アメリカ企業に勤めていたときに、アメリカ本社から会長と社長が来日し、通訳としてディナーに駆り出されたことがありました。 一人の日本人重役が、「日本には、俳句という優れたポエムがあります。『古池や蛙飛び込む水の音』というのです」と言いました。
食事を取りながら、必死になって通訳していた私は、えっ、と固まってしまいました。今でこそ、短歌を少々嗜みますが、まだ、30代では、芭蕉の句を解釈し、訳すという能力は、当然ありませんでした。しかも即興では。何とか、言葉を連ねて、その場をやり過ごしました。
Matsuo Bash・ Frog Haiku というサイトを見つけました。この芭蕉の句を31人が訳しています。英語の詩は、韻を踏まなければなりませんが、俳句を英訳する場合には、韻を踏まなくてもよいようです。
その中で、有名な人の訳を2つ見てみます。
古池や 蛙飛び込む 水の音
The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water.
(ドナルド・キーン訳)
Old pond - frogs jumped in - sound of water.
(小泉八雲=ラフカディオ・ハーン訳 )
ドナルド・キーンは、蛙が一匹いたとして、訳していますが、小泉八雲は、蛙を複数いたとしています。日本語は、単数か複数かの概念がないので、訳す場合には、もし、原作者に聞くことができない場合には、訳者が想像するしかないのです。これは、俳句だけでなく、すべての和文英訳に言えることです。キーンの世界では、一匹の蛙が、ぽちゃーんと古池に飛び込んだ様子が感じられますが、八雲の世界では、かなり賑やかな池の様子が感じられます。
また、キーンは、現在形を使っており、一方、八雲は、過去形を使っています。キーンの場合には、この句を読んでいる人たちの目の前で一匹の蛙が飛び込む様子、水音が響いてくるような感じがあります。一方、八雲の訳では、過去形にすることによって、すべて一連の動作が終わり、静けさが漂って来る感があります。
いろいろな訳をしてもどれが正解ということはないんだとわかって、ほっとしました。そして、俳句 (Haiku) が、多くの外国人に受け入れられていることを、このサイトで知りました。
海外とのビジネスにおいて、重役レベルになると、こんなことも話題になるということを、若い方には知っておいていただきたいなと思います。
ユラーナ
食事を取りながら、必死になって通訳していた私は、えっ、と固まってしまいました。今でこそ、短歌を少々嗜みますが、まだ、30代では、芭蕉の句を解釈し、訳すという能力は、当然ありませんでした。しかも即興では。何とか、言葉を連ねて、その場をやり過ごしました。
Matsuo Bash・ Frog Haiku というサイトを見つけました。この芭蕉の句を31人が訳しています。英語の詩は、韻を踏まなければなりませんが、俳句を英訳する場合には、韻を踏まなくてもよいようです。
その中で、有名な人の訳を2つ見てみます。
古池や 蛙飛び込む 水の音
The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water.
(ドナルド・キーン訳)
Old pond - frogs jumped in - sound of water.
(小泉八雲=ラフカディオ・ハーン訳 )
ドナルド・キーンは、蛙が一匹いたとして、訳していますが、小泉八雲は、蛙を複数いたとしています。日本語は、単数か複数かの概念がないので、訳す場合には、もし、原作者に聞くことができない場合には、訳者が想像するしかないのです。これは、俳句だけでなく、すべての和文英訳に言えることです。キーンの世界では、一匹の蛙が、ぽちゃーんと古池に飛び込んだ様子が感じられますが、八雲の世界では、かなり賑やかな池の様子が感じられます。
また、キーンは、現在形を使っており、一方、八雲は、過去形を使っています。キーンの場合には、この句を読んでいる人たちの目の前で一匹の蛙が飛び込む様子、水音が響いてくるような感じがあります。一方、八雲の訳では、過去形にすることによって、すべて一連の動作が終わり、静けさが漂って来る感があります。
いろいろな訳をしてもどれが正解ということはないんだとわかって、ほっとしました。そして、俳句 (Haiku) が、多くの外国人に受け入れられていることを、このサイトで知りました。
海外とのビジネスにおいて、重役レベルになると、こんなことも話題になるということを、若い方には知っておいていただきたいなと思います。
ユラーナ