伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<34> 大橋純子

2007-11-13 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴

<大橋純子>
◆初出演:1977年7月11日(第453回)「シンプル・ラブ」
◆最終出演:1988年3月30日(第1007回)「眠れないダイヤモンド」
◆出演回数:27回

01 77/07/11 0453 シンプル・ラブ(詞:松本隆 曲:佐藤健 R:1977/04/05 HC:44位) 
02 78/07/17 0506 スターライト・トレイン(詞:松本隆 曲:佐藤健 R:1978/04/25 HC:88位)
03 78/09/04 0513 たそがれマイ・ラブ(詞:阿久悠 曲:筒美京平 R:1978/08/05 HC:2位
04 78/10/09 0518 たそがれマイ・ラブ
05 78/12/18 0528 たそがれマイ・ラブ
06 79/01/01 0530 サファリ・ナイト(詞:竜真知子 曲:佐藤健 R:1978/11/25:HC:20位)
07 79/01/15 0532 サファリ・ナイト
08 79/02/12 0536 サファリ・ナイト
09 79/05/07 0548 
ビューティフル・ミー(詞:山川啓介 曲:佐藤健 R:1979/06/25 HC:41位)
10 79/06/04 0552 ビューティフル・ミー
11 79/07/09 0557 ビューティフル・ミー
12 79/08/06 0561 ビューティフル・ミー
13 79/09/24 0568 ビューティフル・ミー
14 79/11/19 0576 たそがれマイ・ラブ~サファリ・ナイト~ビューティフル・ミー
15 79/12/24 0581 あなたにはわからない(詞:竜真知子 曲:串岡遠理 R:1979/12/-)
16 80/01/21 0584 あなたにはわからない
17 80/04/07 0595 カナディアン・ララバイ(詞:三浦徳子 曲:佐藤健 R:1980/04/-)
18 80/08/11 0613 OOO-BOY(ウー・ボーイ)(詞:有川正沙子 曲:佐藤健 R:1980/08/-)
19 80/11/17 0627 燃えつきて(詞:阿久悠 曲:筒美京平 R:1980/10/25 HC:92位)
20 82/02/15 0692 シルエット・ロマンス(詞:来生えつこ 曲:来生たかお R:1981/11/05 HC:7位
21 82/03/15 0696 シルエット・ロマンス
22 82/04/19 0701 シルエット・ロマンス
23 82/05/31 0707 サンバ・ソレイユ(詞:三浦徳子 曲:佐藤健 R:1982/06/05 HC:52位)
24 82/06/28 0711 サンバ・ソレイユ
25 82/08/23 0719 黄昏(詞:三浦徳子 曲:佐藤健 R:1982/08/25 HC:81位)
26 82/09/20 0723 黄昏
27 88/03/30 1007 眠れないダイヤモンド(詞:松井五郎 曲:佐藤健 R:1988/02/26)

【補足】
初出演~最終出演までの間にリリースされたシングル曲中、「ミスター・スマイル」(R:77/09/05)、「クリスタル・シティー」(R:78/01/05)、「FUNNY LITTLE QUENIE」(R:78/01/25)、「将軍(愛のテーマ)」(R:80/11/ー)、「ファンタジック・ウーマン」(R:81/07/-)、「LOST LOVE」(R:82/11/-)、「夏女ソニア」(R:83/04/06、もんたよしのりとのデュエット、スポンサー競合関係で披露できず)、「恋はマジック」(R:84/06/-、もんたよしのりとのデュエット)での出演実績はなし。

大橋純子の初登場は、「たそがれマイ・ラブ」の大ヒットの1年前、1977年7月のこと。アルバム「レインボー」の中の1曲「シンプル・ラブ」での出演でした。 
 
夜ヒットの出演に関して言えば、ほぼ1978~1979年と、「シルエット・ロマンス」がヒットした1982年に集中しており、これら期間では月1回ペースの準レギュラー格で出演しています。当時、彼女は北島三郎が設立した「北島音楽事務所」に所属していたことも、この期間の出演の多さに繋がっているものと思われます。 

特筆すべきは、1979年の「ビューティフル・ミー」で、次シングルが発売されるまで半年以上ものスパンが空いていたため、夜ヒットではメドレー形式も含めて計6回も披露しています。演歌系以外の楽曲では、たとえ準レギュラー格であっても、シングルA面収録曲一作品につき(その年の賞レースの「本命」と目されているような大ヒット曲を除き)、原則として3~4回の出演が限度となっていた夜ヒットにあって、この「6回」という数字は異例ともいえるもので、ここにも上記の北島事務所側から番組関係者への強い後押しがあったことが推測できます。
 
因みに同じく当時北島事務所に所属していたもんたよしのりとのデュエットで話題となった1983年のヒット曲「夏女ソニア」については、資生堂と競合する化粧品会社のCFソングだった関係で夜ヒットでは1度も披露されていません。


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