まるこの「時事和訳ブログ」

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3年後にマクリーニーさんの背中からナイフが取り出される

2013-03-22 | Weblog

 

(写真)マクリーニーさんをひりひり、イライラさせていた刃物の上部

喧嘩で刺されてから3年以上経って、カナダの医師が彼の背中からナイフの刃を取り除きました。

ノースウエスト区のマクリーニーさんは、痒かったり軽い痛みがあったものの、刃が埋まっていたとは知らなかったと地方のメディアに語りました。

今週、彼の爪が7.5センチの刃先に触れたのでそれが分りました。

「過去何回か刑務所暮らしをしました。監視人が金属の棒検出器で体を擦ります。それが私の背中を探ると刃は消えていました。」と彼。

2010年4月に、レスリングの試合の後、喧嘩をして5回刺されたとマクリーニーさんはカナダのプレスニュースに語りました。

地方の事故救急治療室の医師は彼の傷を縫ったがレントゲンで調べなかったと言いました。いつまでも不快感が続くのでその後も治療を求めたが神経が損傷していると言われました。

しかし、今週、32才のマクリーニーさんが背中を掻いていたら手の指が何かに触れました。彼のガールフレンドがそれを見てみました。

「背中からナイフが突き出ているとビリーに言いました。怖かった。ピンセットで抜く準備をしていた。」とセイーネさんがCBCニュースに語りました。

マクリーニーさんは、地方の保健局に対して訴訟を起こすかどうか考慮中です。

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7.5センチもの刃物が背中に入ったまま3年間も生活をしていたなんて信じられませんね。その刃物は彼の背中でかなり自由に動いていたのでしょうか。無事に除去されてよかったですが…


米国はパレスチナ国家の独立を支持する‐オバマ大統領

2013-03-21 | Weblog

(写真)アッバス氏に迎えられるオバマ大統領

米国はパレスチナの独立した主権国家の創造を強く支持するとオバマ大統領は言います。

「単純に言えば、パレスチナ人は自分たち自身の国家を造るに値する。」と彼はパレスチナ自治政府のアッバス大統領との対談の後の記者会見で語りました。

「イスラエルの入植活動は平和にとって建設的でも正当でもない。」と彼はつけ加えました。

ケリー国務長官が両国の歩み寄りに時間とエネルギーを注ぐだろうとも話しました。

アッバス大統領は、二人は、ラマラで、望ましい有益な対話を行ったと言いました。

しかし、オバマ大統領の訪問に対するパレスチナ人の期待は低いとアナリストは言います。

水曜日の米大統領としての最初のイスラエル訪問で、オバマ大統領はイスラエルの強い支持を表明しました。

水曜日の対談で、米大統領とイスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエルとパレスチナの­­紛争への二国間の解決の約束を再確認しました。

オバマ大統領は、「中東の永続的な平和を守る核心的な要素は強くあるべきで、パレスチナ国家の主権と独立に伴って直面するユダヤ国家の治安が守られなければならない。」とエルサレムで話しました。

木曜日の朝、二つのロケットがガザからイスラエル南部に発射されたとイスラエル政府は伝えますが、負傷者の報告はありませんでした。更にガザから発射された二つのロケットがガザ内部に落下したと報じられました。

パレスチナの報道官によれば、アッバス氏は、原因が何であれ、ロケットの発射を含めて市民に対する暴力を非難しました。

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イスラエルとパレスチナの2国家の共存を守るとオバマ大統領はアッバス大統領に語り、イスラエルの安全を守るとネタニヤフ首相に語る。オバマ大統領の二期目の初訪問国は難しい問題を抱えている国です。イランの核開発問題もあります。アメリカ国民は戦争に疲れています。米政府は防衛費削減が求められています。早々とノーベル平和賞をもらったオバマ大統領は重い荷物を背負って茨の道を歩まなければなりません。こちらでは北朝鮮問題もありますしね。


ボリショイバレー団は巨大な売春宿と,前ダンサーが語る

2013-03-20 | Weblog

 

(写真左)ボルシェコワさんは2003年にボリショイを解雇されて問題になりました

(写真右)ドミリシェンコさんはフィリンさんを攻撃することを話し合ったことは認めましたが酸の使用は命じていないと言います。

前ソリストが、女性ダンサー達が富裕のパトロンと寝るように強要されていると発言したことによって、ボリショイ・バレーは更なる論争に巻き込まれています。

ヴォルシュコワさんは、劇団を巨大な売春宿にしているとして劇場の総監督を非難しました。

テレビタレントとしてトークショーに出て率直に語るヴォルシュコワさんは、体重過多を理由に2003年にボリショイを解雇されました。

総監督のイクサノフさんは、その主張を戯言として退けました。

ヴォルシュコワさんは、ロシアのTVトークショーのインタビューでそのことを主張し、その後のロシアニュース局のラジオのインタビューでもそれを主張しました。

「それは主にバレーダンサー達に起こったことだけどソリストにも起こりました。」

「10年前、劇場で踊っていた時、新興財閥とベッドを共にするように何度も言われました。」

「女子ダンサー達は豪華な食事につき合い、その後ベッドでセックスをするように忠告のような警告をされた。」

「もし断ったらどうなるのか彼女達が尋ねたら、ツアーには行けないしボリショイ劇場でも踊れないことになると言われた。想像できますか。」

その主張は、劇場の記者会見中にイクサノフさんにも言及され、彼は「中傷や戯言にコメントしない」と答えました。

世界で有名なロシア劇団の議論になっている最近の一連の出来事は内紛や対立で悪い噂になっています。

トップダンサーの1人ドミトリシェンコさんは1月にバレーの芸術監督のフィリンさんに酸をかけるように命じたとして裁判にかけられています。

フィリンさんは、モスクワ中心部の自宅の外で顔に硫酸をかけられて大やけどをして視力に障害が出ました。

先週、300人以上のスタッフがプーチン大統領に宛てた公開状に署名をして、ドミトリシェンコさんはそのような犯罪を命じることはできない人だと信じている、彼は自白をするように強要されていたと主張しました。

ヴォルシュコワさんは2003年にボリショイを解雇されました。イクサノフさんによれば彼女は男性パートナーが持ち上げるには背が高すぎるし太りすぎているとのこと。

彼女は、最終的にバレー劇場に対して法的に勝訴しましたが、復帰はできませんでした。

それ以来、彼女は野党政治に関心を示したり、TVタレントショーに出たりしていますが、彼女の私生活は、しばしば、ロシアのゴシップ誌に掲載されています。

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ボリショイ劇場はひどいことになっていますね。フィリンさんの火傷が気になりますが、有名な大劇場だけに、一度膿を出して出直す必要があるようです。


日本の歴史学習は何を疎外しているのか

2013-03-17 | Weblog

            

      (写真)中世の歴史を衣裳を身に付けて学ぶ日本の子供達

 

(写真左)まりこさんの日本の教科書:南京大虐殺は脚注だけ

 (写真右)2012年に靖国神社を訪問する日本の安倍首相

 

(写真)20世紀の日本との戦争を忘れないようにデモをする中国人や韓国人

 1930年代と40年代に起こった出来事に関して、何故近隣諸国が日本に恨みを持ち続けるのか理解しない日本人は多い。多くの場合、その理由は学校で20世紀の歴史をほとんど学んでいないからです。私自身、オーストラリアの学校に留学する時、大ざっぱにしか知りませんでした。

ホモ・エレクタスから今日まで300,000年の歴史をわずか1年で学びます。それが、私が14才で外国と日本の関係を学んだ方法です。

週3時間、つまり、年間105時間で、私達は20世紀までを急いで学びます。

クラスや学校によっては、20世紀まで学ぶ時間がなく、教師は生徒に時間がある時に各自で教科書を読み終えるように言いますが、それは驚くべきことではありません。

私が、最近、東京の出身校の聖心女学院に戻った時、教師は私に年度内に第二次世界大戦まで教えるためには急いで進めなければならないと言いました。

「教師としてここで教え始めた時、校長に近現代史までを全て教えることを確認するよう求められた。」と私の8学年の歴史の教師は言います。

「当校はアジア地域の姉妹校と密接な関係があるので、学生には近隣諸国との日本の歴史的関係を理解してほしいのです。」

7年前に、彼女がクラスで日本の戦争の歴史の重要性について語り、現在の多くの地政学的な緊張は当時起こったことから発生していると強調したことを今も覚えています。

それがそんなに重要なら、洪積世時代に無駄な時間を使わないで、何故私達はその時代まで通して学ばなかったのか不思議だったことも思えています。

そこまでようやく学び終えた時、 1931 年から1945年までの出来事は、357頁の教科書のうち19頁しか扱われていないことが分りました。

1931年に中国の満州で日本人兵士が鉄道を破壊した時の満州事変として知られている事件に関しては1頁だけでした。

1937年の日中戦争までの諸事件は1頁、日本軍が南京に侵攻した時に起こした南京大虐殺や南京レイプについては1行の脚注でした。

戦争中に坑夫として日本に連れてこられた韓国人や中国人に関する記述は1行、日本帝国陸軍による売春宿創設と慰安婦に関する記述も脚注です。

広島と長崎の原爆投下の記述も1頁だけでした。

私は、もっと知りたかったのですが、余暇の時間に残りの内容を読む程には熱心ではありませんでした。10代として、ファッションや男の子達にもっと興味がありました。

友人達は11学年で学科として世界史を選ぶ機会がありましたが、私はその時点でオーストラリアに留学していました。

与えられた時間で年代を追って学ぶ代わりに、世界史のほんのわずかな重要な出来事を集中的に学習するのだと気がついた時に動揺したことを覚えています。

ほとんど話すことができない私が多くの量の英語を読み書きするのに苦労するだろうと先生が心配するのを無視して、国際バカロレアのために課題の一つとして歴史を選びました。

私の英語での最初のエッセーは南京のレイプについてでした。

何が起きたかについては論争があります。中国人は、日本兵が300,000人を殺し、多くの女性を集団レイプしたと言いますが、議論の全てを6か月かけて調べた結果、日本では出来事全てを否定する人がいることが分りました。

フジオカ・ノブカツ氏はその一人で、私が研究の一部として読んだ本の一冊の著者です。

「そこが戦場だったので人々は殺されました。でも、組織的な虐殺もレイプもなかったのです。」と東京で彼に会った時、彼は言いました。

「中国政府は、彼らの事を書くように日本の記者を何人か招いて、雇った俳優や女優に犠牲者を演じさせたのです。」

「虐殺の証拠として中国が使う写真の全てが偽物です。例えば、首の無い頭は国民党と共産党間の内戦時の写真であることが明らかになりました。」

17才の学生として、私は正確に何が起きたのか明確な判断をしようとしていたのではありませんが、事件に関する多くの本を読んで、中国の多くの人が今も過去の日本軍について嫌な思いをしているのか分りました。

日本の生徒が虐殺についてわずか1頁しか読まないのに、戦争の説明は時として過度な抗日だと批判されてはいますが、中国の子供達は南京のレイプだけでなく他の多くの日本人の戦争犯罪について詳細を教わっています。

同じことが韓国でも言えます。韓国では、教育で近現代史に重点を置いています。その結果、1時間のフライトで着くような近い国々で同じ事件の認識が非常に異なるのです。

当地で最も論争の多い問題の一つは慰安婦です。.

フジオカ氏は、売春代が支払われていたと信じています。しかし、韓国や台湾のような日本の近隣諸国は、日本軍に慰安婦として強要されていたと主張しています。

こういう議論を知らなければ、何故中国や韓国との最近の領土問題が近隣諸国間で感情的な反応を引き起こすのか理解することが非常に困難です。通りでデモをして日本に完全な敵意を示す一般の人々は、テレビを見ている日本人の多くには戸惑いであり野蛮人のように見えるのです。

同様に、他の日本兵士の中に戦犯が祀られている靖国神社を政治家が訪問することが何故そんなに強い怒りを引き起こすのか理解することは日本人にとってしばしば困難なのです。

私は、何人かの友人や同僚に学生時代にどれ位歴史を学んだか尋ねました。

共に大学生で科学を学んでいる20才の大学生のヨシダ・ナミさんと姉のマイさんは、慰安婦について聞いたことはないと言います。

「南京大虐殺のことは聞いた事があるけど、何のことかは知りません。」と二人とも言います。

「学校では、武士の時代のようなずっと昔の出来事をより多く学んでいる。」とナミさん。

17才のツカモト・ユーキさんは、16世紀後半の日本による朝鮮半島侵攻や満州事変がこの地域で日本が不人気であることの説明を可能にすると言います。

「誰も自分の国が侵攻されることは望まないので、激怒する人がいることは理解できます。」

しかし、彼も慰安婦の苦境は理解していません。

前歴史の教師で学者のマツオカ・タマキさんは、国の外交関係を困難にしている責任は日本の教育制度にあると主張します。

「日本の教育制度が、中国や韓国が戦争の残虐性について日本に不満を持っていることに苛立ちを感じる若い人々を作り出しているのです。彼らがそのことを教えられていないからです。

「それはとても危険です。何故なら、彼らの何人かはインターネットで多くの情報を得て、日本は悪い事をしていないという国粋主義者の考えを信じ始めるかもしれないからです。」

私は、数年前に市の博物館に行った時、南京を侵略した日本人兵士達にインタビューしたことに基づく彼女の作品を初めて見ました

「犠牲者による口述書はたくさんありましたが、兵士達から直接聞く必要があると思いました。」と彼女は言います。

「何年もかけて、250人の兵士をインタビューしました。最初は、多くの兵士が話すことを拒みましたが、最終的には、彼らは殺人や盗みや強姦を認めました。」

彼女のインタビューのビデオを見た時、私が衝撃を受けたのは彼らがただ戦争犯罪を認めたことではなく、彼らの年齢でした。彼女がインタビューした時彼らはすでに年を取っていましたが、当時は多くがわずか20才でした。別の意味で、彼らを人間的に見ました。

私は、非常に複雑な感情で息が詰まりそうでした。日本が、繰り返し、極悪な悪魔呼ばわりされているのを知って悲しくなり、神経質になりました。なぜなら私が日本人であることを知ったら、周囲の人々はどのように反応するだろうかと思ったからです。でも、何故、何がこれら若い兵士を殺人や強姦にせき立てたのか大きな疑問もありました。

マツオカさんが本を発行した時、国粋主義者の団体から多くの脅迫がありました。

彼女とフジオカさんは、日本の学校で何が教えられるべきかについての議論で対立するグループの代表になりました。

フジオカさんと歴史教科書を作る会は、大半の教科書が自虐的で日本について否定的な書き方をしていると言います。

「日本の教科書の認可過程に、いわゆる「近隣諸国条項」というのがあって、教科書で近隣のアジア諸国を巻き込んだ歴史的事件の扱いに理解を示さなければならないとなっている。馬鹿げたことだ。」と彼は言います。

彼は、中学校の教科書の全てから慰安婦という言葉を削除するように政治家に圧力をかけていることで広く知られています。2001年に政府の承認を得た彼の最初の教科書は、南京の中国人兵士や市民の死への言及を短くしました。しかし、次の教科書では更に短くする計画を立てています。

文科省のガイドラインには、全ての生徒がアジア諸国と日本の歴史的関係や第二次世界大戦が引き起こした壊滅的な被害を人道的立場で広く学ばなければならないと書かれています。

「つまり、学校は、日本の軍隊が1930年代に軍事力を拡大・行使した影響力や中国での戦争を長期化したことを教えなければならない。」と堀内文科相報道官は言います。

「生徒は、国際協調と平和の重要性を理解するために、広島や長崎や沖縄で日本人が経験した苦痛だけでなく、大戦中に多くの国で日本が引き起こした被害の大きさについても学びます。」

「各学校は、指針に基づいて、学校の地域や状況、また、生徒の習熟度に応じて、どの出来事を特定化して教えるかを決めます。」

しかし、マツオカ氏は、政府は意図的に日本の残虐行為の詳細を若い人に教えないようにしていると考えます。

二つの国で歴史教育を経験して、日本で歴史が教えられる方法には少なくとも一つの利点があることが分ります。生徒は、いつ歴史的出来事が起こったのかを年代順に包括的に理解するということです。

多くの場合、学生時代の友人も私も幸運でした。何故なら、中学生は高校進学が保証されていたので、しばしば受験戦争と称される経験をする必要がなかったからです。

良い高校や大学に入るために競争している学生にとって、受験競争は極度に厳しく、学習すべき科目の中でもとりわけ多くの歴史的な年代を記憶しなければならないのです。

彼らは、たとえ教科書で学んだとしても、戦争の残虐行為のわずかな頁をゆっくり考える時間はないのです。

こういう状態が全て、中国や韓国のようなアジア諸国が戦時の残虐行為を日本がもっともらしく言い紛らしているとして非難するという結果になるのです。

一方、日本の安倍首相は、中国の学校のカリキュラムがあまりにも反日的だと批判しています。

フジオカ氏のように、彼は子供達が過去に誇りを持てるように日本の歴史教育を変えたいと思っています。また、日本の1993年の慰安婦問題謝罪の改訂を考えています。

もし、また、それがなされる時、アジアの近隣諸国と日本の関係は間違いなく不安定になるでしょう。しかも、多くの日本人がなぜ改訂がそんなに重要なことなのか理解できないでしょう。

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日本人記者のオオイ・マリコさんの記事です。

被害者と加害者の気持ちは両者にとって共有できるでしょうか。教育次第と思いますが、その教育も両者によって異なるのはやむを得ないのでしょうか。日本は戦争の加害者だったことを否定したり忘れたりすることは決してあってはならないのです。史実は正しく教えられるべきですが、その史実を歪曲しようとしている日本人が多くなってきたのがとても気になります。歴史教育は受験のために削られるべきではないのです。


フランス人の母親Bagourさんが9/11のT-­シャツの件で裁判に

2013-03-07 | Weblog

 

(写真)T-­シャツで挑発するつもりはなかったと言うBagourさん

母親はフランス南部で裁判にかけられています。息子に「私は爆弾です」「9月11日に生まれました」と書かれているT-­シャツを着せて保育園に行かせたという理由です。

35才のBagourさんは、昨年9月に、教員から警察に通報され、犯罪を美化しているとして告訴されました。

裁判の初日に、彼女はテロを支持しているのではないと述べました。

彼女のジハードという名前の3才の息子にT-­シャツ与えた兄も裁判で共同被告人ですが、同じく罪を否定しています。

9月24日に保育園に着せて行かせたT-­シャツの前部に「ボクは爆弾」、後ろ側に「ジハード、9月11日生まれ」と書かれていました。

Bagourさんは、「何も考えずに息子にシャツを着せていた」と裁判所で語りました。

彼女は、挑発の意味はないと主張し、息子は9月11日に生まれたと強調しました。

彼女の兄は、T-­シャツを買うことによって、どんなことが起こるか考えもしなかったと言いました。

「私が強調したかったのは彼が生まれた日であって年ではありません。」と彼は法廷で述べました。

検察は、被告側は後悔の念を示していないと主張しました。

「これがテロへの直接的・中傷的な暗示ではないと誰が主張できるのか?」と検察官が尋ねました。

彼はBagourに1,000ユーロを兄に3,000ユーロの罰金を求めました。

裁判は来月まで延期されました。

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「ジハード・爆弾・9/11」という言葉が入ったT-­シャツとなると、テロを肯定しているように思えますね。でも、裁判にかけて罰金とは!?

フランスはテロに慎重になっているようです。