伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜ヒット・歌手別出演履歴<25> ピンクレディー/増田惠子/MIE

2007-08-05 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット」出演履歴シリーズ、今回は1970年代後半の歌謡界を疾風の如く駆け抜けていったピンクレディーの出演履歴を振り返ります。

◆ピンクレディー-初出演:1976年12月20日(第424回)/最終出演:1981年3月30日(第646回)、出演回数:35回
01 1976/12/20(424) ペッパー警部
02 1977/01/03(426) SOS
03 1977/03/28(438) カルメン'77
04 1977/05/02(443) カルメン'77
05 1977/06/06(448) ヒットメドレー<SOS、ペッパー警部ほか>(withキャンディーズ)
06 1977/06/27(451) 渚のシンドバッド
07 1977/07/25(455) 渚のシンドバッド
08 1977/09/05(461) ウォンデッド(指名手配)
09 1977/10/03(465) ペッパー警部<※10周年突入記念特番>
10 1977/11/28(473) UFO
11 1977/12/12(475) UFO
12 1978/01/23(481) UFO
13 1978/03/13(488) サウスポー
14 1978/04/10(492) サウスポー
15 1978/05/15(497) サウスポー
16 1978/06/19(502) モンスター
17 1978/08/28(512) モンスター
18 1978/09/25(516) 透明人間
19 1978/10/30(521) 透明人間
20 1978/11/20(524) カメレオン・アーミー
21 1978/12/11(527) カメレオン・アーミー
22 1979/02/05(535) カメレオン・アーミー
23 1979/03/05(539) ジバング
24 1979/03/19(541) ジバング
25 1979/05/14(549) ピンク・タイフーン
26 1979/06/11(553) ピンク・タイフーン
27 1979/07/16(558) 波乗りパイレーツ
28 1979/09/10(566) マンデー・モナリザ・クラブ
29 1979/10/08(570) KISS IN THE DARK
30 1979/11/12(575) KISS IN THE DARK
31 1980/05/26(602) 世界英雄史
32 1980/07/07(608) 世界英雄史
33 1980/09/29(620) うたがた 
34 1981/02/09(639) リメンバー
35 1981/03/30(646) Oh!/ヒットメドレー(ペッパー警部ほか、with郷ひろみ、田原俊彦ほか)

◆増田けい子(惠子)-初出演:1982年1月25日(第689回)/最終出演:1985年10月30日(第882回)、出演回数:4回(ピンクレディー時代を含め39回)
01 1982/01/25(689) すずめ
02 1984/07/02(814) 女優
03 1985/09/04(874) FU・LI・NE
04 1985/10/30(882) FU・LI・NE

◆MIE(未唯)-初出演:1981年8月10日(第665回)/最終出演:1985年3月4日(第848回)、出演回数:6回(ピンクレディー時代を含め計41回)
01 1981/08/10(665) ブラームスはロックがお好き
02 1984/06/11(811) NEVER
03 1984/07/09(815) NEVER
04 1984/09/03(823) おつだね
05 1984/11/19(834) 灰とダイヤモンド
06 1985/03/04(848) 鏡の中の女
   
夜のヒットスタジオ初登場はデビューから4ヵ月後の1976年12月。彼女たちのデビューの契機が日本テレビ系の『スター誕生!』であったことから当初日本テレビとの関係が強かったこと、また所属事務所が弱小でもあったためか、「レコード大賞」を除く主要音楽賞レースで新人賞を受賞した後の1976年の末にようやく番組に初登場しました。

2曲目「SOS」がオリコンシングルチャートで初の1位に輝くと、その後は出す曲出す曲が全て軒並み驚異的な好セールスを記録。小学生を中心に彼女たちの奇抜な衣装や振り付けが注目されるようにもなり、歌番組以外でも「飛べ!孫悟空」(TBS系)など数多くのレギュラー番組でメインを張るようになったり、キャラクターグッズが沢山製作されるなど、国民的なアイドルとしての地位を確立。
そのような過酷ともいえる多忙ぶりの中でも夜ヒットには「カルメン'77」以降は準レギュラー格として位置づけられ、当時は大御所・演歌勢が主であったOPメドレー及び本編のトリを任されることも多く、いかに当時の彼女たちの人気が他のアイドル歌手に比べても「別格」であったかが、夜ヒット内での厚遇ぶりを見ても容易に推測することができます。

そして、1978年、前年末に発売した「UFO」で歌謡界の最高峰・日本レコード大賞を受賞。人気はピークとなります。このときのレコード大賞司会者・高橋圭三さんのフレーズは今でもテレビ史上に残る名文句として語り草となっています。

しかし、このレコード大賞の後に行われる同じく年末の風物詩「NHK紅白歌合戦」には、他局のチャリティーコンサートへの出演を優先するとの名目で出場を辞退。そして、1979年に入ると、日本での圧倒的なブームメントを背景として米国への進出をもくろみ、この年の秋から暫くの間渡米し、日本での活動を一時セーブするなどといった売り出し方の迷走が生じるようにもなり、人気は「レコード大賞」受賞を以って頭打ちに。以降は急速な勢いで日本での人気は衰退傾向となり、夜ヒットの出演頻度も、1980年になると著しく減少してしまいました。

そして、1981年春、雪が残る後楽園球場にて「解散コンサート」を行い、約4年半の活動に終止符を打ち、ミーは芸名表記を「MIE」とし、ケイは本名の「増田惠子」名義に改めて、単独での女優・歌手活動に邁進することとなりました。夜ヒットでは一時代を築いたアイドルとしての功績を重視し、番組の名物ともいえる「サヨナラ」企画を組み、ラストシングルとなった「Oh!」をスタジオ出演者・スタッフ・関係者全員がペンライトを振り応援する中で熱唱、感動的なシーンを残しました。

彼女たちを語る上でやはり外せないのが、ブレーン的存在であった作詞家・阿久悠と作曲家・都倉俊一。「スター誕生!」でオーディションを受けた際、その後のイメージとは全く真逆の、地味な雰囲気でオーディションを受け合格をしましたが、その後、この番組の審査員を務めていた阿久・都倉が彼女たちの面倒を全面的に見ることになり、オーディション時の衣装を180度変える奇抜かつ露出の多いコスチューム、そして派手な振り付けに、過激な歌詞、リズム感豊かな曲調で「ペッパー警部」で颯爽と登場し、瞬く間に注目を集める存在となりました。このような印象をガラリと変える衝撃的なデビューのさせ方をプロデュースしてゆく上でやはり大きな影響力を発揮したのが阿久・都倉のコンビであり、「ペッパー警部」なる曲のタイトルは阿久、デュオ名「ピンクレディー」は都倉がそれぞれ命名したものでした。
その後も「レコード大賞」で頂点を極めるまでの間、阿久・都倉は事実上の2人の「師匠」という位置づけで、衝撃的な印象を残す楽曲を彼女たちに提供していきました。

作詞家の阿久、都倉にとっても後年「やりがいのある面白い仕事」であったとこのピンクレディーのプロデュースの仕事を振り返っており、阿久は「歌の世界で「万博」をやるというコンセプトで作詞に挑んでいた」とも回顧しています。
一見して「イロモノ」的色彩が強いにも拘らず、超一流の、一つの時代を築くに至った背景には、それなりの当事者たちの仕事に対する意欲・考えの密度の濃さがあったからに他ならないともいえるでしょう。
しかし、その仕事に対する充実感、そしてそれに反映した過熱気味ともいえる異常な人気ぶりから、徐々に当事者間にもその人気や仕事そのものの方向性に対する迷い・過信も生じていたことは事実であり、それが一瞬でも表に出てしまえば、世間の目が一気に他の新たな対象に移ってしまう。その「ブーム」ともいえる人気がいかに実際は脆いかということを、活動後期に露呈してしまったのも否定できないとも言えると思います。

<追記>
先日、ピンクレディーの前期作品の大半の作詞を手がけた阿久悠さんがお亡くなりになりました。
彼が歌謡曲の作詞家として全盛を極めたのは、1976~1979年頃(◆レコード大賞も1976~1978年まで3連覇)のこと。上述のピンクレディーのほかにも沢田研二の「勝手にしやがれ」、都はるみの「北の宿から」、大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」など実に多種多様な非凡な作詞センスを発揮し、歌謡曲黄金時代とも称されるこの時代の歌謡界をリードしてきた最大の功労者であったと思います。また、それらの多くが「国民的愛唱歌」としての側面を持ち、20年、30年を経た現在も尚、幅広い世代により歌い継がれ、知られているという点からみても、「その時代だけに適応すればよい」という短絡的な考えではなく、もっと深く、大げさに言えば「恒久的に愛される、印象に残る歌詞」の重要性を誰よりも強く認識していた人物であったということもできるかもしれません。

彼の作詞の歌は、当然のことながら「夜ヒット」でもかなりの数披露されています。近いうちに夜ヒットで披露された阿久悠作品の一覧をアップできればと思います。

この場を借りて、阿久悠さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
補足 (恐縮です)
2007-08-05 23:13:07
いつも楽しく拝見させていただいております。
貴重な資料の数々ですね!
ピンクレディ夜ヒット映像を所有していまして、
上記一部訂正箇所をお知らせします。
09 1977/10/03 ペッパー警部(確定)
19 1978/10/30 透明人間(確定)
32 1981/02/09 リメンバー(おそらく)
また、1980年秋頃に、「うたかた」という曲を
夜ヒットで歌っている映像もございます。
1980年以降、出演機会は減りましたが、
新曲を披露できない、という状況ではなかった
ような気がします。
すみません、口を挟んでしまって。
宜しくお願いします。
Unknown (恐縮です)
2007-08-05 23:15:11
追記です。
17 1978/08/28(512) モンスター(確定)
「うたかた」の出演日について・・・ (resistance-k)
2007-08-06 06:15:37
>>「恐縮です」さん

ご丁寧に追加・訂正情報をお知らせ頂き有難うございました。
因みにその「うたかた」を披露した回で、他に出演した歌手として誰がいましたか?
それがわかると推定が付きやすいんですが・・・。
分かる範囲で宜しいですので、ぜひ情報お待ちしております。
デビュー当時の扱い (Y&A)
2007-08-07 06:29:44
(久々のレスになります。)

当初はアイドルとしては遅いデビュー(レコードデビューは高校卒業後)・一種「色物歌手」的なキャラ設定のせいかビクターの上層部でも「絶対売れない」とその評価は散々なものだったようです。しかしだからこそ作り手が自由にできたという一面もあるのでしょう。

例えば「ペッパー警部」は過激な内容のため、安全策としてキャンディーズを彷彿させる「乾杯お嬢さん」をA面にする案もあったようですが阿久・都倉サイドが猛反対して「ペッパー警部」をA面にしたというエピソードもあったようです。もし「乾杯お嬢さん」をA面にしていたら、後の「UFO」の大ヒットもアメリカ進出もなかったでしょう・・・

追伸
81年2月出演はやっぱり「リメンバー」でしたか。

確か「ラスト・プリテンダー」はTVはおろかコンサートでも1回も披露してなかったはずだったので。
Unknown (resistance-k)
2007-08-07 12:10:19
確かにピンクレディーの商業的成功は、その後の芸能界における「アイドル」の概念を大きく広げた意味で極めて重要な意義があるように思います。

ただ、後の「おニャン子クラブ」などの場合と異なるのは、この2人が、容姿だけでなく、歌手としてもそれ相応の歌唱力があった、という点も注目すべきどころかもしれません。あれで歌が下手だとなっていたら、ここまでの国民的な人気はまず得られなかった(とくに年配層の方々は、オードソックスな音大出の歌手の歌声というのを知っているので、歌手に対して「歌唱力」というものを要求する部分があり、その方々を以て、支持を獲得するに至ったというのは、やはりその容姿の裏に見え隠れする「実力」が認められていた結果なのではないでしょうか・・・)と思いますし。
時代のモンスター! (ベストテンマニア:K)
2007-08-14 00:22:52
ピンクレディーは、時代のモンスターですね。

でも意外と出演が少ないですね。
それだけ、忙しかったってことでしょうか!

「うたかた」確か当時、夜ヒットで見た記憶があります。
当時、人気は衰えても、ピンクレディーファンだったので、「うたかた」の頃もシングルを買ってました。

「OH!」での最後の出演の時、他の出演者(田原俊彦、郷ひろみ、杉村尚美、他)と一緒にピンクレディーメドレーをやった記憶もあります。

懐かしいです。
Unknown (resistance-k)
2007-08-14 22:12:45
>>でも意外と出演が少ないですね。
それだけ、忙しかったってことでしょうか!

まあ、夜ヒットの場合は、原則的に月1回のペースで出演スパンが回ってる形でしたし、あと、活動期間や、人気を集めた期間が短期間(3年ぐらい)というのも上記の出演回数に繋がっているのかもしれないですね。

「うたかた」は具体的にいつの放送日だったのか、一応情報を募っているんですけど、なかなか分からないんですよね…。

「OH!」のシーンは1989年頃の総集編企画で見た覚えがあります。このシーンも4年7ヶ月を疾走した2人のこれまでの総括と、将来の新たな道に進む上での決心というのがうまく交差した、名シーンだったと想います。
「うたかた」での出演日 (ROXY)
2007-08-15 22:52:23
はじめまして
すごい貴重な資料の数々・・・圧倒されながらも楽しませていただいております。


「うたかた」での出演の放送日ですが、

1980/09/29

のようです。持ってる映像を見たところ小林幸子さんとチャゲアスが後ろのひな壇に確認できました。
情報ありがとうございます (resistance-k)
2007-08-16 18:28:55
情報ありがとうございました。
早速、追加させていただきます。

これからもちょくちょくなんか不備な点などありましたら、気楽にコメントを残してくださればと思います。
Unknown (daidai)
2007-08-25 11:34:24
はじめまして。
膨大なデータの数々、興味深く拝見しています。

細かい指摘で恐縮ですが「ジパング」では2回出演してるはずです。手元に2パターンの映像がありますので。出演者リストを拝見しますと79年3月19日でしょうか?
それと、79年11月12日の出演時の曲目は「DO YOUR BEST」ではなく「KISS IN THE DARK」だと思われます。これも2パターン映像がありますので。

すみません、どうしても気になってしまって。
これからも楽しみにしています。では。

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