伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<30> 堀ちえみ

2007-09-16 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴

「夜ヒット」出演履歴、今回は「花の82年組」のひとり、堀ちえみの出演履歴を振り返ります。

<堀ちえみ>
◆初出演:1982年4月5日(第699回)「潮風の少女」
◆最終出演:1987年3月11日(第952回)「愛を今信じていたい」
◆出演回数:30回
01 82/04/05 0699 潮風の少女 (詞・曲:宮松恭子 R:82/03/21 HC:27位) 
02 82/08/09 0717 真夏の少女 (詞:中里綴 曲:鈴木茂 R:82/06/21 HC:26位)
03 82/11/29 0733 とまどいの週末(詞・曲:森雪之丞 R:82/11/05 HC:14位)
04 83/02/14 0743 さよならの物語(詞:岩里祐穂 曲:岩里未央 R:83/01/21 HC:8位
05 83/05/16 0756 真夏のダイアリー (詞:岩里祐穂 曲:岩里未央 R:83/04/21 HC:6位
06 83/07/25 0766 青い夏のエピローグ(詞:岩里祐穂 曲:岩里未央 R:83/07/07 HC:7位
07 84/02/13 0794 白いハンカチーフ (詞:大津あきら 曲:網倉一也 R:84/01/21 HC:7位
08 84/05/14 0807 稲妻パラダイス(詞:康珍化 曲:林哲司 R:84/04/21 HC:5位
09 84/07/23 0817 東京Suger Town(詞:三浦徳子 曲:芹澤廣明 R:84/07/18 HC:3位<※一つのシングル曲につき複数回の出演をした最初の楽曲>
10 84/08/13 0820 東京Suger Town
11 84/10/08 0828 やさしい悪魔<with石川秀美・早見優>(詞:喜多条忠 曲:吉田拓郎)
12 84/10/29 0831 クレイジーラブ(詞:三浦徳子 曲:芹沢廣明 R:84/10/17 HC:2位) 
13 84/11/26 0835 クレイジーラブ
14 85/01/21 0842 リ・ボ・ン(詞:三浦徳子 曲:松田良 R:85/01/23 HC:2位
15 85/02/25 0847 リ・ボ・ン
16 85/04/10 0853 Deadend Street GIRL(詞:鈴木博文 曲:鮎川誠 R:85/04/24 HC:9位
17 85/05/22 0859 Jimmy's Girl(詞・売野雅勇 曲:原田真二 Album「Lonely Univers」収録 R:85/06/05)
18 85/06/26 0864 Wa・ショイ! (詞:鈴木博文 曲:白井良明 R:85/07/03 HC:9位
19 85/07/17 0867 Wa・ショイ!
20 85/08/21 0872 風のサザン・カリフォルニア(Single「Wa・ショイ!」両A面 詞:売野雅勇 曲:高中正義 R:85/07/03)
21 85/09/18 0876 青春の忘れ物(詞:売野雅勇 曲:鈴木キサブロー R:85/09/25 HC:12位)
22 85/10/23 0881 青春の忘れ物
23 85/11/27 0886 青春の忘れ物
24 85/12/18 0889 暗くなるまで待って(詞・売野雅勇 曲:後藤次利 Album「夢の続き」収録 R:85/12/28)
25 86/01/22 0893 夢千秒(詞・売野雅勇 曲:鈴木キサブロー R:86/01/21 HC:12位)
26 86/03/05 0899 夢千秒
27 86/04/23 0906 ジャックナイフの夏(詞:売野雅勇 曲:タケカワユキヒデ R:86/04/21 HC:12位)
28 86/07/02 0916 夏咲き娘(詞:三浦徳子 曲:白井良明 R:86/07/14 HC:14位)
29 86/10/15 0931 素敵な休日(詞:夏目純 曲:尾崎亜美 R:86/10/21 HC:29位)
30 87/03/11 0952 愛を今信じていたい(詞:秋元康 曲:小室哲哉 R:87/03/21 HC:35位)
【追記】
①初出演~最終出演までの期間内にリリースされた全シングル曲中、「待ちぼうけ」(R:82/08/21)、「夕暮れ気分」(R:83/10/05)での出演実績はなし。
②84/10/08放送の「やさしい悪魔」はキャンディーズのナンバー。番組の企画で同期の早見優、石川秀美とのジョイントで披露。

堀ちえみの出演履歴の特徴としては・・・。
①1982年~1984年秋ころまでは1曲につき原則1回のスローペースでの出演だった。
松本伊代や早見優と同じく、1984年7月に発売された「東京Suger Town」までは1曲につき1回というスローペースでの出演でした。この頃のヒットスタジオは、女性アイドル枠は基本的には2枠程度用意されており、一方は松田聖子・河合奈保子・中森明菜ら、女性アイドルのトップに君臨する、いわば「別格」的存在の女性アイドルの枠とされていたのに対し、もう1枠はそれよりも人気・知名度がやや下がる女性アイドルの定位置として機能しており、この枠の下で出演するアイドル歌手は大抵は番組序盤(トップバッターか2番手)に登場することが多かったと思います。堀も29回出演のうちの大半は、トップバッター或いは2番手で歌を披露していました(それ以外の順序で歌を披露したのは、最終出演となった「愛を今、信じていたい」のときと、82年8月の、小泉今日子の「素敵なラブリーボーイ」と2曲続けてでの曲披露となった「真夏の少女」のとき、「潮風の少女」での初出演時の3回だけだったような気がします)。
②3rdシングル「待ちぼうけ」、8thシングル「夕暮れ気分」での出演実績がない。
1983年7月に「青い夏のエピローグ」で出演して以降、同年内の出演はなく、次の出演は次の年、1984年の2月までなく、この間に発売された「夕暮れ気分」はどうも夜ヒットでは1回も披露していないようです。なぜ、この曲での出演がなかったかは全く判りませんが、どうも「赤い羽根」募金のタイアップCFソングとして発売されたことにも夜ヒット未披露の一因があるのかもしれません。また、3枚目の「待ちぼうけ」も当時大半の賞レース番組ではこの作品で新人賞にノミネートされていてオリコン最高位も前2作よりも上がっているもののなぜか1回もヒットスタジオでは披露していません(発売2週間前の82年8月9日放送では2枚目の「真夏の少女」を披露しています)。
③1984年末頃~1985年にかけては準レギュラー格の一角として毎月1回ペースで出演していた。
「クレイジーラブ」~「夢一秒」の頃にかけては月1回ペースでの出演となっています。シングル売り上げは徐々に減少し始めていた時期だとは思うのですが、逆に女優としては「スチュワーデス物語」「花嫁人形は誰が着る」「スタア誕生」と主に大映テレビ製作ドラマでの活躍が目立ち、広い世代の視聴者にも彼女の存在が知られるようになったことや、DXへの改編によりアイドルの出演枠がより広くなったことも出演間隔が短くなった要因となっているのかもしれません。

彼女の当時の所属事務所は大手の「ホリプロ」ですが、夜ヒットでの優遇ぶりという点では、当時バーニング、ジャニーズ、ナベプロに次ぐ存在(82年当時、ナベプロ筆頭のタレントだった和田アキ子は一時歌手として低迷のときを迎えており、また森昌子や石川さゆりもヒットが出にくくなり、出演頻度が少なくなり、ホリプロ所属歌手はどちらかといえば同番組内では「冷遇」される立場にあったようですが…)であったことを考慮すれば、デビュー(82年3月21日)から約2週間後の番組初登場というのは妥当な線だといえるでしょう。それ以降、同期の松本伊代や早見優らよりも比較的出演につき優遇されていたのか、夜ヒットの通算出演回数は彼女らよりも多く29回となっています。

彼女の出演シーンで一番印象に残っているものといえば、「夏咲き娘」での出演時に、歌の途中で突然号泣してしまい、歌が歌えない状態に陥ったという場面(86年7月2日放送)が思い出されます。
当時の事情を知っている方なら周知のことだとは思いますが、この出演の直前に、女性週刊誌に、作曲家・後藤次利との交際が報じられ、そのことと関連して、このときの号泣シーンは様々な憶測を呼びました(このとき、司会の芳村真理は「どうした?どうした?歌詞間違えた?何か怖かったの?」と、歌い終わっても尚泣き止まない彼女をフォローしたそうです)。生放送で歌を歌うことの重圧と、それまでの彼女のイメージとは似つかぬ「芸能スキャンダル」の件を突っ込まれるかもしれない、という恐怖感が重なりこのようなシーンが生じたというのが真相のようです(結局はこの後藤との交際報道の件につき、この一件で苦悩している堀の心中を察してか、芳村、古舘伊知郎の両司会者は一度も彼女にこの報道について問い正すような所作を見せることはなかったようです)。

この「夏咲き娘」での号泣シーンが後の同番組内での電撃的な引退宣言(87年3月11日放送)の伏線となっていたのは言わずもがなです。この引退の意向を発表したときに披露した、引退前最後のシングル曲「愛を今、信じていたい」を歌っているときの彼女は、体調を崩していたせいかかなりやせ細ってしまい、その姿はかなり痛々しいものでした。芸能界という特殊で閉鎖的ともいえる世界に心底疲弊してしまった、という雰囲気すらありました。

現在では再び、同期の早見・松本らとユニットを組んでTV出演したりと、芸能界で力強く活躍をしています。5人の子供の母親として奮闘を続ける彼女の今の姿には、かつての夜ヒットでの「引退宣言」時における「気弱さ」というものは微塵もなく、むしろ逆に、様々な波乱万丈の人生経験を乗り越えての「力強さ」、或いは「自信」というのが全面に出ているという感があります。
これからも同年代の女性を勇気付ける存在として活躍し続けて欲しいものです。


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10 コメント

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 (気まぐれ)
2007-09-22 03:12:08
はじめまして
間違ってるかもですが
夕暮れのころ盲腸で入院したので
他の番組でも欠席ですというVTRを持っています。
それと関係があるかもしれません
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次回は是非・・・ (渡辺 郁恵)
2007-10-31 16:06:27
榊原郁恵ちゃんを特集して下さいませ!
ちえみちゃんも大好きでしたよ!あの号泣した「夏咲き娘」VTR持ってますけど その回に河合その子がいましたよね・・・すごくい意味深い感じがします!
あのころのちえみちゃんは可愛そうでしたネ・・・
郁恵さんは 初登場「わがまま金曜日」~「女友人代表」までお願いします!

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次回は是非・・・ (渡辺 郁恵)
2007-10-31 16:28:43
探したらありましたね!ありがとうございました!
「ROBOT]で出演してないのが不思議でした!
ほかの番組ではよく歌ってたのに~
よくここまで調べましたね!関心してます!
また遊びに来ますね^^
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榊原郁恵は歌手としては「不遇」でしたね・・・。 (resistance-k)
2007-11-01 15:26:11
>>「ROBOT]で出演してないのが不思議でした!

榊原郁恵の出演履歴の記事でも触れたのですが、彼女は1979年の11月から「紅白歌のベストテン」の司会に抜擢されたために、ヒットスタジオの出演に大幅な制約がかかり、1980年3月に出演したのを最後に5年以上歌手としての出演ができなかったんですよねえ・・・。
「ROBOT」というと、80年の紅白でも確かトップバッターで歌った歌でしたっけ。結構異色な歌(というよりもコミックソングに近いところもありますが)でしたね。これも「紅白歌の…」では当然歌ってると思いますが、「夜ヒット」では結局歌えずじまいでしたね。

当時は実際のところ、紅白歌の…よりもヒットスタジオに出演したかしないか、という点で大きく歌手のネームバリューに影響を及ぼしていた時代でしたし、この頃、この番組で初めて取り上げて話題となった歌(「みちのくひとり旅」とか「冬の稲妻」とか「SWEET MEMORIES」とか)がかなり多かったので、その点でも必死でヒットさせようと頑張ってる歌手にとっては、1度でいいから出たい番組でもありましたよね。そこにきて、ある程度番組内では優遇され、しかも当時既に知名度・人気も抜群だった榊原郁恵が裏番組の事情で出られなくなってしまった、というのは本人としても事務所としてもかなりの痛手だったと思います。歌手としてのアピールできる場が一つ失われてしまったわけですしねえ…。
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ちえみの号泣シーン (ひでりん)
2008-06-15 14:04:26
堀ちえみの号泣シーン実際見ました。
なぜ歌の途中で泣いたのか、信じられなかった。
何があったかわからないが歌を途中でやめるのは歌手として最低のことじゃないでしょうか?泣いても歌は最後まで歌うものではないかとその時感じました。
ちえみはホント泣き虫だったのは有名でいじめられるような言われ方されると自分で何もできなくなりすぐ泣くこと。
きっとあの号泣はたぶん後藤次利との交際が報じられた直後だったから周りにいじめられるような言い方されるんじゃないかと恐怖になったのではないかと思う。
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唐突な号泣シーンで思い出すのは・・・ (resistnce-k)
2008-06-15 17:30:34
>>なぜ歌の途中で泣いたのか、信じられなかった。

本職歌手なわけですから、歌に入るときはプロ意識を持て、というのは確かだろうと思いますが、どうもこのときの彼女の心境なりその時折におきた裏の事情の壮絶ぶりを考えるとそこまで高圧的な批判はできないかなあ・・・という感じも個人的にはしなくはないですね。そういうのを汲んだ上でこのシーンを見ると、また別の印象をもつかもしれません。

この後藤次利との不倫騒動での心労によって彼女は見る見るうちにやせ細り、最後のヒットスタジオの出演(=歌手業一時引退)のときの映像を見ると頬はこけて、それを隠すように更に化粧を厚くしていたもんだから、体調が悪いというのが傍目から見てもより明らざまになってしまい、痛々しさすらありました。

この歌手の号泣シーン、ヒットスタジオでは色んなシチュエーションのちがいはあれど色々ありましたね。そういう部分も隠さずに放送するのがこの番組の特徴でもあり、最も追い求めていたコンセプトでもありましたし、その時その時によって、それが却って感動的な場面を作り出したのも事実なのですが、他方で、あまりに唐突に泣かれたり、暴れたり、ということになってくると話はやはり別なんでしょうかね・・・。そういう場合は大抵翌日のマスコミでは批判的論調が大勢でした(堀ちえみの場合も当時はそんな感じだったんでしょう)ね。

さぞかしハプニングが起きた後の歴代のこの番組の司会者はすぐに対応を求められるだけに大変だったんじゃないかなあ・・・と思います。確かこの堀ちえみの一件のときもやはり芳村真理が「どうした?何かあった?」とすぐさまフォローして何とか批判が起きるのを最小限に押さえ込んでいた、という感じだったと記憶しています(あるブログで沢尻エリカの「別に」騒動のときにその上映会の司会をしていた某元フジテレビ女子アナウンサーの対応との比較でこのときの芳村のフォローは「巧く掬っている」と仰っておられる方がおられたのも記憶していますが、私もそれは同感ですね・・・。まさにフォローの達人ですね、この人は)。

歌の途中で泣き出して歌えなくなった、というので思い出すのは85年の「紅白」で司会を務めた、奇しくも堀の先輩にあたる森昌子のステージでしょうか。もう1番の2フレーズ目あたりから崩れ落ちるように号泣して、ほとんど歌になっていませんでした。

あれも裏の事情としては「これが紅白はきっと最後だろう」という思いがこみ上げてのものだったというのが真相なんですが、あのシーンは私も「酷いなあ・・・」とは思いましたね。前年の都はるみの感動的な引退劇をここでもう一度それに近い形で再現したい、という製作陣の意図にまんまとはめられたんじゃないのか?とかそういうことを詮索したくなるほどに何らいい印象が残らなかったシーンでしたね。なんか茶番劇的というか・・・。(森昌子ファンには申し訳ないが、私個人の意見として聞き流してください・・・汗)。紅白の場合、夜ヒットとかベストテンとは違って受信料で運営されているNHKの誇る「フォーマル・格式ばった番組」であるという前提があるがゆえにこういう不快感を持ったのかも分かりませんが・・・。我々受信料も彼女達歌手のギャラの供給源となっているわけですから、それなりにちゃんと仕事だけはやってもらわんと、というケチな感情をどうしてもNHKでこの種のハプニングが起きると湧いてしまうというところなんだろうなあ・・・。
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Unknown (じゅん&まり)
2009-08-19 17:46:36
久々に訪れました。
しばらく更新されてないようなのですが、これほどの情報量のある
夜ヒットサイトはないのでぜひぜひこれからも管理人さんには頑張っていただきたいです。
話は変わりますが、堀ちえみですが某動画サイトで拝見した原田真二作曲のアルバム曲「Jimmy's Girl」が出演リストから抜けている気がするのですが…。
おそらく歌手名のテロップが無かったのでDX初期の85年4月10日~6月26日までのいずれかの放送日だと思います。
また更新してくれるのを楽しみにしています☆
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Unknown ()
2009-10-27 22:17:48
はじめまして。前の方も述べていましたが、
夕暮れ気分は出演予定だったけど、盲腸で
出演出来ませんでした。彼女クラスだと、退院
して他の週で出演は無理なのと、秋の歌なので
季節感の関係で断念したんでしょうか?それと
待ちぼうけと、とまどいの週末の間隔が
短くて、いくらなんでも、新人が4回も出演は
当時としてはありえなかったと思われます。
最後の出演の時も河合その子さん出演してましたね。
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Unknown (Unknown)
2019-06-15 16:30:54
郁恵さんが紅白歌のベストテンの司会になったのは80年4月からですね。
だから80年3月が当時としては最後の出演回になってしまったと。
もし大場久美子さんが79年の紅白歌のベストテンの司会を担当しなかったら
夜ヒットに初出演したんですかね?人気は凄くあったし
同じ事務所の先輩だった岡田奈々さんはコンスタントに出演していたので。
歌は(.........汗)番組の品位が.......
ちえみさんのラスト出演回、普通だったら同期のメンバーが集結して
過去VTRを流しながらフルコーラスだと思うのですが
ホリプロとの確執があったままの引退だったんでしょうね!
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Unknown (たくろー)
2020-10-24 07:40:06
歌は上手いしかわいいし、スキャンダルぐらいで引退して欲しくなかった。
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