本屋で目に止まった齋藤孝の「三色ボールペンで読む日本語」(角川文庫)を読んでみた。
三色ボールペンで線を引きながら本を読んでいきましょうという内容なのだけれども、色の使い分けは、
・青(客観重要) 「まあ大事」というところに引く。
・赤(客観最重要) 客観的に見て「すごく大事」と思ったところに引く。
・緑(主観大切) 自分が勝手に「おもしろい」と感じたところに引く。
となっている。
よく練られたメソッドだと感じるのは、主観と客観を使い分けているところである。
読書に限らず、主観と客観をきちんと区別できる人はあまり多くない。
もちろん自分もそこに含まれるのだけれど、思い込みや主観を事実であるかのように話したり書いたりするのはよくあることで、そこから共通理解は生まれにくい。
音楽をやっていた経験を思い返すと、三色ボールペンでいう青と赤を共有できている相手とは、一緒にやっても話をしても楽しいものだ。
言い換えると、そういった共通認識のない相手とお互いの好み(緑)をぶつけ合ったところで、それは時間の無駄に終わることが多く、「趣味は音楽観賞です」とか言う人と話をしてみても、実はJポップしか聞いてなくて、実のある話など一つもできなかったという経験を何度もしたのは、バックグラウンドを共有していないのが原因だ。(別にJポップが駄目と言ってる訳ではないので)
読書以外のジャンルでも三色ボールペンの引き方があるということだ。
で、これを強引にサッカーの話に持っていく必要は全くないのだけれども、一見さんが常連になるのはそう簡単ではないジャンルだと常々思っていたので、幸か不幸か常連になってしまった者の一人として、考えるところを書いてみようかなと。
サッカーは他の競技と比較してゴール数が少ない、つまり成功よりも圧倒的に失敗が多い競技なので、ゴールシーン以外に見所を発見できなければあまり楽しくない。
では何が客観的に重要(青と赤)なのかというと、攻撃側がゴールを奪うために、守備側がゴールを奪われないために何をしているか、ということであると思う。
システムや戦術を知ることは、理解の助けになるだろう。
ファンどうしで話をするのに十分な共通認識となり得る。
ただ、あくまでそれらは目的を達成するための手段であって、手段が目的化するようであってはならないし、同様に、それらは本質ではなく、理解するための補助的な道具でなければならない(と思う)。
三色ボールペンとサッカーを結びつけようとしたのは、以前実践していた観戦トレーニングを思い出したからだ。
実際に試合を見ながら、前半15分から20分くらいまでに両チームのフォーメーションを書いてみる。
雑誌に載っているフォーメーション図の通りに選手が並んでいる訳ではないので、最初は簡単でないはずだ。
各選手の主にいる位置や動き(役割)を見ながら判断する。
乱暴な表現をすると、登場人物(選手)の動きから著者(監督)の意図を探り当てる作業をしていたのだと思う。
こういう見方ができるようになると、「4バック気味の3バック」とか、フォーメーション図には載らない意図も見えてくるようになるし、システム変更を伴う選手交代もすぐに把握できるようになる。
テレビよりもスタジアムでやる方が全体が見渡せていいのだが、主観的に見たいであろう、ひいきのチームの試合ではおすすめできない。
最後にやったのは2003年の東アジア選手権、韓国VS中国だったような気がするが、こういうどうでもいい試合でやるとよい(笑)
序盤に各選手の動きをチェックしていたら、中国のサイドバックがいいなと思ったのだが、間もなくして彼はプレミアリーグに移籍した。
名前も忘れたし、その後活躍しているのかどうかも知らないが、ちょっと嬉しい気分になったものである。
そう遠くない将来に1億総代表監督という時代を迎えるかもしれない状況のなかで、どれだけが青や赤の線を適切な箇所に引けるのかと思うと、多少心許ない。
繰り返すが、緑のぶつけ合いは、青や赤をある程度共有してこそ楽しいのだ。
三色ボールペンで線を引きながら本を読んでいきましょうという内容なのだけれども、色の使い分けは、
・青(客観重要) 「まあ大事」というところに引く。
・赤(客観最重要) 客観的に見て「すごく大事」と思ったところに引く。
・緑(主観大切) 自分が勝手に「おもしろい」と感じたところに引く。
となっている。
よく練られたメソッドだと感じるのは、主観と客観を使い分けているところである。
読書に限らず、主観と客観をきちんと区別できる人はあまり多くない。
もちろん自分もそこに含まれるのだけれど、思い込みや主観を事実であるかのように話したり書いたりするのはよくあることで、そこから共通理解は生まれにくい。
音楽をやっていた経験を思い返すと、三色ボールペンでいう青と赤を共有できている相手とは、一緒にやっても話をしても楽しいものだ。
言い換えると、そういった共通認識のない相手とお互いの好み(緑)をぶつけ合ったところで、それは時間の無駄に終わることが多く、「趣味は音楽観賞です」とか言う人と話をしてみても、実はJポップしか聞いてなくて、実のある話など一つもできなかったという経験を何度もしたのは、バックグラウンドを共有していないのが原因だ。(別にJポップが駄目と言ってる訳ではないので)
読書以外のジャンルでも三色ボールペンの引き方があるということだ。
で、これを強引にサッカーの話に持っていく必要は全くないのだけれども、一見さんが常連になるのはそう簡単ではないジャンルだと常々思っていたので、幸か不幸か常連になってしまった者の一人として、考えるところを書いてみようかなと。
サッカーは他の競技と比較してゴール数が少ない、つまり成功よりも圧倒的に失敗が多い競技なので、ゴールシーン以外に見所を発見できなければあまり楽しくない。
では何が客観的に重要(青と赤)なのかというと、攻撃側がゴールを奪うために、守備側がゴールを奪われないために何をしているか、ということであると思う。
システムや戦術を知ることは、理解の助けになるだろう。
ファンどうしで話をするのに十分な共通認識となり得る。
ただ、あくまでそれらは目的を達成するための手段であって、手段が目的化するようであってはならないし、同様に、それらは本質ではなく、理解するための補助的な道具でなければならない(と思う)。
三色ボールペンとサッカーを結びつけようとしたのは、以前実践していた観戦トレーニングを思い出したからだ。
実際に試合を見ながら、前半15分から20分くらいまでに両チームのフォーメーションを書いてみる。
雑誌に載っているフォーメーション図の通りに選手が並んでいる訳ではないので、最初は簡単でないはずだ。
各選手の主にいる位置や動き(役割)を見ながら判断する。
乱暴な表現をすると、登場人物(選手)の動きから著者(監督)の意図を探り当てる作業をしていたのだと思う。
こういう見方ができるようになると、「4バック気味の3バック」とか、フォーメーション図には載らない意図も見えてくるようになるし、システム変更を伴う選手交代もすぐに把握できるようになる。
テレビよりもスタジアムでやる方が全体が見渡せていいのだが、主観的に見たいであろう、ひいきのチームの試合ではおすすめできない。
最後にやったのは2003年の東アジア選手権、韓国VS中国だったような気がするが、こういうどうでもいい試合でやるとよい(笑)
序盤に各選手の動きをチェックしていたら、中国のサイドバックがいいなと思ったのだが、間もなくして彼はプレミアリーグに移籍した。
名前も忘れたし、その後活躍しているのかどうかも知らないが、ちょっと嬉しい気分になったものである。
そう遠くない将来に1億総代表監督という時代を迎えるかもしれない状況のなかで、どれだけが青や赤の線を適切な箇所に引けるのかと思うと、多少心許ない。
繰り返すが、緑のぶつけ合いは、青や赤をある程度共有してこそ楽しいのだ。