3.11の大震災と巨大津波の被害の惨状は、今さら言うまでもないことだが、徹底的に破壊された後に残された膨大ながれきの処理は、到底被災自治体の手に負えるものではない。 そこで国はこのがれきなどの災害廃棄物の処理を引き受けてくれる自治体を募ったが、環境省によると30都道府県の272市町村が協力すると表明した(4月末現在)。受け入れ可能な最大量は被災した岩手、宮城、福島の東北3県の災害廃棄物の総量の約3割に相当するそうだ。放射線への不安から消極的な自治体が多いらしい。
佐賀県武雄市でも受け入れをする予定だったが、このほど受け容れ方針を撤回した。市長によると、受け入れ方針を表明した以降、市のホームページや市長のブログなどに、1000件を超える抗議が殺到し、「受け入れて大丈夫なのか」との不安の声のほかに、「がれきを受け入れるならその苦しみをお前たち(職員)に与える」とか「市や市民主催のイベントを妨害する」などの脅迫もあったようだ。抗議の電話は主に市外からのものだったと言う。どうにもひどい話だ。市外の住民がお節介にもほどがあるし、脅迫じみた言辞などは論外だ。
がれき受け容れに不安を感じ、反対する者はいるだろう。私が読んでいる新聞にも、放射性物質の汚染拡大に不安を感じるからがれきの受け入れは絶対にできない、がれき処理は 国と東京電力が責任を持って処理するよう強く望むという、大阪堺市の45歳の主婦の投書があった。この意見には、では国や東電はこの膨大ながれきの処理をどこで、どのようにやればいいと考えているのかという疑問を感じるが、そのことはさて置いて、このような不安から来る反対の気持ちがあることは分かる。しかし武雄市に寄せられた抗議の中の脅迫じみた声は、不愉快きわまるものだ。
今でも「頑張れ東北」というようなスローガンをよく見かけるが、それを嘲笑うかのような声が出るということは、一部の(「かなりの」かも知れないが)者にとっては、もはやあの大災害は他人事なのかも知れない。阪神大震災の後でも、まだあまり日がたっていないのに、東京から神戸に来た男たちが、「いつまで震災、震災と言ってるんだ」と話していたという記事を読んだことがある。
がれきに限らず「東北」と言うとすぐに「放射性物質汚染」と拒否反応するのも愚かしいと思う。特に福島に対する悪意としか思えないような声は、前にも私のブログで紹介したが、人間らしい心を失った者には嫌悪を感じる 。
話は変わるが、岩手県陸前高田市の避難所にいたある6歳の少女は家を失い、母親は少女が大切にしていた人形や絵本が入ったリュックサックを抱えたまま、がれきの下から遺体で見つかったという。医療支援のため訪れた女性看護師が少女に、「サンタさんに何が欲しいの」と問うと、「おうちとママ」と答えたと言う。私はこの記事を読み、涙を催した。この少女に限らず、何もかも奪われ、心に大きな傷を負った人たちが東北には今もなお多くいることを思い、人間性が疑われるようなことだけは言わないようにしようではないか。