遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
なかなか更新ができない状態でございますが、何卒今年もご贔屓いただきますよう宜しくお願い致します。
久々の夜ヒット名シーンシリーズ、今回は恐らく夜ヒット22年の歴史の中でも1,2を争う名場面ともいえる沢田研二さんの「サムライ」畳バージョンのシーンについて取り上げます。
この場面は1978年1月30日放送、この回のラストでの一コマです。この場面は終盤の夜ヒットにおいてよく編成されていた総集編でも必ず定番中の定番として紹介されていたシーンなので、リアルタイムで観たことがない人でも多分御存知の方は多いかもしれません。
沢田研二さんは、夜ヒットに初期から最終盤まで定期的に出演を続け、印象深いシーンを数々提供してきた、夜ヒットを語る上で欠かせないアーティストの一人です。「TOKIO」でのスタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大アドバルーンを装着しての歌唱(1980年1月7日放送)であるとか、「LOVE(抱きしめたい)」の雨に打たれながらの熱唱(1978年9月4日放送)、「ヴィラーレ」でのモデル・山口小夜子さんとの扇越しの「接吻」シーン(1986年6月11日放送)などかなり印象深い場面も多いですが、その中でもこの「サムライ」の一場面は一度見れば、完全に脳裏に焼きついてしまう、それぐらいに衝撃的な場面だったといえると思います。
以前から申し上げている通り、夜ヒットの魅力はなんといっても「歌手の素顔を引き出す」という部分。もちろん司会者とのカジュアルなトークの中でその「素顔」が引き出されることも多いわけですが、とりわけ、「総合歌謡番組」へと番組カラーを転換して以降は、それまではどちらかといえば軽視されていた歌の中での演出にも趣向が凝らされ、さっきまでは何もスタジオの中には置かれていなかったのに一瞬にしてススキ野に早変わりしたり、カメラワークをより固定化せずに歌手の顔をギリギリまでアップしたりするなどして、より一層臨場感ある形にしたり、とスピード感がある演出がなされるようになり、歌の中でも「歌手の素顔を引き出す」ことが重視されるようになりました。
この「サムライ」の一場面は夜ヒットの演出面での転換期を象徴する場面であったと思います。一度、フルサイズの映像を見たところでは、2番サビまでは、沢田さんの上半身までしかあえて映さず、2番目サビに入るところで、いきなりカメラレンズを引き、畳がスタジオ一面に引きつめられている様子や、沢田さんの全体像がようやく映し出されるという、これもまたスピード感がある演出だったように記憶しています。
ほんの数十秒間の間に畳何十畳分をスタジオ一面に敷き、後ろでチラチラと紙吹雪が舞う中、短刀を光らせながら、上半身裸に近い(厳密にはラメ付の透明なシャツを着用していました)格好で熱唱。まさに「歌は三分間のドラマ」という古くからの格言をそのまま形にしたようなステージング。その中には、エンターティナー・沢田研二の「男臭さ」が凝縮されていました。
思えば、沢田さんほどそれぞれの歌において違う自分をうまく演じ分けたアーティストもなかなかいないように思います。「時の過ぎ行くままに」などはどちらかといえば「若者らしいニヒルさ」が色濃かったと思いますが、「勝手にしやがれ」などは「コミカルながらおしゃれな雰囲気」が漂っていますし、「6番目のユウウツ」あたりなどは「狂気」というイメージがあります。「背中から45分」などは「スマートな大人の男」の雰囲気がありました。今回の話題の中心となる「サムライ」はまさに「日本男児」といった感じでしょうか。それぐらいに彼の歌の世界は、視覚的にも聴覚的にも際限のない広がりがあります。
日本の芸能界にも芸能史に名を残すエンターティナーは数多くいます。それこそ、夜ヒット司会者の一人である井上順さんもそうでしょうし、司会・歌手・俳優、なんでも器用にこなしてしまう堺正章さんなどもこの類に入る存在だと思います。
ただ、「歌」を聞くだけ、歌うだけという次元だけでなく、「魅せる」ものとして理解し、それを自ら楽しんでいた沢田研二さんには明らかに他の「エンターティナー」とは違う何かがあったように思います。「歌手」としての軸足はぶれることなく、その上で、歌の中の主人公像を自らの解釈によって「演ずる」。「歌というものが持っている限りない可能性」、この部分を深く探求してきた沢田研二さんは「歌手」という部分に焦点に当てる限りにおいて「最高のエンターティナー」と呼ぶにふさわしい存在、換言すれば「歌を見事にエンターテイメント化できる存在」は沢田さんを置いて他になし、ともいえる存在ではないかと感じます。
まさにこのこの夜ヒットでの「サムライ」の一場面は「沢田研二だからこそ実現できた世界」そのものであったのではないでしょうか。
近年、沢田さんはテレビ出演を抑え、映画や舞台・コンサート活動を精力的にこなしていらっしゃいますが、今一度、テレビの世界で、50代を過ぎても尚盛んな、パワフルな「ジュリーの世界」を是非見せてほしいものです。
なかなか更新ができない状態でございますが、何卒今年もご贔屓いただきますよう宜しくお願い致します。
久々の夜ヒット名シーンシリーズ、今回は恐らく夜ヒット22年の歴史の中でも1,2を争う名場面ともいえる沢田研二さんの「サムライ」畳バージョンのシーンについて取り上げます。
この場面は1978年1月30日放送、この回のラストでの一コマです。この場面は終盤の夜ヒットにおいてよく編成されていた総集編でも必ず定番中の定番として紹介されていたシーンなので、リアルタイムで観たことがない人でも多分御存知の方は多いかもしれません。
沢田研二さんは、夜ヒットに初期から最終盤まで定期的に出演を続け、印象深いシーンを数々提供してきた、夜ヒットを語る上で欠かせないアーティストの一人です。「TOKIO」でのスタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大アドバルーンを装着しての歌唱(1980年1月7日放送)であるとか、「LOVE(抱きしめたい)」の雨に打たれながらの熱唱(1978年9月4日放送)、「ヴィラーレ」でのモデル・山口小夜子さんとの扇越しの「接吻」シーン(1986年6月11日放送)などかなり印象深い場面も多いですが、その中でもこの「サムライ」の一場面は一度見れば、完全に脳裏に焼きついてしまう、それぐらいに衝撃的な場面だったといえると思います。
以前から申し上げている通り、夜ヒットの魅力はなんといっても「歌手の素顔を引き出す」という部分。もちろん司会者とのカジュアルなトークの中でその「素顔」が引き出されることも多いわけですが、とりわけ、「総合歌謡番組」へと番組カラーを転換して以降は、それまではどちらかといえば軽視されていた歌の中での演出にも趣向が凝らされ、さっきまでは何もスタジオの中には置かれていなかったのに一瞬にしてススキ野に早変わりしたり、カメラワークをより固定化せずに歌手の顔をギリギリまでアップしたりするなどして、より一層臨場感ある形にしたり、とスピード感がある演出がなされるようになり、歌の中でも「歌手の素顔を引き出す」ことが重視されるようになりました。
この「サムライ」の一場面は夜ヒットの演出面での転換期を象徴する場面であったと思います。一度、フルサイズの映像を見たところでは、2番サビまでは、沢田さんの上半身までしかあえて映さず、2番目サビに入るところで、いきなりカメラレンズを引き、畳がスタジオ一面に引きつめられている様子や、沢田さんの全体像がようやく映し出されるという、これもまたスピード感がある演出だったように記憶しています。
ほんの数十秒間の間に畳何十畳分をスタジオ一面に敷き、後ろでチラチラと紙吹雪が舞う中、短刀を光らせながら、上半身裸に近い(厳密にはラメ付の透明なシャツを着用していました)格好で熱唱。まさに「歌は三分間のドラマ」という古くからの格言をそのまま形にしたようなステージング。その中には、エンターティナー・沢田研二の「男臭さ」が凝縮されていました。
思えば、沢田さんほどそれぞれの歌において違う自分をうまく演じ分けたアーティストもなかなかいないように思います。「時の過ぎ行くままに」などはどちらかといえば「若者らしいニヒルさ」が色濃かったと思いますが、「勝手にしやがれ」などは「コミカルながらおしゃれな雰囲気」が漂っていますし、「6番目のユウウツ」あたりなどは「狂気」というイメージがあります。「背中から45分」などは「スマートな大人の男」の雰囲気がありました。今回の話題の中心となる「サムライ」はまさに「日本男児」といった感じでしょうか。それぐらいに彼の歌の世界は、視覚的にも聴覚的にも際限のない広がりがあります。
日本の芸能界にも芸能史に名を残すエンターティナーは数多くいます。それこそ、夜ヒット司会者の一人である井上順さんもそうでしょうし、司会・歌手・俳優、なんでも器用にこなしてしまう堺正章さんなどもこの類に入る存在だと思います。
ただ、「歌」を聞くだけ、歌うだけという次元だけでなく、「魅せる」ものとして理解し、それを自ら楽しんでいた沢田研二さんには明らかに他の「エンターティナー」とは違う何かがあったように思います。「歌手」としての軸足はぶれることなく、その上で、歌の中の主人公像を自らの解釈によって「演ずる」。「歌というものが持っている限りない可能性」、この部分を深く探求してきた沢田研二さんは「歌手」という部分に焦点に当てる限りにおいて「最高のエンターティナー」と呼ぶにふさわしい存在、換言すれば「歌を見事にエンターテイメント化できる存在」は沢田さんを置いて他になし、ともいえる存在ではないかと感じます。
まさにこのこの夜ヒットでの「サムライ」の一場面は「沢田研二だからこそ実現できた世界」そのものであったのではないでしょうか。
近年、沢田さんはテレビ出演を抑え、映画や舞台・コンサート活動を精力的にこなしていらっしゃいますが、今一度、テレビの世界で、50代を過ぎても尚盛んな、パワフルな「ジュリーの世界」を是非見せてほしいものです。
はじめまして!モナムールの掲示板での投稿を読み、こちらに来て数日拝見しましたが、管理人さんの年齢の若いのに驚き、鋭い洞察力のある方だなと思い感心しました。何かの形でコメントできればと思っていましたが、沢田研二についてだったので、読んでいたらすっかり忘れていた当時の沢田研二さんの事、思い出しました。夜のヒットスタジではありませんが、ザ・ベストテンでの「一等賞が好き」「派手好き」な事をよく言われていました。ザ・ベストテンでのランクは70年代後半は確かに上位が多い歌手だったので一位の時はとても喜んでいたし、一位から転落したら、ホントに悔しさを表情や態度に表されていたように思います。
近年、私は沢田研二に対してはスカパーのフジテレビ721の夜のヒットスタジオ放送に関して悪いイメージがあったのですが、(彼さえいなければもっと放映できる回が増えるのに~)という安易な事しか考えていなかったのですが、何か生放送の歌番組に対しては普通の歌番組とは違う思い入れがあったのでは?と思います。本人ではないので実際、真意はわかりませんが、いつの日かスカパーでの放送で当時のシーンを見てみたいですね。
当時の夜ヒットでの沢田研二さんの「サムライ」、見てました。
凄い迫力でした。
その後も何度も夜ヒット名場面集で、この畳のセットの映像を見ました。
「サムライ」は、未だに名曲だと思います。
ザ・ベストテンでも、長くランクされ印象強いです。
自分、ベストテンブログを最近はじめましたので、暇な時にでも。
では。
賞レース関連一つとっても、当時のジュリーの勢いがいかに凄かったかが証明づけられますよね・・・。
レコード大賞関連を例に取っても・・・
・72年-歌唱賞「許されない愛」
・73年-大衆賞「危険なふたり」
・74年-歌唱賞「追憶」
・75年-歌唱賞「時の過ぎ行くままに」
・77年-歌唱賞及び大賞「勝手にしやがれ」
・78年-金賞及び最優秀歌唱賞「LOVE・抱きしめたい」
・79年-金賞「カサブランカ・ダンディ」
・80年-金賞「酒場でDABADA」
・81年-金賞「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」
・82年-金賞「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
・83年-制定25周年記念特別金賞「きめてやる今夜」
と、ほぼ毎年大賞候補としてノミネートされていました。80年代前半までにおいては、演歌の五木ひろしさんと共にレコード大賞でもまさに「顔」といえる存在でしたね。
個人的に沢田研二さんの歌の中で一番名曲だと思うのは実はソロデビュー初期の「許されない愛」だったりします。意外とこの曲、当時大ヒットした割には、その後のヒット曲の個性の強さから知られていない曲だったりしますよね・・・。
当時の紅白とかレコード大賞の映像を見ていて、とにかくメロディーラインの難易度といい、その歌い方といい、当時の視聴者の皆さんは度肝を抜かれたんじゃないかな、というぐらいの熱唱ぶりでしたね。
しかもその歌の世界は何となく反権力的な「アウトロー」のような雰囲気があったりで、何度聞いていてもこの歌は「名曲」だと思います。それと同時にこのときに歌手・沢田研二は「歌を通じたエンターティナー」として胎生したんじゃないだろうか、とその後の彼の歌の世界の成熟ぶりを見ると感じたりします。
何気なくJulieで検索していて、こちらへたどり着きました。
私がgooさんの歳の頃、あるツテでヒットスタジオのリハーサルから放送終了までスタジオで見たものです。
Julieは一生懸命で、ピリピリしてる時もあって怖かった!好きだけど、近寄りがたくて…
gooさんのようにお若い男性が興味を持って取り上げてくれること嬉しく思います。
素晴らしいコンサート・舞台・曲・映画、いっぱいありますので、観て、聴いてみて下さい。
それともう一つドリフ大爆笑で難点なのは、ステレオ放送に切り替わったのが相当後だったために、歌の音質があまりよくない(映像は文句なしに綺麗なんですけども)点でしょうかね・・・。まあ、軸は「コントバラエティー」なので、歌が二の次、って言ったところなんでしょうが・・・。