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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

間一髪

2007年07月14日 17時52分52秒 | 雑記
ついさっきまで、今日のナビスコ杯は19時キックオフだと思い込んでました。
アキバでゆっくりしてる場合じゃなかった…
現在中央線四ツ谷。ギリギリ間に合うか。


浅草線トラブル

2007年07月08日 17時47分29秒 | 雑記
最近浅草線、しかも泉岳寺あたりのトラブルが多いです。
今日も横浜に行くために泉岳寺まで来たら、京急線の乗り入れがストップしてました。
結局五反田まで乗ってからJRに乗り換えです。新橋で乗り換えておけばよかったorz


東京国際ブックフェア

2007年07月08日 02時46分06秒 | 雑記
学生時代に原書で読んだきり行方不明になったポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』があればいいなという淡い期待を抱き、東京国際ブックフェアの洋書バーゲンへ。

が、じっくり探すのは困難でした。数から推測しても、時間をかけて探したところで、多分なかったような気もします。

シェークスピアはたくさんあったし、カフカの『変身』(英語版)とジョイスの『ダブリンの市民』が多少は気になりましたが、結局、成果はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のみでした。僕にとって4冊目のギャツビーです。コレクション的な面を除けば、成果はゼロに等しいということです。

英文が美しいと感じた記憶があるので、『シェルタリング・スカイ』は、もう一度読んでおきたいと思っています。

あわせて読んでね

2007年06月22日 00時58分11秒 | 雑記
「あわせて読みたい」にブログじゃないと言われてしまった件ですが、いつの間にか対応されていました。

あわせて読みたい

gooブログの場合、どこにどう表示するかが問題です。gooがサポートしているものしか使わせてくれないブログパーツ欄には貼り付けられませんし、お金払ってアドバンスを利用しないと、テンプレートとしてサイドバーに貼り付けることもできません。

ちょっと抵抗して、ブックマークの所にリンクを貼り付けてみました。これしきのことで融通の効かないgooブログって、どうなんでしょうか。

CSSに小細工すれば何とかできるかもと考えましたが、今は気力がないので調べるのはまた今度。

浦和戦@味スタ

2007年06月17日 15時53分29秒 | 雑記
レッズサポ、試合前からガンガン来てます。ホームのチケットを先行販売してたのに東京が半分強だなんて、人気の差は歴然です。

でも、今日は2-1くらいで東京が勝つ予感。全然根拠はないけれどね。

表現の自由

2007年06月05日 01時59分44秒 | 雑記
先日観た演劇が、何度思い返しても好きになれないし、いい作品だと評価することができないのはなぜだろうかと、しばらく考えていました。

何となくピンときたので、まとめておきたいと思います。

その劇団の舞台は、昨年の秋と先月末の2回観たのですが、それぞれ明治政府、GHQという巨大な力が背後にあって、力なき者はどうすることもできないぞと。それに「お国のためになんたらかんたら」みたいな。

安易過ぎる設定がNGなどと言うつもりはありません。問題なのは、そういった背景を描く以上は、いざとなれば母国を捨てたり、国家と差し違えたりする覚悟があなた方にはあるのですかということです。一度ならともかく、二度やられると見過ごせません。ミラン・クンデラやアゴタ・クリストフの作品の持つ「すごみ」と較べると、僕にはハッタリにしか見えませんでした。文学と演劇の違い、世界的な作家と小劇場の劇団の違いなど、単純に比較できない要素はあるだろうけれども。漠然とした記憶しかありませんが、チャップリンの『独裁者』も然り。誰があの作品を安易だと批難するでしょうか。

もし、先に書いた覚悟があるのだとしたら、こんなこと書いて申し訳ないとは思います。でも、僕には届きませんでした。20年前の小説の方が、はるかに斬新で衝撃的でした。もしあの脚本の評価がかなり高いものであったなら、僕は演劇観賞には向いていないということになるのでしょう。

要するに、脚本だけが気に入らないのであって、他にはこれといって言いたいことはありません。演技や舞台には迫力があるし、特定の役者さんLOVEということになってるみたいだし(笑)、機会があればまた観たいとは思っています。今後は、時代設定などをチェックしてから行くかどうか決めるでしょうが。

普通ここまで書いたら「二度と行くかボケ」なんでしょうけど、つくづく僕っていい人ですよね。
こんなこと書いてるのがバレたらアク禁かもしれないけどw

左手

2007年05月29日 01時41分47秒 | 雑記
asahi.comに「電車内で女性の胸さわった容疑、農水省課長補佐を逮捕」という記事がありました。

万世橋署の調べでは、浦川容疑者は26日午前0時10分ごろ、JR京浜東北線の東京―神田間を走行中の車内で、会社員の女性(31)の胸を左手でさわった疑い。

いやその、警察の取り調べでは「どっちの手でさわったんだよ!? えっ、左手? こうか、こうなのか?」みたいなことやってるんでしょうけど、別に記事に書くことでもないんじゃないかと。

軍鶏307

2007年05月27日 23時58分26秒 | 雑記
劇団桟敷童子の『軍鶏307』を観ました。この劇団の舞台を観るのは、昨年の『海猫街』に続いて2度目です。今回は、鈴木興産という会社の中の倉庫での上演でした。ケツ痛かったっす、勘弁してくださいよ。

2作観て感じたのは、この劇団の作品が、ストレートで古典的な傾向を持つということでした。直情的に訴えてくることを指しているのではありません。虐げられる者の描き方や、軍鶏307という希望の象徴の使い方のことです。それとも、「九州○部作」みたいに、たまたまそういう傾向の作品が続いているだけなのでしょうか。

ここで、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の一節を引用します。時は1968年、「プラハの春」に対するソ連の軍事介入を描いた場面の一部です。これはまさに「飛ベナイ鳥ハ鳴クシカネエ」ですが、ずっとドライな「鳴き方」です。

それにセックスに飢えている、かわいそうなロシアの兵隊たちの感情を刺激する信じがたいほど短いスカートをはいていた女たちがいて、彼らの前で誰かれとなくあたりを通る人とキスをしていた。(第2部-23)

もう少し例を挙げましょう。カミュの『ペスト』はメルヴィルの『白鯨』にインスパイアされて書いたものだそうですが、架空の都市における緊迫感あふれるスペクタクルに置き換えることに成功していますし、突然逮捕されて裁判にかけられる主人公の境遇を描いたカフカの『審判』は、何らかの虐げられた境遇の比喩だと解釈することもできるでしょう。もう数十年もすれば古典とみなされるようなこれらの作家ですら、すでに比喩化された舞台を使っているのです。

また、いわゆる現代劇というやつでも、軍鶏307などの何かを象徴するものは、穏喩として現れるか、もしくは現れることさえないのではないでしょうか。たとえわかりやすいものでも、軍鶏307のようにセリフで説明してしまうのは、かなり珍しいのではないかと感じました。

そういった表現の多様さを踏まえた上で、桟敷童子における古典的手法の必然性ということを考えてみるのも、ファンの方にとっては楽しいのかもしれません。多少の流行はあるでしょうが、表現の新旧が作品の良し悪しを決めるものでもないでしょう。新しくてもクソみたいな作品はたくさんありますしね。そして古典的でストレートなのがこの劇団の特徴なのではなく、全編を通して貫かれる力強さこそが最大の「売り」なのだとしたら、そのテイストは残した上で、現代的な作品を一度観てみたいと思うのです。古いからダメだと批判するつもりは毛頭ないのですが、日露戦争後の次は大戦直後という設定が続くと、申し訳ないですがちょっとね…