お受験の旅ですが、
成績に見合ったこちらの高校行きたくない
と
長女。
『日本の高校行きたい』
ネットは情報収集には
本当に助かりますが、
実際、見てみると
限られた情報の中から
教育理念や実績、校風など、全く伝わってこないし
本質を見抜く目
が問われ、
ママとしては不安いっぱい。
その前に、
四川人夫の強い要望で
日本での日本語学校探しからスタートで
文字を見すぎたせいか、
ほんまに
髪の毛の内側に白髪がいっきに増えたわ。
幸いにも、交通至便な
関西外語専門学校さんに
三か月、お世話になりました。20.5万円。
中国語ができる先生がいらっしゃることが
強みでした。
お若いのでご経験は浅いかもしれませんが、
お会いして人柄にふれ、二度安心。
なんと、
日本語教師なのに、
長女と一緒に授業体験したもんね。。
長女よりママの方が、はりきって自己紹介したしね。
書くことに関しては、
幼稚園でひらがなかけたくらいで
ゼロから1くらいのレベルから、
わずか三か月でここまで進歩、
受験勉強中の長女の作文を添削すると
形容詞の活用など
日本語専門の大学生でも
母語の影響から定着できないものもありますが、
完璧ではないものの、
ママとしては満足行く結果でした。
そのとなりには
同グループのインターも併設、
教育内容もネットからの情報と
実際お伺いした際には、申し分なかったけど
一年で100万以上は
借金しても払えまへん。
オープンキャンバスに行ける学校となると
探すのも大変ですが
日本で行かせたい高校はわたしが決めていたのと
運よく、
帰国子女枠を設定してくれていたので
受験が出来ました。
帰国子女枠のある国立高校も調べましたが
受験日が第一志望の私立と同じ。
教育理念、活動や教育プログラム、実績など
ある情報から判断し、私立選択。
参考までに、長女の私立高校では、
① 海外生活体験している資料/卒業証書と成績証明のコピーと翻訳
日本の形式とは違ってても、それをそのまま保護者が翻訳。
② 日本の募集要項にある書類で、中国にない内申書にあたる書類は、
その旨を入試係りの方に相談し、無記入提出。
日本の現代の若者の問題も
ここ数年、たくさん見聞きしているので
大学までは
親元で育てたいと思うのが本音。
将来つきたい職業まで
いつのまにか決めていたようで
ママととしはびっくりでした。
わたしも、
おそまきながら、野望を抱いております
あんころもちも、、、、。
わんころをたくさん、心置きなく飼うためだけに、
一戸建てに住みたいそうです
で、お受験日。
正門というか、最寄の駅からちがうんやな。
一本道の徒歩20分なんですが、
十字路には
必ず交通整理の方や学園の方がいらっしゃって、
あいさつシテくださるので
こちらも、なんども挨拶とお辞儀で通過。
そして、正門くぐると、
通常なら案内立て看板はいっこくらいがたってそうな日本の校内。
女子生徒さんが、ポイントにたって
人が案内。
そして、
感動の出迎え。
試験待機会場の二階まで
階段の両サイドは生徒さんの笑顔でうめつくされ、
『がんばって』の声援。
途中からは、
創立者の心にうるうるしながら
なぜか『もう、受かってる』
との大確信でした。
オープンキャンパスでも
トイレの場所を聞いたら
説明しようして、
『ご案内します』と連れて行ってくれた女子生徒。
ちょっと前指させばわかる距離なのに。。。
普通の公立高校、おもてなしの日本でもここまでしないでしょうね。
涙こらえて、待機会場へ。
ざっと、100人以上はいてる。
スーツケースもった遠隔地からの受験生も。
帰国子女枠組みは
今回5名ほど。
全員合格だといいのに。。
受験会場へ移動の合図がはじまると、
父兄の前で
生徒たちが整列しはじめた。
そして、進行役の方が
「受験生のみなさんが、出発します。拍手で送って下さい」
午前中の受験が終わり、
待機会場兼昼食会場に戻ってくると
「受験生が戻ってまいりました。拍手で迎えて下さい」
手が痛くなるほど、叩きました。
普通、ドン引きかもしれません。
しかし、
創立者の生徒たちに対する心が通じた人は
微笑ましく、協調できると思いました。
そのお心とは、、、
『あなたが忘れても、わたしは忘れません』
「たとえ、牢屋に入ったとしても、見捨てません」
面接に向かう他の受験生を拍手で見送った後、
そそくさと退室。
受験前に、一言だけ、言葉を交わした
同じ帰国子女枠受験の
韓国からのハーフ受験生の付き添いの
初対面の奥さんとさっそく
昔からの友人のようにおしゃべり
『入学式のスーツ、もう決めてんで』
わたしと同じ、合格前に大確信の関西おかん。
連絡先は交換せずに、
『入学式に会おうね』
と、
その底抜けに明るい韓国人ハーフの女子に
長女じゃなくて、わたしが挨拶
交流術は、重慶じこみですから。
受験は全て終了し、
わたしたちは先に帰っていいんですが、
縁をつけるために、学園のランチをいただきました。
この奥さんもしかり。
ランチ、500円。
右側の午後茶は、なんとなんと
創立者からの差し入れです。メッセージと共に当日いただき、感激でした。
勇気百倍とはこのことですな。
ママが受験やないのにね。なんでおかんがやる気満々やねんな。
英語が得意な長女。
っていうか、英語だけ?と言った方が近いかも。
確かに日本の一般高校入試教材の
ヒアリングテストを一つ試に聞いてみましたが
わたしでもわかるくらい
たまたまか、不自然にスピード遅い。
長女いわく、重慶の中学でも、彼女にとってのスピードは同じらしい。
テスト時間が50分と短く、
見直しが出来ないらしく、重慶では90分で三回くらい見直しできたほど
時間に差があると。
読解問題も、過去問題には
忘れていた単語があるくらいで
初めて聞く単語はテスト当日は、一個くらいで、手ごたえ大ありだと。
作文は、中国語はもちろん問題ないけど
日本語の作文、なんとテーマにある漢字が読めずに
事前に書いて覚えていた作文を書いたらしい。
確かにその内容は、
親ばか最強になるくらいの内容でしたが、
東大のように、問題読解力を問われるような学校だったら終わりかもしれませんでした。
数字だけで生徒を判断しない、
見るべき観点が違う、
そして、
子供の可能性を無限大に信頼し、期待してくださったのだと
本当に本当に心から感謝でした。
感激のあまり、
創立者にお手紙を書きました。
お返事は期待しておりません。
同じように、年賀状も毎年創立者に出されて、
何かあるごとにお手紙書いている奥さんにも
そのようにお伺いしました。
ではなぜ書くのか。
自分が求めている限り、
その生き方は、相手や環境に紛動されません、崩れません。
異国の地にいても、心はつながっています。
両親を慕うように。
面接ですが、
練習した通りに
あいさつ、はっきり、大きな声(重慶やからね、これはバッチグーよ)で、目を見て、笑顔で、お辞儀、
終わった後、
「ママ~、めっちゃ緊張したよ、心臓飛び出そうやった」
長女よ、緊張するんが当たり前じゃ。
面接の時の洋服は
あまり考えていませんでした。
帰国子女枠なので、
アメリカなどは制服もないし、個性丸出しでいいのでは
と思いましたが、
日本の高校ですから、日本文化での面接を意識して
制服に近い洋服もわざわざ買いに行きました。
わたしと共用できるもの
運よく、70パーセントオフバーゲンにのっかって、
一枚、1300円くらいで上下買えました
いまどき、重慶でもこの質でこの値段はあらへんよ
面接時はスリッパ持参なので
柄物が実家にもありますが、
どうせ使うから、と
イトーヨーカドーに行きました。
銀聯カード使えるから便利。
レートも極端じゃないし。
セブンイレブンのセブン銀行で
レートはけっこう悪いけど、
日本円の引き出しできるから、これも便利。
大阪の中国総領事館で
マシーンが新札をうけつけず、
持ち合わせなくて、近くにセブンイレブンがあって助かりました。
うちの近くって、
ほとんどファミマ。
あっ
実は、セブンイレブンでなんと、コピー機にパスポート忘れちゃったんだよ~
中国総領事館で気づいて、
一時間後に戻ったら、カウンターで保管してくれていた
其のあとのコピー客の心ある方が届けてくれたらしい。
お礼に
買うものなかったけど、
100円のポップコーンとビール、お買いものしてきました。
重慶なら、まず出てこない。
というのはは、
忘れ物は、お金以外『捨てたもの』として
見られる、と
重慶人ママ友に言われたことが。
ハンドタオル、、ケーキ工房に
明らかに忘れて、もうなかったもんね。
で、スリッパ買に来たんだけど、
長女が選んだのは無地のベージュ。
『ギンガムチェックなんかかわいいで』
とのわたしの意見に対して
『そんなん、ごちゃごちゃしとったらあかんやろ』
と思わぬ反撃
もちろん、外見が合格基準の一つかどうかは分かりませんが
『後悔しない』
が長女の思いだったので、
面接も受験の一つとして、乗り越えられたと思っています。
母は知り合いですが、私は初対面なのに、
わが子のように喜んで下さった実家のご近所さんから、当日届いたお祝いのケーキ。
面接用の服で、記念撮影。
授業についていけるのか、これからが勝負や
嬉しいことは、2倍に、悲しいことは半分に、
幸せはおすそわけ。
誰の言葉だっけ