伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅵ(1980,4~1982,3)

2006-05-31 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和55(1980)年04月21日(第597回)
・桑名正博、アン・ルイス夫妻(当時)が共演(但しジョイント企画は用意されず、それぞれ当時の新譜をソロで披露)。
・若年層に人気のロックミュージカル集団、ミスタースリムカンパニーの面々が歌手として出演。
◆昭和55(1980)年04月28日(第598回)
・松田優作初出演。「YOKOHAMA HONKEY TONG BLUES」ほか3曲をメドレー形式で披露。
・80年代女性アイドルの代表格・松田聖子初出演。デビュー曲「裸足の季節」を披露。
◆昭和55(1980)年05月05日~26日(第599回~第602回)
放送600回記念月間として放送(※第600回は5月12日放送)。
◆昭和55(1980)年05月05日(第599回)
水谷豊が初出演(歌:あす陽炎)。
◆昭和55(1980)年05月12日(第600回)
大地真央、シーナ&ザ・ロケッツ初出演(歌:大地:マイ・ジュエリー・ラブ、シーナ&ザ・ロケッツ:ユー・メイ・ドリーム)。
◆昭和55(1980)年05月26日(第602回)
デビューシングル「ダンシング・オールナイト」の大ヒットを引っさげ、もんた&ブラザーズが初出演。
◆昭和55(1980)年06月02日(第603回)
1978年の結成以来、国内のみならず海外をも視野に入れた音楽活動を行い、「テクノ」なる言葉を世に浸透させ、時代の寵児として話題となっていたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が初出演。第4スタジオより「ライディーン」「テクノポリス」の2曲を演奏。ちなみに当時キーボート演奏のサポートメンバーとしてグループに参画していた矢野顕子は妊娠休養中のため出演せず(橋本一子が代役として出演)。
◆昭和55(1980)年06月23日(第606回)
芦ノ湖畔・箱根園庭園より濃霧の中、中継放送。出演は郷ひろみ、森進一、シーナ&ザ・ロケッツ、岩崎宏美ほか。
◆昭和55(1980)年06月30日(第607回)
・フォーク界の第一人者として、フォーライフレコード設立、つま恋ライブの開催など邦楽史上に残る伝説の1シーンを作り続けた吉田拓郎が待望の初出演。「あの娘といい気分」「いつか夜の雨が」の2曲を披露。
・田原俊彦、河合奈保子初出演(歌:田原=哀愁でいと、河合=大きな森の小さなお家)。
◆昭和55(1980)年07月21日(第610回)
八神純子初出演(歌:パープルタウン)。
◆昭和55(1980)年08月18日(第614回)
美空ひばり、1970年12月以来、役10年ぶりに夜ヒットに登場。新曲「時雨の宿」、そして代表作「リンゴ追分」を披露。この後、1984年まで年末または夏季のいずれかに彼女の特別出演が恒例化する。
◆昭和55(1980)年09月01日(第616回)
アン・ルイス、作者の竹内まりやと共に「リンダ」をジョイント。
◆昭和55(1980)年09月22日(第619回)
芳村真理不在につき、井上順が単独で司会を担当。
◆昭和55(1980)年10月06日(第621回)
前日に引退コンサートを終えた山口百恵を迎え、「サヨナラ百恵」と題して全編特別編成を組む。親友のアン・ルイスや、共に一時代を築いた「中3トリオ」の森昌子、桜田淳子、「新御三家」の郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、音楽プロデューサーを務めた酒井正利氏、事務所の先輩である和田アキ子ら、彼女と馴染みの深い関係者が集まり、家庭に入る彼女に向けての歌・メッセージを送った。エンディングは「さよならの向う側」を涙ながらに熱唱。夜ヒット史上に残る伝説の名場面として、後世にも語り継がれることとなる。
◆昭和55(1980)年10月13日(第622回)
川中美幸初登場(歌:ふたり酒)。
◆昭和55(1980)年10月20日(第623回)
ポール・モーリア楽団が特別出演。西城秀樹と「サンタマリアの祈り」で共演。
◆昭和55(1980)年10月27日(第624回)
70年代の米国ポップスシーンを担った男性アイドル歌手・レイフ・ギャレット、そして夜ヒット歴代海外アーティスト出演者中で最多出演記録を残したノーランズが初出演。
◆昭和55(1980)年11月17日(第627回)
多岐川裕美、歌手として初登場(歌:酸っぱい経験)。以後、80年代半ばにかけて松坂慶子・十朱幸代と並び女優としては準レギュラー格として年に1~2回のスパンで登場。
◆昭和55(1980)年11月24日(第628回)
近藤真彦が初出演(歌:スニーカーぶる~す)。レコードデビュー日を半月後に控えての初登場であった。
◆昭和55(1980)年12月15日(第631回)
吉田拓郎と並び称されるフォーク界の大御所・井上陽水が初出演。1973年のヒット曲である「夢の中へ」ほか2曲を披露。
◆昭和55(1980)年12月22日(第632回)
・「夕陽が泣いている」「愛のさざなみ」などの作詞・作曲で知られる浜口庫之助が歌手として出演(歌:恋の雪まつり)。
・ロンドンからの中継でノーランズが出演。夜ヒット最初の衛星中継。
◆昭和56(1981)年01月26日(第637回)
横浜銀蠅初出演(歌:ツッパリHigh School Rock’n Roll<登校編>)。この後、銀蠅ファミリーとして売り出した嶋大輔、杉本哲太らと共に翌82年にかけてブーム的な人気を集める。
◆昭和56(1981)年02月02日(第638回)
・漫才ブームの真っ只中、「恋のぼんちシート」がヒットチャートでベストテン入りするヒットとなったザ・ぼんちが初出演。
・70年代~80年代を代表するイギリスの人気バンド・ポリスが初出演。いわゆる「口パク」であったことに悪乗りしてか、楽器の演奏をせずに即興の振り付けで曲を披露したことが、賛否両論を巻き起こす。夜ヒット史上に残る"迷"シーン。
◆昭和56(1981)年02月16日(第640回)
・奇抜なステージングが話題となっていたRCサクセションが初出演(歌:トランジスタ・ラジオ)。
・郷ひろみが井上順の代理司会を担当。
◆昭和56(1981)年02月23日(第641回)
この後、同年の音楽シーンを代表する空前の大ヒットとなる「ルビーの指環」「シャドー・シティ」を引っさげ、寺尾聰が初出演。
◆昭和56(1981)年03月09日(第643回)
桃井かおりが歌手として初出演。「バイバイ子守歌」を披露。
◆昭和56(1981)年03月30日(第646回)
解散コンサートを控えたピンクレディーの「サヨナラ」企画を組む。多くのファンらがペンライトで応援する中、解散記念シングル「OH!」を披露。
◆昭和56(1981)年04月13日(第648回)
当時担当していたラジオ番組に村田英雄を「ネタ」として扱い、個人的な親交を深めたビートたけしが村田の応援ゲストとして登場。しかし、通常の「ご対面」での登場ではなく、オープニングからエンディングまで全編に渡りたけしはスタジオに居残った。
◆昭和56(1981)年06月08日(第656回)
「おんな太閤記」「池中玄太80キロ」の出演で人気俳優としての地位を固めた西田敏行が歌手として初出演(歌:もしもピアノが弾けたなら)。
◆昭和56(1981)年06月15日(第657回)
柏原芳恵(当時は「柏原よしえ」)が初出演(歌:ガラスの夏)。
◆昭和56(1981)年06月22日(第658回)
・柴田恭兵初出演。(歌:なんとなくクリスタル)。
・ジャズシンガー・阿川泰子が初出演。この後、1983年にかけて中本マリ、笠井紀美子、秋本奈緒美らジャズ界からのゲストが増える。
◆昭和56(1981)年07月13日(第661回)
日本を代表するトランペット奏者・日野晧正が初出演。
◆昭和56(1981)年07月20日(第662回)
武田鉄矢が井上順の代理司会を担当。
◆昭和56(1981)年08月17日(第666回)
イモ欽トリオ初出演(歌:ハイスクール・ララバイ)。育ての親・萩本欽一が「欽ドン!」での父親役の扮装のままスタジオへ応援に駆けつける(当時、夜ヒットの前の時間帯(現在でいう「月9」)の番組は「欽ドン!良い子・悪い子・普通の子」であった)。
◆昭和56(1981)年08月31日(第668回)
・タモリが「トランペット奏者」として登場。「狂い咲きフライデーナイト」を披露する。
・シンガーソングライター・長渕剛との結婚のため芸能活動を引退することとなった石野真子の「サヨナラ」企画を放送。同日出演者の海援隊から歌(「贈る言葉」)のプレゼントに感激し石野は号泣(この後、1983年に長渕・石野は離婚。石野はその後芸能活動を再開した)。
◆昭和56(1981)年11月02日(第677回)
10年間にわたる活動に終止符を打つアリスが解散前最後の出演(「サヨナラ・アリス」)。
◆昭和56(1981)年11月09日(第678回)
1970年代後半~1980年代前半を代表する"ポップス・クイーン"として日本でも人気を集めたシーナ・イーストンが初出演。
◆昭和56(1981)年11月23日(第680回)
いわゆる「花の82年組」の先陣を切り、松本伊代が初出演(歌・センチメンタル・ジャーニー)。
◆昭和56(1981)年11月30日(第681回)
・当時ヒット作を連発していた「角川映画」の"秘蔵っ子"薬師丸ひろ子が初出演。主演映画の同名主題歌である「セーラー服を機関銃」を披露。
・ステージ中の転倒事故で緊急入院していた河合奈保子が1ヶ月ぶりに歌手活動復帰の場として夜ヒットに登場。待ち焦がれていた親衛隊の歓声の中で「ラブレター」を歌う。
◆昭和56(1981)年12月14日(第683回)
シーナ・イーストンと並ぶポップス・クイーン、オリビア・ニュートンジョンが初出演。日本でも大ヒットの「フィジカル」ほか2曲を披露。
◆昭和56(1981)年12月21日(第684回)
・「なめ猫」ブームに便乗して登場したアニメーションキャラクターのネコによるグループ「川崎黄金猫舎」が登場(アニメーションキャラクターが歌っている画とスタジオ風景との合成映像により「パープリング・ブギ」なる曲を放送)。
・来生たかお初出演(歌:夢の途中)。
◆昭和57(1982)年01月11日(第687回)
竹下景子が芳村真理の代理司会を務める。
◆昭和57(1982)年02月15日(第692回)
南こうせつが初代かぐや姫時代の出演(1971年)以来、約11年ぶりにソロ歌手として登場(歌:「美映子」)
◆昭和57(1982)年02月22日(第693回)
都はるみ、前年11月に発売した宮崎雅とのデュエットソング「ふたりの大阪」を当日出演者の一人である五木ひろしとデュエット。
◆昭和57(1982)年03月01日(第694回)
セラ・セダカ、喜多郎が「千年女王のテーマ」で競演。
◆昭和57(1982)年03月08日(第695回)
ピーター、ポール&マリー(PPM)が来日出演。「春一番PPM特集」と題して代表作「風に吹かれて」など数曲を披露する。
◆昭和57(1982)年03月22日(第697回)
・日本テレビ系「スター誕生!」より歌手デビューした小泉今日子が初出演(歌:私の16才)。
・RCサクセションの忌野清志郎、YMOの坂本龍一が夜ヒット筆頭スポンサー資生堂の同年春キャンペーンソング「い・け・な・い・ルージュマジック」を引っさげて登場。衝撃的ともいえる2人のパフォーマンスが話題となる。
◆昭和57(1982)年03月29日(第698回)
・松平健が初出演(歌:紙の指輪)。
・「ある愛の詩」「ムーンリバー」などの世界的ヒットで知られる大物エンターテイナー、アンディ・ウィリアムスが初出演。

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