伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<37> 欧陽菲菲

2008-06-14 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴

<欧陽菲菲>
◆初出演:1971年10月25日(第156回)「雨の御堂筋」
◆最終出演:1983年12月26日(第788回)「ラヴ・イズ・オーヴァー」
◆出演回数:33回 
01. 1971/10/25 156 雨の御堂筋(詞:林春生/曲:The Ventures R:1971/09/05 HC:1位
02. 1971/12/20 164 雨のエアポート
(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1971/12/20 HC:4位)
03. 1972/01/31 170 雨のエアポート
04. 1972/04/03 179 恋の追跡(ラブ・チェイス
詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1972/04/05 HC:5位
05. 1972/05/01 183 恋の追跡(ラブ・チェイス)
06. 1972/06/19 190 恋の追跡(ラブ・チェイス)
07. 1972/08/07 197 夜汽車
(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1972/08/05 HC:5位
08. 1972/09/25 204 夜汽車
09. 1972/10/02 205 夜汽車 
10.  1973/01/01 218 雨のヨコハマ(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1972/12/20 HC:18位)
11.  1973/03/05 227 
雨のヨコハマ  
12.  1973/04/09 232 
恋の十字路(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1973/04/05 HC:9位
13.  1973/04/30 235 恋の十字路

14.  1973/05/21 238 恋の十字路
15.  1973/06/11 241 恋の十字路
16.  1973/09/03 253 恋は燃えている(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1973/08/20 HC:38位)
17.  1973/10/01 257 恋は燃えている
18.  1973/11/05 262 恋は燃えている
19.  1973/12/10 267 火の鳥(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1973/12/01 HC:69位)
20.  1974/02/04 274 火の鳥
21.  1974/03/25 281 海鴎(かもめ)(詞:橋本淳/曲:筒美京平 R:1974/04/05
22.  1974/06/10 292 海鴎(かもめ)
23.  1974/08/12 301 マリアの鐘(詞:千家和也/曲:猪俣公章 R:1974/08/-)
24.  1974/11/25 316 南十字星(詞:千家和也/曲:猪俣公章 R:1974/11/-)
25.  1975/01/27 325 南十字星 
26.  1975/04/07 335 別離のヨコハマ(詞:林春生/曲:筒美京平 R:1975/03/05) 
27.  1975/10/20 363 島の女(詞:林春生/曲:フィリピン民謡/編:森岡賢一郎 R:75/10/-)
28.  1976/02/02 378 島の女
29.  1976/04/26 390 涙のディスコナイト(詞:橋本淳/曲:佐藤寛 R:76/03/-)
30.  1977/04/18 441 その日ぐらし(詞:山口洋子/曲:馬飼野康二 R:1977/04/-)
31.  1983/09/12 773 ラヴ・イズ・オーヴァー(詞・曲:伊藤薫 R:1982/09/01 HC:1位
32.  1983/10/24 779 ラヴ・イズ・オーヴァー
33.  1983/12/26 788 ラヴ・イズ・オーヴァー


【補足】初出演~最終出演までの間に発売されたシングル中、「風のしのび逢い」(75/06)、「うわさのディスコ・クイーン」(79/07)、「星影のバラード」(81/06)などでの出演実績はなし。

1971年秋にザ・ベンチャーズ作曲作品「雨の御堂筋」で日本の歌謡界にデビューした欧陽菲菲。いきなりこのデビューシングルはオリコン週間チャートで1位を獲得、その後も橋本淳・筒美京平という当時のヒットメーカーコンビによる「雨のエアポート」「恋の追跡」「夜汽車」が何れもベストテンヒットとなり、ヒットスタジオへの出演も日本の歌謡界では新人という位置付けながら早くより準レギュラー格としてのポジションを獲得しました(特に「恋の十字路」をリリースした時期に関しては3回に1回という短いスパンで出演を続けています)。

しかし、73年8月リリースの「恋は燃えている」以降売上が徐々に低迷、74年4月リリースの「海鴎」では初めてオリコンチャートで100位圏内にもランキングされないという苦境に立たされ、一時的に作家陣を千家・猪俣コンビに変更し、演歌色の強い楽曲へとシフトしたり、原点回帰の意味からデビュー曲を作詞した林春生の力を再び借りるなどの試行錯誤をくり返すも、どれも功を奏さず、いつの間にか彼女は日本の芸能界の一線からは忘れられた存在となってしまいました。

しかし83年、ある曲の大ヒットが契機となり突如、彼女は再び日本の歌謡界の一線に再浮上することとなります。その曲はのちに森進一、美空ひばりらも好んでレパートリーとして取り入れるなど業界内外から高い評価を集めた名曲「ラヴ・イズ・オーヴァー」でした。

この曲は元々、79年に彼女の2年ぶりの日本での新譜としてリリースされた「うわさのディスコ・クイーン」という作品のカップリング曲として製作されたもので、翌80年に再度、今度はA面曲としてリリース。この80年の再リリース時は全くヒットしなかったのですが、欧陽はこの曲を大変気に入り、知名度の低い作品でありながらも自身のコンサートでは重要な1曲として頻繁に曲目に取り入れ披露。そういった欧陽や方々の関係者の尽力もあり、82年秋になって通算3度目(A面収録曲としては2度目)の再リリースが決定。有線放送での人気振りを背景に83年に入ってからオリコン週間シングルチャートでもランキングを急上昇。この年の11月になって上位20位圏内にランキングされ、ついに同年の末(83年12月19・26日付)にはデビュー作「雨の御堂筋」以来12年ぶりとなるオリコンチャート1位の座を獲得。「3度目の正直」でようやく大ヒットに結実したのです。

同作のヒットぶりに歩調をあわせるように、ヒットスタジオにも77年4月の「その日ぐらし」以来6年半ぶりに登場。黒のタイトなロングスカートに無造作なソバージュというシックな出で立ちで切々とこの曲を歌い上げる彼女の姿は、「大人のシンガー」への進化を多くの視聴者に印象付けるものとなりました。

しかし、その後は日本でのヒットが続かず、また他方で台湾の芸能界での活動に再び軸足を戻したこともあり、結局、この「ラヴ・イズ・オーヴァー」で3回出演したのがヒットスタジオに登場した最後となってしまいました。


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3 コメント

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ラブ・イズ・オーバー ()
2008-06-14 21:19:15
 この歌、昭和55(1980)年に森進一さんは
『恋月夜』のB面で発売しています。
 2年後に、CBSソニーに在籍していた時の
黛ジュンさんも歌っています。
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有線+カラオケブームの波に乗ったロングヒット作たち (resistnce-k)
2008-06-15 00:21:56
「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、最初はどうも業界内で高い評判が集まって、それを背景に本家の欧陽菲菲も再びこの曲をリリースすることになったという経緯が実際にはあったようですね。

この曲に限らず、発売後数年経ってから、何かを契機としてヒットチャートの上位に入ったという歌はこれまでも数多くありました。ここ数年でいえば、前年の紅白で歌われた曲が勢いにのって年明けになってヒットチャートを急上昇するというケースが時折起きるようになってきていますが(記憶に新しいのは秋川雅史の「千の風になって」でしょうが・・・)、この歌謡番組全盛時代、70年代末~80年代初頭にかけてでいえば、やはり有線+カラオケブームの波に乗る形でのロングヒットが数多く存在しましたよね。
「北国の春」はとりわけその典型でしょうが、「夢追い酒」「みちづれ」「おもいで酒」「悲しい色やね」「お久しぶりね」あたりのヒットもカラオケや有線の力が大きく作用していたと思いますし、その前提には歌手サイドの並々ならぬ1曲にかける思いの強さ、そしてそれを反映しての積極的かつ粘り強いプロモーションの展開というのも当然あるわけですがね。「ラヴ・イズ―」もカラオケでは定番曲として現在も親しまれているところを見ると、この有線+カラオケブームの波に乗った類のロングセラーヒットと見るのが自然かもしれません。
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風のしのび逢い (通りすがり)
2010-10-22 01:50:51
「風のしのび逢い」で二回出演してますよ~
CSのヒットスタジオ再放送で、二回共出演時の
回をやってました。
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