伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜ヒット最大の存亡の危機・・・「バンザイ事件」とマエタケの”解任”(歴代司会者考Ⅱ)

2006-08-06 | 夜のヒットスタジオ/番組史
PC故障などがあり、前回記事より1ヶ月以上も間が開いてしまいました。楽しみに見てくださっている方には大変申し訳なく思っております。

前回は、夜ヒット創成期の看板司会者である前田武彦さんと芳村真理さんに焦点を当てて記事を書きました。今回はその続き、夜ヒット22年の歩みの中でも、番組の存亡にまで関わる一大事となった「共産党バンザイ事件」について重点的に述べたいと思います。

前回記事でも取り上げたように、マエタケさんは、歌手に対する渾名付けや、ちょっとしたブラックユーモア、また生放送にも関わらず台本度外視のフリートークをふんだんに取り込む軽妙な司会スタイルで、番組の安定した人気を支えてきました。
しかし、フリートークがヒートアップするあまり、時に誤解を招く恐れがある「余計な」一言を発し、相手役の芳村さんが方々の批判を最小限にとどめるべく火消しに躍起することもしばしばで、人気ナンバーワンの司会者としてキャリアを上げていく反面、守旧的な意見を持つ視聴者や業界関係者の間では「アンチマエタケ」ともいえる層が徐々に増えていきました。

そんな中で1973年6月、「共産党バンザイ事件」が勃発します。
事の発端は、共産党の当時の書記長・宮本顕治氏がマエタケさんに会談の申し入れを行ったことに始まります。政党からの申し入れでしたが、彼の当時のタレントとしての格に似合ったギャラも支払って貰えるという条件の下で、あくまでもマエタケさんさんはテレビやラジオの番組司会と同じ「仕事」の一つと解釈して、その会談の申し入れを受諾。この会談は事の他、方々に評判がよかったらしく、その後も、共産党は「広告塔」のごとくマエタケさんに各種行事の司会やパネラーの仕事を依頼するようになりました。マエタケさん自身も思いのほか、各種行事の反応がよかったこともあり、快く共産党からの仕事依頼にもクビを縦に振るようになっていました。両者の間柄はすでに「ツー、カー」の仲になっていたようです。

そして、このような流れで、1973年6月、共産党は今度は、参議院大阪選挙区補選で擁立した自党の候補者の応援演説をマエタケさんに依頼し、いつものようにマエタケさんはこの依頼を引き受けます。最初はいつもテレビ番組でよく見られる「余計な一言」は封印して、普通に「がんばってください」とだけ述べて帰ろうと思っていたようですが、やはり時の人気者。ここで安穏と帰ることもできず、さらに一言求められてしまいます。ここで彼は候補者の風貌から、「ボクシングのグローブ」とお得意の「渾名付け」を披露。そして「そのグローブで相手をノックアウトしてください」と、いかにもマエタケさんらしいアドリブで締めくくりました。
 
しかし、その後、マエタケさんは候補者や演説を見に来た観衆に対して一つのある約束を交わしたことが後々、夜ヒットのみならずマエタケさんの司会者生命をも脅かす大問題へと発展していくのです。 その約束というのは、「Aさん(候補者)が当選したら、その生放送(=翌日の夜ヒット)の中でバンザイします。皆さん見ていて下さい」というものでした。

この演説の翌日、開票され、マエタケさんが応援したA氏は見事選挙に当選。そして上記の「バンザイします」という約束を生放送内で必ず実行せねばならなくなりました。

どのタイミングでバンザイをしようか悩んでいるうちに本番が始まり、いつものように芳村さんと番組を進めているうちに、進行にのめり込んでバンザイの約束などすっかり忘れていたのですが、番組エンディングのときに、トリで歌を披露した当時の番組レギュラー・鶴岡雅義と東京ロマンチカの面々が歌い終わって自分の前を通り過ぎてゆくときになぜかふと約束を思い出し、すでにマイクロフォンも生きていない状態の中で「三条(正人)くんお疲れ様。バンザーイ」と行ったのです。それを受けて三条さんもまったく真意など分からない状態でつられてバンザイをやったようです。当然、当事者であるマエタケさん自身、後にこの「バンザイ」という行為が大問題に発展することなど思ってもいなかったと思います。

しかし、当の本人の意識とは裏腹にこのバンザイの真意を突き止めた当時のフジサンケイグループの総元締めである鹿内信隆氏の逆鱗に触れ、同月、まずは同局の映画番組「ゴールデン洋画劇場」の解説者役からマエタケさんを解任。そして、1973年9月24日放送を以って、5年間、256回にわたり司会を担当してきた夜ヒット司会からの降板(事実上の解任)を余儀なくされ、フジテレビにおける番組だけでなく、「東芝ヒットパレード」などほかの放送局でのレギュラー番組をもすべて解任されるという憂き目に遭います。全番組からの解任という極めて重いペナルティを課せられたこともあり、一部では「バンザイ事件」に便乗して、アンチマエタケ層の業界関係者らが一斉にマエタケ潰しに走ったのではないか、という「陰謀」説も主張されるなど、単なる番組内の一大事というレベルでは解決できない、もはや放送界全体を巻き込む一大事件となっていました。

当時のフジテレビの企業体質は、今のフジテレビとはまったく異なり、保守的な政治思想を持つ経営者側と比較的前衛的な思想の若手現場スタッフの間に根強い軋轢が生じ、労使交渉は毎年のように決裂し、スタッフたちがスタジオに布団を引き詰めて局内で長時間のストライキを行うのが常識化している、というような極めて暗いものであり、このような独特な局の体質もここまで事が大きくなった要因として作用していたと思います。

そして、マエタケさんと共に、相手役の芳村真理さんも「バンザイ事件」で付いたダーティーなイメージを払拭したいとの当時の製作スタッフの思惑が働いてか、同時に連帯責任的に一時番組を降板。その後、1973年10月1日放送からの半年間は、特定の司会者をあえて設置せずに、ゲスト歌手2名で司会を行うという輪番制の方式で放送されることとなり、それまで安定した人気を誇った夜ヒットは一転して、迷走の時を迎えることになります。

いろいろと番組長寿化に辺り、決して平坦な道を歩んできたとはいえない夜ヒットの歴史の中でも、この「バンザイ事件」~歌手輪番制による司会の時代はもっとも番組の存亡が危ぶまれた時代であったという気がします。番組開始から5年間、番組の屋台骨として活躍してきた両司会者が突如として番組から去ってしまう。夜ヒットの人気はマエタケ・芳村のパーソナリティー性に支えられていた部分がかなり大きかったせいか、この個性ある2人が消えるということは、ほかの番組における司会者降板の場合以上に番組製作の基盤を動揺させる出来事でもありました。同時に、この2人の司会、そして番組に対して高い信頼を寄せていた視聴者もこの事件を境に番組から離れていくようになり、視聴率も以前ほどに高視聴率が見込めなくなる状態に陥りました。

歌手輪番制の司会スタイルも、番組の安定性という面からはかなり問題もあり、また、番組内部の迷走ぶりを象徴させる司会形式でもあったため、半年間で打ち切られ、1974年4月1日の放送からは、一度番組を降板した芳村さんを今度は主軸の司会者として復帰させ、新たな相手役として、朝丘雪路さん、そして「笑点」(日本テレビ)などの司会で、お茶の間の人気を集めていた三波伸介さんを迎えて、新たな仕切りなおしを図ることとなりました。芳村・三波(・朝丘)司会の時代の話は次回に論を移したいと思います。

テレビ番組の司会者にせよ、なんにせよ、どのジャンルにおいても「先駆者」は、歴史上に大きな業績を残す反面、大きな代償も払わなければならないのが常といえます。マエタケさんもまさに「新時代のの司会者像を確率した」という意味でまさに「先駆者」そのものであり、彼の司会がなければ、その後の井上順や「ベストテン」の久米宏、「トップテン」の堺正章などの個性ある次世代の男性司会者も台頭することはなかった。しかし、その大きな放送界に対する業績の反動として、夜ヒットを初めとする「全番組降板」というペナルティーを課せられたと見ることができるかもしれません。ただ、管理人もそうですが、その「全番組降板」というペナルティーは果たして「(共産党)バンザイ」という一行為と相当する代償であったのか、といえば大いに疑問が持たれるところです。一般の企業の社会において「生意気なやつだ」「余計なことを言ったな」「政治思想が経営陣とは相反する」などということだけで解雇を許すような労使関係があるとするならば、それは間違いなく労働法規に抵触しうる不当な関係であるということはいうまでもないだろうと思います。「常識が常識として通らないところ、それが芸能界だ」という意見を述べる識者などもいますが、タレントも結局は番組に、そして局に一時的であるとはいえ「使われる」身の上である以上、その番組、そしてその放送局とのつながりがあることが生活基盤の根幹にあるという点で、会社からの給与のみに経済的部分を頼らざるを得ない一般会社員のそれとはまったく異なるところはないように思います。やはり個人的な意見ではありますけども、「夜ヒット降板」は致し方なしであるにせよ、ほかの番組まで奪い去ってしまうという責任の取らせ方は問題となる行為と責任の重さの比較考量から考えても「不均衡」と断ぜざるを得ないでしょう。やはり上記の経緯からみて何らかの業界内の圧力がそうさせてしまったと見るのが自然かもしれません。

テレビ放送初期より放送作家・司会者としてテレビの発展と共に歩み続けた前田武彦という偉大な放送人の一生を狂わせ、そして本来ならもっとクローズアップされてしかるべき彼の業績をも霞ませる結果となってしまったこのバンザイ事件における制裁は、日本のテレビ史上における「汚点」であると私は考えます。また、夜ヒットという番組の側面から見れば、同事件がなければ、その後も当然に、1000回までとは言わないまでも数年間はマエタケ・芳村のコンビで夜ヒットは続いていた、そうだとすれば後の本格的な音楽番組への転換という方向性が生じることはなかったのではないか、そういう意味では番組にとっても最大の時代の分岐点であったと思います。

(追記)今回の記事作成に当たっては、"ごいんきょ"さんが運営されている「昭和テレビ大全集 Blog版・夜のヒットスタジオ」の項目を参照させていただきました。(URLはトラックバックの欄にあります)



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
82年組出演者情報 (タジィー)
2006-09-01 14:22:11
久しぶりです!この内容とは関係のないレスで申\し訳ないんですが、出演者情報です。82年デビューした以下三人の初登場(と言うか唯一の出演)



1982/04/19・・・新井薫子

1982/05/24・・・渡辺めぐみ

1982/08/02・・・スターボー
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Unknown (BLUE)
2006-09-02 09:33:20
お久しぶりです。



ちょっと今PCが故障してしまい、更新ができない状態にあるんですよねえ・・・・。大変申し訳ありません。



渡辺めぐみさんは、たしか、松金よね子さんらと「よめきんトリオ」で人気が出た人でしたよね?夜ヒットに出ているのは知らなかったのでちょっと意外でした・・・。 
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バンザイ事件以前から・・ (昭和の名盤!アナログ日記)
2008-04-15 02:35:07
このバンザイ事件は大問題となり芸能ニュースを賑わしました。よく憶えております。
しかし、その以前から前武を降板さそうとする動きがチョコチョコありましたよ。フジTV社員のボイコット説や他社の陰謀説などとして、話はウヤムヤに濁したりしましたが、「夜ヒット」の司会間もない頃は、よく噂や槍玉に上がり芸能記事に書かれておりました。
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「バンザイ事件」の陰には反共・親米の影が・・・。 (resistnce-k)
2008-04-15 04:28:38
マエタケさんの司会者としての評価としては「フリートークをやらせたらまず右に出る者はいない」、しかし、「余計な一言」がやたら多かった、っていうのが結構多く見受けられますね。

「バンザイ事件」もいわば彼の司会者としての欠点であるその「余計な一言」(=この場合「共産党バンザイ」とエンディングでやってしまったこと)で結局司会者の座を追われることになってしまったってことなわけですからね・・・。

あともう一つは、当時のフジサンケイの総帥である鹿内信隆氏が、徹底した反共・親米派であったこともこういう騒動がおきた背景にはあると思います。
反共主義の信隆氏が「共産党バンザイ」をするマエタケさんの姿を見て、「絶対にこの業界からいられないようにしてやる」と方々の各勢力を使って報復を考えたのは、ヒットスタジオ以外の他の局までほとんど全てキレイなまでレギュラーから彼を解任させたというところから見ても明らかだろうとおもいますしね。


この辺の件は私のブログにもリンクさせていただいている「ごいんきょ」さんのサイト、「昭和テレビ大全集」にも結構書かれています。

このサイトの中で知ったことですが、当時朝のワイドショーとして隆盛を誇っていた「小川宏ショー」でも、露木茂の後に男性サブ司会者として入った山川建夫というアナウンサーが万博会場で「こうやっている間にも今、ベトナムでは・・・」というったことをリポート中で言ってしまい、どんどんその後は居場所をなくし、結果1年もたたずに降板(ただ、降板当日の放送で、山川アナは「辞めるのではなく、やめさせられるのだ」とこの降板が事実上解任であることをきっぱり断言されたんだとか・・・)という「バンザイ事件」とよくにた司会者降板劇があったそうです(この場合は右の「ベトナム戦争」発言が「暗に米国の政策を反対してるかのように聴こえる」と解され、「親米」の信隆氏の逆鱗に触れたということなんでしょう)。

しかし、今のテレビ界でも不祥事で出演を見合わせ、或いは自主的に降板ってケースはいくつかありますけど、こういう「政治的な思想」の違いで事実上クビを切られる、なんていう形でレギュラーが交替するというのはまずないですよねぇ・・・。

学生たちがまだまだこの国の行く末を休憩時間になると熱く語り合う光景が多く見かけられたというこの時代ならではのエピソードともいえると思います。
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Unknown (梅吉)
2009-01-07 11:59:01
はじめまして。

今はタレントも平気でアメリカを批判したり
平気で反体制を唱えることはありますが。
でも、9,11事件起こったくらいで
アメリカがイラク攻撃したときに
アメリカと、いう国は恐ろしくて
イヤな国だと、思うようになりました。
それは今も変わっていません。 
 

でも、コメンテーターでも 
タレントでもキャスターと、いった方々いますけど 
彼らは感情的になりすぎてますよね。
もう少し彼らがひかえめに出来ないものか  
と、いう気がします。
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ちょっと待って (Blow With Ry)
2009-09-06 21:16:56
後にバンザイ事件と呼ばれたことに関してはよく語られるんだけれど、当時を知るものの一人として言わせてもらうと、これは、あくまでもきっかけのひとつで、それ以前にかれの傲慢さが色々なところで表面化していたんだよね。
 今でも覚えているけれど、自身が不在の夜ヒットの番組中で、外から電話で芳村真理に対して、自分の不在説明の仕方が悪いなどと、たしなめているんだよね。 あの時の芳村真理の、困惑したような顔が忘れられない。 本当に当時は、飛ぶ鳥を落とすような勢いの人気だったけれど、一時の人気に溺れて傲慢になってしまった人という記憶しかない。  すべてはこの事件と呼ばれる出来事から始まった、と考えるのは、ちょっと事実に反するような気がする。 あくまでそれまでくすぶっていた彼に対する各方面の不満がこれをきっかけに噴出したというほうが、事実に近いと思う。
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