捨てて来しもの
次々と捨てていくもの気にもせずいつしか馬齢重ねて来たり
古来稀遠くまで来た道すがらなくしたものの重さに気付く
あの道やこの道曲がる曲がり角定めのままに捨て去る荷物
父も逝き母も逝きしてふるさとも立つ白波の彼方に消えて
細い道追われてたどり永らえて矜持という名の癖をため込む
累々と後ろに残る残骸をまた見つめては懺悔を少し
歌を詠むその言の葉も落ちて行く日々を重ねて語彙欠乏症
まずしさは語彙の浅さに比例して加齢は人の浅さに急ぐ
また来たる明日と言う日の一日を諭す鬼あり夜半に目覚めて
捨てて来て消えはてたもの充ちあふれそれでも月は空に輝く
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なんとブログアップは一か月以上、歌稿アップは3か月ぶりと
いうことになります。
それだけ活動が停滞していたということかもしれません。
歌はなかなか詠めなくて(詠もうとしなくて)アップすることも
叶いませんでした。続けて行くのはなかなか難しいものですが、
なんとか詠もうとする意欲だけは保ち続けたいものだと思います。
歌の傾向は日常性に材を採るのではなく、内省的な部分に依拠している
歌が多いために、少し意味合いはずれますがネガチィブな歌ともいえます。
それに付随するもろもろのことを思うと、こういう傾向は詠まない方が
良いと思ったりして、いつまでたっても試行錯誤の日々です。
ともあれ詠み続けていきたいものです。
身を削るほどの思いと言われますがカズさんのお歌はまさにその通りではないかと拝読しててそう感じました。
ここまでご自身を掘り下げられ、見つめられる切ないほどのすごさを思いました。
私など到底真似ができるものではないです。
人生終わりが近づいているというのに自覚ができていない私です^^;
一首毎にカズさんの心象の誠実な・・直向な
実直な生きる命の炎が歌の語彙を構成して
居てひと言・・ひと言が胸を抉る想いで鑑賞しまた。
私の求めて居る歌がこのカズさんの心象の抉り方だと
感銘と共鳴を両手に握り締めて鑑賞しました。
手本となる歌です。
噛み締めて鑑賞し・・コピーして体に刻み込みます。
長い間心の糸を結んで来たことにカズさんの歌を
胸に抱いて来た確信に興奮しています。
体だけ労わりながら五感が生み出す歌の泉を大切に
過ごされますことを祈ります。
浅くしか読めなかった至らなさを恥じています。
カズさんのお歌を改めて鑑賞しなおします。
いつも読んでいただき、あまつさえコメントを頂戴しています。いつもながら、ありがとうございます。
はははー。ちょっと誉めすぎですよ。
うーん、どうなのかなー。自分を凝視するというよりも、もうテクニックというのか、力技で言葉をつないでいる感じです。自己流で詠んでいて結局は自己満足なのですけどね。
でも自分の紡ぐ歌らしいものが、読む方がご自分に即しての味わい方をしていただけたらそれでいいと思います。私という個人から出発して当然のように個人性に拠っているのだけど、読者と通じ合える普遍的なものをという思いはありますね。
まあ、いつも試行錯誤です。
お変わりございませんか?。それにしても朝が早いのですね。
コメントをありがたく。
いやいや、私は言葉は出てこないのですよ。失語症と言ってもいいほどです。脈絡もなく野放図にということであれば言葉は出ると思いますが、歌としてどのような構成なり言葉が最もふさわしいのか・・・そういうことを考えるとおのずと言葉が出なくなってしまいますね。
歌に対して敬虔な気持ちと同時に怯えみたいな感情、ひるむような気持が確かにあります。それがいいことなのかどうか・・・。安直にならない程度で様々な言葉を使ってもいいようにも思いますね。もっと楽な姿勢で詠むのが良いのでしょうね。
どんな歌であれ、やはり詠むのは難しいと思います。
ともあれ文学の領域にまで昇華された歌というのは私には無理なので、今後もこのような詠み方しかできないのではないかと思います。考えてみるまでもなく不器用な詠み手だと思いますよ。
これからもよろしくお願いしますね。
「身を削る」という言葉の捉え方がmarukoさんとあずささんとでは少し違うように見えて、実は同じとも言えるのではないかと解釈できますよ。完全には同義ではなくても、それは言葉で伝えることの難しさの問題かも知れないですね。人は言葉で思考するのですし、その言葉の認識が人の数だけ違ってはいても、本質においては大きく違うものでもないし、ましてや正反対のものでもないのではないですかね。
あずささんも歌の詠み手なので、長く詠んできた人の言葉の独特な捉え方というものがあるような気もしています。
浅くしか読めないというのは少し違うかな。歌も作者を離れた瞬間から読者のものになるのです。読者はどのような読み方をしてもすべて正しいのですよ。浅いとか悪いとか言うのとは違うもののはずです。少なくても私はそのように考えているのですよ。
ということで、もう2時。また・・・