伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<35> 南野陽子

2007-11-13 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
<南野陽子>
◆初出演:1986年4月9日(第904回)「悲しみモニュメント」
◆最終出演:1990年9月12日(第1129回)「耳をすましてごらん」
◆出演回数:43回

01 86/04/09 0904 悲しみモニュメント(詞:来生えつこ 曲:鈴木キサブロー R:1986/03/21 HC:6位
02 87/01/28 0946 
楽園のDoor(詞:小倉めぐみ 曲:来生たかお R:1987/01/10 HC:1位)  
03 87/04/15 0957 
話しがけたかった
(詞:戸沢暢美 曲:岸正之 曲:R:1987/04/01 HC:1位
04 87/05/06 0960 話しがけたかった
05 87/06/24 0967 
パンドラの恋人
(詞:田口俊 曲:亀井登志夫 R:1987/07/01 HC:1位
06 87/07/22 0971 パンドラの恋人
07 87/09/23 0980 
秋のIndication
(詞:許瑛子 曲:荻田光雄 R:1987/09/23 HC:1位
08 87/10/21 0984 秋のIndication
09 87/11/25 0989 はいからさんが通る
(詞:小倉めぐみ 曲:国安わたる R:1987/12/02 HC:1位
10 87/12/23 0993 はいからさんが通る
11 88/01/27 0998 はいからさんが通る
12 88/04/13 1009 
微笑みカプセル~Don't warry my friend~(Album「NANNO -Singles-」より 詞:堀田絢/田口俊 曲:岸正之 R:1988/03/21) 
13 88/06/15 1018 
あなたを愛したい(詞:田口俊 曲:荻田光雄 R:1988/06/18 HC:1位
14 88/06/22 1019 あなたを愛したい
15 88/07/20 1023 あなたを愛したい 
16 88/08/31 1029 あなたを愛したい
17 88/09/28 1033 
秋からも、そばにいて
(詞:田口俊 曲:兼元一夫 R:1988/10/08 HC:1位
18 88/10/12 1035 秋からも、そばにいて
19 88/10/19 1036 秋からも、そばにいて
20 88/11/23 1041 
恋の季節<With チェッカーズ>(詞:岩谷時子 曲:いずみたく)秋からも、そばにいて
21 88/12/21 1045 メリー・クリスマス(Album「SNOWFLAKES」より 詞:康珍化 曲:平野牧 R:1988/12/14)
22 89/01/18 1048 
リフトの下で逢いましょう
(Album「SNOWFLAKES」より 詞:康珍化 曲:小森田実 R:1988/12/14)
23 89/02/15 1052 
涙はどこへいったの(詞:康珍化 曲:柴矢俊彦 R:1989/02/15 HC:2位
24 89/02/22 1053 涙はどこへいったの
25 89/03/15 1056 涙はどこへいったの
26 89/03/29 1058 涙はどこへいったの
27 89/05/10 1064 
トラブル・メーカー
(詞:南野陽子 曲:木戸泰弘 R:1989/06/21 HC:2位
28 89/05/24 1066 
瞳の中の未来(Single「トラブル・メーカー」B面 詞:田口俊 曲:上田知華 R:1989/06/21)
29 89/06/07 1068 トラブル・メーカー
30 89/06/21 1070 トラブル・メーカー
31 89/07/26 1075 トラブル・メーカー
32 89/09/27 1084
 思いのままに(Album「GAUCHE」より 詞:平出よしかつ 曲:亀井登志夫 R:1989/07/12)
33 89/10/18 1085 トラブル・メーカー
34 89/11/22 1090 
フィルムの向こう側(詞・曲:飛鳥涼 R:1989/11/29 HC:1位
35 89/12/06 1092 フィルムの向こう側
36 89/12/20 1094 
6pm,24,DEC.(Album「Dear Christmas」より 詞:戸沢暢美 曲:荻田光雄 R:1989/12/01)
37 90/01/24 1098 
僕らのゆくえ
(Single「フィルムの向こう側」B面 詞:平出よしかつ 曲:柴矢俊彦 R:1989/11/29)
38 90/02/28 1103 
春景色
(Single「悲しみモニュメント」B面 詞:イノ・ブランシュ 曲:岸正之 R:1986/03/21)
39 90/04/25 1109 
ダブルゲーム(詞:荒木とよひさ 曲:三木たかし R:1990/06/01 HC:3位
40 90/05/30 1114 ダブルゲーム
41 90/06/27 1118 
思い出を思い出さないように(Single「へんなの!!」B面 詞:小倉めぐみ 曲:重久義明 R:1990/07/01)
42 90/07/18 1121 へんなの!!詞:谷穂ちろる 曲:柴矢俊彦 1990/07/01 HC:11位)
43 90/09/12 1129 耳をすましてごらん(詞:山田太一 曲:湯浅譲二 1990/08/01 HC:7位

【補足】
①放送期間内でリリースされたシングル曲中、「恥ずかしすぎて」(R:85/06/23)「さよならのめまい」(R:85/11/21)「風のマドリガル」(R:86/07/21)「接近(アプローチ)」(R:86/10/01)の計4曲については出演実績なし。
②シングル「吐息でネット」(R:88/02/26)はスポンサー競合の関係で披露できず、代替として1ヵ月後にリリースされたアルバム「NANNO -Singles-」収録曲の「微笑みカプセル」を披露。
③88/11/23放送時の「恋の予感」(オリジナルはピンキーとキラーズ)は番組20周年記念企画の一環として歌唱。
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南野陽子は、1985年6月に「恥ずかしすぎて」という曲で歌手デビューしました。しかし、同期の中山美穂・本田美奈子と比べて最初期はテレビでの露出機会も少なく、無名の近い存在でした。

その彼女が一躍人気アイドルとしての地位に上り詰める転機となったのは、1985年10月よりスタートした『スケバン刑事Ⅱ』の主役・2代目「天宮サキ」役を演じてからのこと。このドラマでの人気を背景に2枚目のシングル「さよならのめまい」がスマッシュヒット、そして、1986年に発売した3枚目の「悲しみモニュメント」のヒットにより、夜ヒットにもデビュー10ヶ月目でようやく初出演を果たすことになりました。

しかし、この初登場の後、何らかの政治的理由(詳細は不明、詳しい方ご一報お待ちしております)によって、暫くの間、番組の出演が出来ない状態になり(従って「風のマドリガル」「接近(アプローチ)」での出演実績はなし)、1987年初頭に発表した彼女のオリコンチャート発の1位獲得曲「楽園のDoor」で約10ヶ月ぶり、2回目の出演。このときは彼女と「スケバン刑事Ⅱ」で共演していた相楽ハル子・吉沢秋絵、そして、次シリーズで「風間三姉妹」として主役を演じていた浅香唯・大西結花・中村由真の新旧「スケバン刑事」俳優5人が特別ゲストとして駆けつける、という豪華な「おまけ」付の久々の登場となりました。

本格的に夜ヒットで準レギュラー格の座を射止めたのは1987年4月発売の7枚目のシングル「話しかけたかった」から。以降は、番組最晩期まで、中山美穂・工藤静香・浅香唯と並ぶ「アイドル四天王」の一角として、コンスタントに番組に登場。古舘伊知郎・柴俊夫司会時代になると、1週だけ間を空けて、または2週連続という形で2月に2回登場することもしばしばあり、このことは低落傾向にあった番組にとり、「視聴率を取れる貴重な存在」として理解されていたことを証明付けるデータであるといえます。

彼女も奇抜な衣装で番組に出演することが多く、最晩期の夜ヒットにおいては「ファッション女王」ともいえる存在でした。基本的にはドレス姿などシックな服装が多かったと思いますが、1989年1月18日放送での「リフトの上で逢いましょう」ではスキーウェア、1989年11月22日放送での「フィルムの向こう側」では熊のぬいぐるみで埋め尽くされたような幅広のコート姿、1990年7月18日の「へんなの!!」では曲のイメージに合わせて怒髪天なパンクルック、といい意味で世間の印象を覆す意表を付いた服装にも挑戦。彼女のタレントとしての魅力ともいうべき「感性の豊かさ」がここでも遺憾なく発揮されていたと言えるでしょう。

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4 コメント

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吐息でネット (ひでりん)
2008-01-12 22:14:28
ナンノが出演した夜ヒットは半分以上見ましたけど残念なことに「吐息でネット」カネボウのCMソングだから夜ヒットには資生堂がスポンサー入ってるから歌わせてもらえなかったのが非常に残念です。
「吐息でネット」の代わりに1988/4/13の放送日に「微笑みカプセル」歌ってたのを覚えています。
CN期間過ぎれば歌えたはずなのにとうとう歌うことはなかった見たいですね。

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資生堂と夜ヒット (resistnce-k)
2008-01-16 12:29:07
資生堂は、カラー放送の開始から20年以上も番組に関わっていた夜ヒット最大の有力スポンサーでもありましたから、特にこの会社に対しては最大限の協力と敬意を惜しまなかったようですね。ある程度の品位というか夜ヒットという番組名が持つブランド力というのもこの会社が付いていたから、っていう部分はかなり大きいかもしれないですね。

それゆえに特に資生堂との競合関係の会社のCFソングは排除される傾向がどうしても高かったですね。キリンがスポンサーだった「ベストテン」も昔、矢沢永吉の「コカ・コーラ」の商標がそのまんま入っているタイトルの曲がランキングされたときに、曲名を伏せて「(CMソング)」とだけ表記した、っていうエピソードもあるように、いくら放送業界や音楽業界に力を誇っている番組でもスポンサー、特に初期から参加している有力企業には逆らえない、っていうのは民放の番組のやむを得ぬ「限界」ですね。

ただ、これをどうやって番組の長所として生かすかはまだ次の次元の話になってきますよね。夜ヒットの場合はまだどの番組も着目していなかった「B面」「アルバム」収録曲によりこれを補い、または場合によっては普通のシングルA面曲以上の反響を得たりしながら、この点を1980年代には最大の「売り」としていましたね。この辺りから、歌手サイトもいつヒットスタジオなどの歌番組でアルバム収録曲を披露してもいいように、アルバム製作にも力を入れだすようになったりで、この点は「夜ヒットの功績」としてもっと評価されていいのでは?と感じますね。
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理由は分からないですが (naka)
2008-06-06 20:13:21
はじめまして。
私もある歌番組に政治的理由が原因で出れなかったという話をデビュー10周年をふりかえるコーナーで少し語ってくれましたが、どうしても出たい南野さんが直接その人物に直談判して訴えたところ、「オリコン1位とったら出してやるよ」と言われ、悔しさとその言葉通りに実現して見返してやりたいという思いから奮闘。『楽園のDoor』の1位獲得で晴れて解禁になったそうですね。今思うと20歳の南野さんが、事務所の力なしに、そういう大人たちと対等に渡り歩くには、一般的に生意気と言われた強い精神力がなければ、芸能界から消えていたかもしれませんね。
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本田美奈子、岡田有希子、菊池桃子も・・・・。 (resistnce-k)
2008-06-06 23:24:40
nakaさん、お越し頂きまして有難うございます。これからも是非コメントを気楽に残してくださいませ。

芸能界というのは特殊な世界。いわば「弱肉強食」ともいえるような世界で、一般の社会に生きる我々にとっては、その内部事情というのは想像を絶するものがあります。
この中を生き抜くというのは本当に並みの精神力ではまず無理なことだと思います。一般に普通であることが通用しないという世界、それが芸能界という社会なんですよね。

南野陽子も舞台裏での言動の奔放さゆえに一時期バッシングを受け続けた時期があり、アイドルとしての人気は数年で急降下してしまいましたが、その後、強い精神力で「女優」としての道を邁進することでこの荒波を見事にくくり抜け、再び、今度は同年代の女性から共感を得られる存在へと大きな発展を遂げていきました。
小泉今日子や、松田聖子なんかも舞台裏ではとても我が強い性格だったそうで、一時期やはり南野と同様、あるいはそれ以上の荒波を受けることとなりましたが、今では同世代の女性のカリスマのような存在になっていますからね。
やはり何といいますか、「特殊な生きにくい世界で自分を曲げずに貫いてきたその姿」というものが、絶対的な支持へとつながっているのだろう、と私は思いますね。南野さんや聖子さんの姿には「強い女」ならではともいえるさっぱりとした魅力があります。故にイヤミを感じないですし、やはりそれだけの貫禄と存在感もありますからね・・・。

ヒットスタジオの新人枠は83年に入ってから狭くなり、事務所の力関係によって1年目に出られるかどうかが峻別されるというシステムとなってしまいました。

恐らくこの年の新人が前年があまりに豊作すぎた反動からかなりの不作であったことが影響して、「未知数の新人を出すよりは、人気の確立した知名度も安定した歌手や異色のアーティストの歌を優先したい」という方針を取るようになったことが要因なのだろうと思います。

南野のほか、本田美奈子、岡田有希子、菊池桃子といった面々も新人の年には事務所の力関係が番組との関係では弱かったこともあって出演は見送られ、翌年に入って、ベストテンに入るヒットを出し、ある程度の知名度をつけてからようやく出演の切符を手に入れました。
おそらく南野に「オリコン1位を採ったら出してやる」といったという某関係者(私はたいたいこの方が誰かは察知が付くんですけど・・・とにかくいろんな意味で看板プロデューサーでした、この方は)は同じような「発破」を彼女達にも出演する前にかけていた可能性は高いように思います。それだけに彼女達も「ヒットスタジオ出演」を目標に新曲を少しでも売ろうと必死にプロモーションを展開して、ようやく2年目に出演・・・という感じだったのだろうか、という感じがしますね。

しかしながら、事務所の力関係云々で峻別という話は抜きにして「この番組に出たいから頑張る」という、そういう目標となりえる音楽番組って今はないですね・・・。「Mステ」や「うたばん」への出演を目標にしていますという人を見かけたことがないんですが・・・(汗)。

この頃、多くの新人が理想としていたのは「まずは夜ヒットに出演し大人に顔を知ってもらう→ザ・ベストテンに自分の曲をヒットさせ、ランキングされる→そして年末の賞レースや紅白に出演」というコースでしたね。こういう部分でも、この番組の影響力がいかに強かったか、というのが分かる気がしますね・・・。
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