アスペルガー症候群・ひろとの不思議な毎日・2

アスペルガー症候群と診断を受け1年6か月間不登校も経験した息子(15歳・高校1年生)との楽しい&不思議な毎日を綴ります。

5年生のはじめのころ

2008-12-15 19:53:57 | 振り返り
5年生初日・・・。
息子も母もどうしてよいかわからなかったので学校には通学しませんでした。
息子は学童に通学。
息子が帰宅するまで、学校のことは何もわからない状態でした。

帰宅後に息子が「また、4年生の時の先生なんだよ。学童の子が教えてくれた。」と嬉しそうに話してくれました。

けれど、学校から連絡が入らなく、息子にも先生が会いに来なかった状態でした。

何かが起こっている・・・。
母の直観でそう感じていました。

初日の21時過ぎに担任の先生から電話が入りました。
「また、今年も担任になりました。けれど5年生には補助の先生が入りませんでした。私、ひとりでは今までのように、ひろ君を見てあげることができません。これからのことの面談を早急にしたので、また学校の方にきてくれませんか。」とのことでした。

母が思っていた直観が的中でした。
息子は教室に通うことが出来ない状態だったので補助の先生がいないと過ごす場所がないことになってしまいます。大人の目がないと、ひとりで給湯室は許可が出ないとのことでした。

また不登校に逆戻りだ・・・。と母は思いました。
息子にそのことを伝えたら「4年生の時は楽しく過ごせたし、そんなに良いことは続かないから。僕は大丈夫だよ。また前に戻っただけだから。」と母よりも冷静でした。

母は学校ではなくて地域の問題なのかなって感じていました。
この地域は、今年度支援級を設置した学校があったので、そちらに人員が流れました。予算の関係で、補助員カット・補助員の時間も短縮になっていました。(このことは母がネットで調べました)

面談にて。
やはり、校長先生と担任の先生との面談でした。
校長先生からは、4年生の2学期から補助の増員の件で動いていたのにやはり増員されなかったことを説明されました。
どうしよう?との話で、母に1度教育機関に早急に話を持って行ってほしいと告げられました。保護者から話した方が良い方向に行くとのことでした。
母も学校の問題ではないと理解していたのでそうしますと。
校長先生が部屋から出てから、担任の先生と話をしました。
担任の先生は、母よりも落胆していて逆に母は「大丈夫です。3年の時も自宅で息子と過ごしてきましたから。息子もよいことは続かないって冷静なことを言ってましたし。」と話ました。
先生は、4年生の3学期にあんなに楽しそうに学校に来てくれて、あと少しで教室まで入れたかもしれないところまで来ていたのにと。

それからあとからの事務室の先生の話で、初日に電話がなかなかできなかったのは、校長先生に息子の学年の先生方が全員で息子のことで詰め寄って話し合いをしていたことを聞きました。
とっても、素敵な先生方で、一人の児童のことでこんなにも真剣に動いてくれていたのかと思うと、胸が熱くなったし母もどうにかしないとと思いました。

数日の間。
息子が「学童に先生が来てくれたんだよ。僕の教科書持ってきてくれた。それからサッカーを一緒にしてくれた。あと、放課後学習はまたしてくれるって。」と嬉しそうに話してくれました。「よかったね。放課後楽しかったもんね。」と息子に話、学校と疎遠になることは免れたとほっとしました。

母は、早急に教育関係の方と会う約束をしました。
校長先生からも、連絡がきちんとされていて話は通っていました。
そこには懐かしい先生も。息子が???と思った初日から息子と関わってくださっていた先生が今年度から異動になっていました。心強い!って母は思えました。
女性の元教師をしていた方と面談。
その方は「この地域は教育に予算をあまりとってくれない状況です。補助の増員を待っていてもただ1年経ってしまうと思います。補助がいなくても息子さんがどうにか学校で過ごせるように考えましょう。」と話てくれました。
息子の学校には支援級があるとのこと。今現在2名しか在籍していないこと。支援級では8名まで先生が見ることができるので、大人の目があれば過ごせる息子さんなら、そこに机といすを用意してもらってパーテーションで仕切りをしてもらう。
こういう考えはどうでしょうか?と提案してくれました。
母はなるほど・・・。
考える人が違うと、こういう考えが出てくるんだと思いました。
息子に聞いて承諾を取ることと、学校にもそれで対応してもらえるか聞いてみること、支援級の子供たちと保護者の方にも聞いてみたいとのことを母は話して帰宅しました。

息子に聞いたら「あそこなら他の人に会わないね。大丈夫かもしれない。」と前向きな答えでした。
そのあとで校長先生に連絡を入れて内容を伝えました。
次の日に、こんどは支援級の先生も入っていただいて面談をしました。
息子が同じ部屋で学習することで、他の子に迷惑にならないか心配をしていること。保護者の方にも説明をしておいてほしいとのことも伝えました。
息子のことは、ほっといても大丈夫なことも伝えました。

そして、5月の1週目息子は母と支援級のクラスに5年生になって初めて登校しました。

こんな5年生スタートを切った息子でした。



本日の息子・・・

学童に迎えに行ったら、指導員さんが「ひろ君、ベイゴマ大会ブロック優勝したんですよ。すごいです。」と話してくれました。
そんなとこまで勝ち進んでいたんだと母はびっくり
けれど息子は「ブロック優勝したって、景品がなかったよ。」って。
息子は何かと景品にこだわるので・・・
昨日の夜も、寝るまで思い出すと「あーだ・こーだ・・・」と。
付き合うの、めちゃめちゃ大変でした~。
なので母は、絶対息子にベイゴマの話はしない!って心に決めました

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2 コメント

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Unknown (けちやん)
2008-12-16 10:53:20
息子と母子登校時代の頃は、不測の事態に陥っても
学校側は「うちではどうしようもできないから・・。」と
全くしらんぷりだったので・・

ひろ君の学校の対応の仕方には再び感心させられました~。

それにしても、ひろ君の冷静な対応は凄い!

私だったら、熱くてちんちんになること{間違いない・・

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けちやんさんへ (ひろ・はは)
2008-12-16 17:38:24
こんばんは~。

学校の対応というよりも、関わってくださる人だと母は、とっても感じます。
3年生の時は、同じ学校に通学していたのですがブログに綴ったような対応でした。

この対応、4年生からの校長先生が全部仕切ってくれました。
担任の先生も、5年で補助が付かないとわかったときに、もう1回同じ担任の先生にしてくれました。(息子の学校は1年ずつクラスも担任も変わるのでとっても異例なことでした)

校長先生に、他の教員も感化されて、とても良い学校に・・・。

人柄なんじゃないかな~って思います。

母も初めは、けちやんさんのように激怒!でした。
けれど、ひろ・ちちが「ひろは、4年生の時にたくさん支援をしてもらったよね。他にも支援が必要な家庭があって、今度はそちらの支援に回ったんだよ。ひろは、大丈夫だよ。本人が学校に通いたくなったら通わせよう。それまでは見守ろうよ。」って言ってくれたのです。
この言葉で、「そうだな。」って母は思い直して、息子、ひろ・ちちと同様に冷静になれました。
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