伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜ヒット名シーン/吉田拓郎「アジアの片隅で」

2006-04-10 | 夜のヒットスタジオ/名シーン
夜ヒット名シーン、今回は吉田拓郎さんの「アジアの片隅で」を紹介します。
このシーンは1987年最後の放送であった12月30日、初の「スーパーデラックス」版のときの一コマです。

前年まで大晦日に放送されていた「世界紅白歌合戦」(1986年は夜ヒットの名義の下で放送)に代わる年末特別企画として編成されたのが、歌謡曲色よりも、ロック・ニューミュージック色を強くした一味違う夜ヒットの魅力を引き出す、という点に重点がおかれた「スーパーデラックス」版であり、その第1回目となる1987年の最大の"目玉"として用意されたのが、日本のフォーク界の二大巨頭ともいえる、吉田拓郎さん、井上陽水さんのテレビ初共演でした。拓郎さんは、この放送より前は、1年ほど充電期間に入っており(シングル発表は1985年12月発売の「ジャスト・ア・Ronin」、LP(アルバム)も1986年9月の「サマルカンド・ブルー」以降、新作の発表がないという状態でした)、充電明け最初のテレビ出演の場として、夜ヒット以外にもほかの放送局からも色々なオファーが入っていたそうですが、それらをすべて断り、夜ヒットへの7年半ぶりとなる出演という選択肢を選びました。

夜ヒットでこの時に歌ったのは「アジアの片隅で」。この曲はちょうど拓郎さんが同番組に初出演した年である、1980年の11月に発表されたLP盤『アジアの片隅で』のタイトル曲で、オリジナルは計13分間にも及ぶ大作でした。

久しぶりのテレビ出演に花を添えるかのごとく、「シンシア」などで共に仕事をしてきたかまやつひろしさんが特別に彼の応援ゲストとして出演、また、古くからの知り合いでもあるTHE ALFEEの面々がバックコーラスとして特別参加、という何とも贅沢なシーンがこのときに実現しました。このときのステージングは視聴者のみならず、このときにスタジオ内にいた出演者をも圧巻させ、1年間にわたる"沈黙"を破る堂々のステージを展開、終盤に曲が盛り上がるに従い、彼の後ろに陣取っていたほかの出演者たちもいっせいに立ち上がり、この曲を盛り上げるべくリズムを取ったりしていました。まさに「拓郎ワールド」にスタジオ全体、そしてテレビ画面全体が引きずり込まれたといっても過言ではないものでした。

この夜ヒットでの"沈黙"を破る「アジアの片隅で」を通じての拓郎さんのメッセージは、多くの視聴者にも彼の健在ぶりを堂々と知らしめることとなり、そして、これを契機に翌年、拓郎さんは本格的な音楽活動を再開することとなりました。

1970年代前半に大ヒットとなった「旅の宿」や「外は白い雪の夜」、彼が一躍時代の寵児になった契機の曲「人間なんて」、そしてこの夜ヒットで歌われた「アジアの片隅で」、いずれを取っても、拓郎さんの作品にもその時代の人間像が映し出され、またその時代の人間に内在された本当の人間性のようなものが映し出されていますし、そして何よりも拓郎さんの曲にかける「魂」といったものが滲み出ています。この夜ヒットでのステージングを通じて、「魂」がある歌、「魂」の入っていない歌の違いは何なのか、漠然ながら再認識した人も恐らく多かったのではないでしょうか。昨今の曲でも確かに多くの人々の心に訴えかける曲が多いのですが、それらがすべて「魂」の入ったものなのか、といえば疑問が残るところです。やはり感動を与えられる歌を歌えるアーティストの条件というのは、曲それぞれに「魂」や「情熱」というものを持っていることがまず第一ではないのか、とこの拓郎さんのステージングから感じるところがあります。

「夜ヒット」という番組みいう観点から見れば、従前よりテレビ出演に消極的であり、しかも、それより前には充電期間に入っていた大御所アーティストが「夜ヒット」を自ら選択して出演してくれた、という点一つを取ってみてもいかに「夜ヒット」のネームバリューがほかの音楽番組よりも数段上を行っていたか、ということがよく分かるような感じがします。また、この「名シーン」の項目では何回も申し上げていることではありますが、夜ヒットという番組は、歌・歌手の個性を演出の重要なポイントとしていたわけで、このシーンでも下手に大掛かりな照明などといったものはなく、階段状に砂漠風景を模倣したものを少しおいただけ、照明は夕暮れ時を演出したという、歌のイメージに忠実なもので、その中で拓郎さんの「魂の歌声」がより際立って強調された、という感じがします。ここにも夜ヒットの演出力の高さが現れていると思います。



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6 コメント

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見ました (ひま)
2006-04-14 21:16:01
このシーン最近映像を入手しました。

すごいですねえ。

正に神がかりです。

降臨と言うのでしょうか。

これを見たら、他の芸能人なんて吹っ飛んでしまいますねえ。

こういうアーティストと同じ時代を生きられたことを

幸せに思います。
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Unknown (resistance-k)
2006-04-15 16:23:55
このシーンは、拓郎さんが1年ぶりに人前で歌を披露するということや、この「アジアの片隅で」という曲がそもそも持っている壮大な世界観、そしてその歌を披露した場が老舗だった「夜ヒット」であったということがすべて重複し、何とも凄い雰囲気をかもし出した、ということができるとおもいます。ほかの音楽番組で仮に「アジアの~」を歌ったとしても、あの雰囲気はなかなか出せなかったんじゃないかなあ、と思います。このシーンは「夜ヒット」らしくないという評価もあるようですが、それを当然変異的にやってしまう、そして番組カラーを大きく広げていく、それが夜ヒットという番組の醍醐味であったという感じがします。「らしくない」が実は一番「夜ヒット」の特色だったりするわけですねえ・・・。



拓郎さんも近年体調を崩されたりして心配していましたが、今年は、盟友・こうせつさんとの野外コンサートを行うようなので、是非とも「オトナの歌」「魂の歌」を歌える近年稀有な存在としてこれからもがんばってほしいと、私も思いますね。
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名シーンでした。 (ベストテンマニア:K)
2007-01-09 00:52:14
過去ログを見てて、この吉田拓郎さんの夜ヒット出演シーンを思い出しました。
これ生で見てました。
年末のスペシャルでしたね。
豪華な顔ぶれで、アーチスト同士が競演したりと、名シーンの連続でした。

この拓郎さんのバックにアルフィーでしたね。
「アジアの片隅で」は、何か凄みと言うか、ホント神がかり的でした。
これ見てて、鳥肌が立ったことも覚えてます。
今でも心に残る「夜ヒット」の名シーンです。
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Unknown (Unknown)
2007-01-09 11:34:57
夜ヒットの場合、他の歌番でもちょっと実現できない、「神がかり」なシーンが結構ありましたよね・・・。
拓郎さんの「アジアの片隅で」もその一つですけど、今やファンの間では伝説となっている、スタジオ狭しと走り回るブルーハーツの「リンダリンダ」とかRCサクセションの「Rock'n Roll Show」、長渕剛さんの「STAY DREAM」、中森明菜さんが加藤登紀子さん、そして当時交際中の近藤真彦さんの目の前で涙を流して話題となった「難破船」なども「神がかり」的でしたね・・・。

なかなか最近歌番組を見ていて「鳥肌が立つ」というのはないんですが、上記の場面は当時の映像を見るたびになぜか「鳥肌が立つ」んですよね・・・。ややこしい説明など必要なく、まさに「凄い」の一言で十分説明が付くぐらいのシーンじゃないかなあ・・・と感じます。

夜ヒットスタッフもまた、ベストテンのスタッフもその雰囲気には大きな違いがあったようですが、やはり共通しているのは「歌番組を見ることで、どうやってその歌、歌手が引き立つか、そして視聴者にどうやってその歌の世界を訴えかけるか」という部分を相当熟知していたということかな・・・と思ったりします。
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「スーパーDX」版が「R&N」誕生のきっかけ? (resistance-k)
2007-01-10 18:21:47
あと、この1987年12月30日放送の「スーパーDX」版は、まさに神がかり的場面の連続みたいな放送でしたよね。

この拓郎さんの「アジアの片隅で」以外にも、いきなり最初から明菜さん・玉置さん・陽水さんのトリオで「飾りじゃないのよ涙は」を披露したり、田原俊彦さんと作者・久保田利伸さんの「It's BAD」、バービーボーイズの「飛んでみせろ」、そしてブルーハーツの「リンダリンダ」と、名場面・夢のジョイントの連続でしたよね。

1987年秋より製作中枢を任されることになったプロデューサーの渡邊光行さん、構成担当の木崎徹さんは、それまでの夜ヒットの確立されたイメージを合えて否定してしまおうというコンセプトで番組制作を行っていたそうで(木崎さんのWEB上のインタビュー記事にそう書いてありました)、この演歌排除・ロック・ポップス中心という「スーパーDX」の構成は、芳村真理さんがこの放送の直前に1000回放送での司会勇退を発表した事と重なって、夜ヒットに確実に世代交代の波が押し寄せている、ということを視聴者に強く印象付けさせるものでした。

このスーパーDX版は衰退期にあった夜ヒットでも好評価を得たこともあり、後に番組四分割により生まれた「ヒットスタジオR&N」にそのまま製作スタンスが継承されました。正直、正統派「ヒットスタジオ」の路線を受け継ぐ「SUPER」版よりも「R&N」版のほうが、管理人自身もまだ小学校3、4年ぐらいでしたが、数段面白かったかなあ、と思います(もしかすると製作中枢の渡邊、木崎両氏もひょっとしたら、「SUPER」よりも「R&N」のほうに本腰を入れてたかも・・・)。当時無名のロックミュージシャンが大量出演か、と思えば、時折、深夜の生番組にはまず登場しないだろうと思われるような大物・ベテラン(タイマーズ(忌野清志郎さんほか)、白鳥英美子さんなど)がいきなり登場したりで、深夜にしてはかなり豪華な作りだったように記憶してます。
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感動です。 (よる人)
2015-04-20 21:39:59
だいぶ古い記事にコメントいたします。
実は打ちの父が夜ヒットの音声をやっていまして、現在退職後に、仕事中に録音したマスターテープをcdに保存する作業を趣味でしておりましてその際に今回の音を聞かせて貰い感動しました。やはりたくろうは偉大です。
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