはなりません。

  月に一回でも、学校で日記を書く時間が設定されていれば、そこで書き方を指導したり、国語科の「書くこと」の領域の中に、「何を」「どう書くか」の時間を作って、表現力を育てていこことが、心のケアと自立をよりうながすことになります。

 

(二)「書き出し」を意識させる

 

 学校で日記を一斉に書くときには、書く前にひと言、アドバイスができるというよさがあります。「今日は、書きたいことがきまったとき、その出来事のどこから、あるいは、どんなふうに書き出したらよいか、ちょっと考えてから書きはじめてください。」こんなふうにいって、「書き出し」について、関心をもたせるようにします。

 あるいは、子どもたちが書いてきた日記を紹介するときに、題と書いた人の名前を読んだあとで、「この日記の書き出しはこうです。」と、書き出しの部分に注目させるようにします。

 よくある「書き出し」につぎのようなものがあります。

1 ことわり=説明からの「書き出し」

 

・にゅうがくしきの日に、げきをやりました。

 わたしは、やるまえにしんぞうが、どきどきして、きんちょうしちゃいました。

 まっているとき、となりのおともだちが、

「きんちょうするね。」…。

 (「おむすびころりんのげき」2年・りな)

 

・きのう、じゅぎょうさんかんがありました。

 朝の会のときから、はま口さんのお父さんがきていました。ぼくは、ずいぶん早いなあと思いました。それから…。

(「じゅぎょうさんかんははずかしい」4年・弘史)

 

 子どもたちは、「おむすびころりんのげき」という題をつけた後でも、「げきをやりました。」と書いたり、「じゅぎょうさんかんははずかしい」という題を書いた後でも、「きのう、じゅぎょうさんかんがありました。」と書きます。

 こうことわってから書くのは、その出来事が「いつのことか」を説明するために、書き、さらに、これから書きたいことは、どんな出来事なのか、ひとことことわってから書かないとおちつかないのかもしれません。

 はじめに、これから何のことを書くのか説明してから文章を書くと、そのあと続かないということがよく言われたりもしますが、ここでははじめに、こうしてひとこと、これから書くことは、「いついつあった」「この出来事だ」と説明していることを大切にします。

 身の回りにある出来事はともすれば連続して、その区切りがはっきりしないで過ぎていきます。そうしたなかで、「あの日の」「あの出来事」として、生活の中から切り取って、それを書いているという意識のあらわれとしてとらえることができます。このことは、「もの」や「こと」、「出来事」を自分とかかわりのあることとしてとらえられるということです。

 ふり返って、ある一つの体験を、自分とかかわりのあることとしてとらえて、自覚していくことは、身の回りに起こっている様々なことを意識することにつながります。人や「もの」や「こと」を知ることにつながります。

 人が不安を感じたり、安心できないのは、ものやことを漠然としてとらえたり感じたりしているため、その実態が見えないことに大きな原因があります。見通しをもてないところによりいっそうの不安を感じ、恐怖すら感じることがあるのです。この「不安」や「恐怖」を少しでも解消させていくためには、身の回りに展開する出来事を、個々に、具体的に、一つひとつ、区別してとらえることが必要なのです。

 ですから、文章のはじめに、ひとことことわりのように書く、「げきをやりました」「きのう、じゅぎょうさんかんがありました」という書き出しを、心に残った出来事を自覚しているという点で―生活の中ある一つの出来事をとらえているという点で―大きな意味をもった「書き出し」ということがいえます。

 

2 出来事のはじまりからの「書き出し」

 

 一つの出来事としてとらえ、出来事の始まりから書いているものもあります。こういうものを積極的にとりあげます。

 

・おひるごはんを食べて、黒い糸と百円とバケツをもって、いそいで川原くんのうちに行きました。ブザーをおしたら、川原君のおじさんがいました。

「川原君、いますか。」

といったら、おじさんが、…。

(「ザリガニをとりに行った」4年・さとる)

 

・ずっとまえ、くさはらで、やきゅうをやろうとさとうくんがいいました。ぼくは、

「やろう。」

といいました。けいくんもいました。

     (「やきゅう」2年・ようすけ)

 

3「 ~していたら」「~したとき」の「書き出し」

 

 また、その出来事は、ある時、目にしたことから、あるいは、何かをしていたら、しようとしていたら起こったということがあります。文章の冒頭に「…していたら」と書いたものがその例ですが、こうした書き出しも、出来事のきっかけ、始まりをしっかりととらえていることから、積極的にとりあげていきます。

 

・きのう、学校からかえってきて、うちへあがったら、はるきがねていた。おこさないように、算すうのテストなおしをした、テストなおしができたら、はるきが目をさました。でも、…。

(「へんなはるき」2年・桃子)

 

・学校から帰って、ごはんを食べて、ザリガニにえさをあげようとしたら、もう一ぴき同じようなものがいました。同じようなザリガニは、ひっくりかえっていました。

(「ぼくのザリガニがだっぴした」4年・さとる)

  

 こうして出来事のはじまりをとらえて書いた「書き出し」をとりあげていくようにします。

 

4「書き出し」を考えさせることの意味

 

 この他にも「書き出し」については、ここにあげた以外にいろいろあります。日記に多くみられる「ある日型」の文章の書き出しについては『作文指導のコツ①低学年』(注)でくわしくふれています。

 ◇出来事のはじまる少し前から ◇ある日の、行動から ◇日時から ◇目にしたものから(景色) ◇ある時、目にしたことから(様子) ◇ある日、目にしたことから(行動)◇ある日に、耳にしたことから(会話)◇ある場所で、耳にしたことから(音)◇会話から ◇場所から ◇まとめて、説明することから ◇前にあった出来事から

などの「書き出し」例をあげて紹介しています。

 よく、会話から書き出している文章にたいして、そのほめことばとして、「会話から書き出して、表現のしかたを工夫したのですね」といったりもします。また書き出しがマンネリ化しっておもしろくないと考えた子どもが、書き出しを「工夫して」、聞こえてきた音からかきだしたりする場合もあります。

 表現のしかたの工夫ということから考えることも大事なことともいえますが、「出来事のはじまり」が様々であることを意識づけるために、「書き出し」にもいろいろあることを子どもたちにも理解させたいものです。

 このことが、出来事のはじまりをさらに意識化することとなり、身のまわりに起こることがらをとらえる「視点」が身につき、出来事へのかかわりが積極的になって、出来事へのとらえかたがしだいにはっきりとしてくるのです。

 くり返すことになりますが、一つひとつの出来事としてとらえることができるようになることが、「安心」につながり、子どもたちは、心をひらきはじめるのです。

 

 この「書き出し」の指導は、文章の冒頭の、短い部分の紹介ですみます。ですから、ここでも短時間で、たくさんのクラスの友だちが書いた文章と、書いた人を紹介することができます。心のケアのためにも、日記の書き方の勉強のためにも、おおきな成果をあげる指導です。

 

(三)「もの」や「こと」、「人」を意識させる

 

 日記に、自分のしたことをしたとおり、自分の思ったことや考えたことだけを書く子どもがいます。

 そのとき自分のしたことや見たこと、話したこと、思ったことや考えたことだけでなく、その出来事でいっしょになってかわった人、かかわってくれた人の行動や様子、かかわった「もの」や「こと」についても、ふり返って目を向ける子どもにしたいものです。

 日々の暮らしは、自分の行動や考えだけで展開しているものではありません。身の回りにあるものやこと、人などを意識するかしないかにかかわらず、とりまく環境におおきな影響をうけて人は暮らしています。

 毎日の生活に不安や悩みをあまり感じてない場合には、それらが空気のように感じられて、制約を受けていると思ったり、影響を自覚したりすることはありません。

 けれども不安や悩みを感じたり、かかえるようになったときには、身の回りにあるものやこと、人、あるいは生活全体が、大きな重み・圧力となってのしかかっているように感じます。そして、この重圧を、「漠然」ととらえたり「全体」として感じているだけでは、不安はつのるばかりです。悩みは深刻になっていきます。

 この不安をとりのぞくには、とりまいている、まわりのものやことを一つひとつ、具体的にとらえていくことが必要です。まわりのものやことあるいは人との関係などを細部にわたってとらえて理解することが必要です。(分析したり総合したりすることはその次になります。)まわりとの関係を追求することで、自分の今の状況がみえてくるのです。

 自分との関わりの深い身のまわりの「もの」や「こと」、また「ひと」などと、実際にどのようにかかわって生活をしているかをふりかえることで、現実の把握ができ、かかえている問題が見えてくるのです。

 まわりの「もの」や「こと」が見えてくると、悩みや危険からは、本能的にさけようとします。また、受け入れにくい「もの」や「こと」を自覚することで、それを避けるようになります。

 その結果、すこしずつ心の不安が解消されていくのです。それだけでなく、具体的なものやことを理解したり自覚することとあわせて、環境が改善され、具体的に「もの」や「こと」とどのように関わっていけばよいかを学習したり、他の人に、みとめられたり、はげまされたりすることで、行動の道筋が見えて来て、「自立」への道が開かれるのです。

 このとき、もっとも基本となる部分で力を発揮してくれるのが「書くこと」なのです。生活をつづる日記に、身の回りの「もの」やこと、「ひと」とのかかわりを、文字によって表現することがまず大事なことなのです。くわしく書きつづっていくうちに、体験が客観的に見えてきて、出来事のもつ意味に気づき、理解を深めて、現状をとらえることができるのです。それが「心のケア」につながっていくのです。

 そのためには、自分がしたことだけでなく、見たこと、聞いたこと、ひとやものやことを書くようにはたらきかけます。また、いっしょにいた人のこと、関係の深かった「もの」や「こと」の様子や動きに目が向いているような日記を取り上げます。

 

   しゃぼんだま

                2ねん・まゆこ

 きょう、いもうととしゃぼんだまをしてあそびました。わたしが、まえにかっておいたしゃぼんだまのえきで、しゃぼんだまをつくりました。

 わたしは、そうっとふきました。しゃぼんだまは、フワーッととんでいきました。いもうとが、ほじょつきのじてん車にのりながらわろうとしていました。ほじょつきのじてん車にのりながら、上をむいて手をのばしながらわっていました。

  しゃぼんだまはたくさん出ました。小さいのや大きいのが出ました。いもうとが、

「きれいだね。」といいました。

おじいちゃんが、しゃぼんだまを見ながら、わらっていました。しゃぼんだまは、すきとおったいろだけどきれいでした。

 いもうとが、「やりたい。」といったので、やらせてあげました。いもうとは、「フッ」とやってしまうので、すこししか出ませんでした。いもうとは、「すこししかでないよ。」といいました。わたしは、

「そっとふくんだよ。」といったら、

「そうか。」といいました。そして、ふいてみました。いもうとが、そうっと、「フー」

とやったら、大きいのや小さいのが出てきれいでした。いもうとは、おもしろくてなんかいもやっていました。いもうとは、「おもしろいね。」といってまたやってみました。わたしは、そんなにおもしろいのかなあとおもいました。

 

 この日記を読むと、子どもたちは、「しゃぼん玉であそんでいる様子が目にうかんできます。」と言います。「それは、なぜか。」と聞くと、しゃぼん玉の飛んでいく様子や、妹の行動から、よくわかると答えてくれます。そこで、あらためて、妹のことが書かれているところを確かめさせ、そこからどんなことが分かるかを問いかけてみます。

 さらに、どんなことがらが順に書かれているかをみんなで確かます。

 書き出しは、しゃぼん玉をしたことの説明から入っています。そして、自分で液を作って、とばしたこと(したこと)。→しゃぼん玉(もの)→妹の行動(ひと)→しゃぼん玉→妹のコトバ→おじいちゃん→しゃぼん玉→妹とのやりとり→しゃぼん玉→妹のこと→思ったこと。

 こんなふうに、そのときに書かれていることがらに目を向けさせるのです。そして、自分のしたことだけでなく、その場の様子やものやこと、かかわったひとのことを書いているので、様子がわかることと同時に、ひとつの出来事は、いろいろな「もの」や「こと」「ひと」がかかわりあって(=つながって)起こっていることにも気づかせ、そういうことがらをいれて書くことの大切さに気づかせるのです。

 まわりの様子、ものやことを書くことで、子どもたちは身の回りのものごとに目や心をはたらかせるようになります。その結果、状況の理解、出来事の理解が進み、一つひとつのものやこと、人にたいする関係が見えてくるのです。見えてくることにより、どう対処すればよいかがわかってきて、「安心」できるのです。

                            (綴方理論研究会)

(注)『作文指導のコツ①低学年』(田中定幸著・子どもの未来社)