レモンのひとりごと@横浜

15年8月から夫婦二人だけの生活をしています。16年からペースメーカーを装着してスローな生活をしている60代です。

講演

2010年03月10日 21時07分47秒 | 気ままに

青少年指導委員の横浜大会で
市長の挨拶で林文子さんを見た。

坂本博之」なる人の講演「僕は運命を信じない

こんな人知らない。

「平成のKOキング」「和製デュラン」とも呼ばれた。
日本ならびに東洋太平洋ライト級王座を獲得。
世界ランキングは最高でWBCライト級1位。

2000年のWBC世界ライト級タイトルマッチの畑山隆則戦でボクシング史上に残る名勝負を演じた。

坂本 博之


1970年 福岡県田川郡 生まれ
1978年 福岡市児童養護施設和白青松園退園後、上京
1988年 埼玉県小松原高校 卒業
1991年 ボクシング プロデビュー
1993年 全日本新人王・日本ライト級チャンピオン
1996年 東洋太平洋ライト級チャンピオン
1997年 WBC世界ライト級タイトルマッチ挑戦
1998年 WBC世界ライト級タイトルマッチ挑戦
2000年 WBA世界ライト級タイトルマッチ挑戦2回
2006年 椎間板ヘルニア手術後 復帰
2007年 現役を引退
現在、ボクシングトレーナーとして後進の育成とともに、「こころの青空基金」の主宰を務めている

聞き終わった後は自分が少しは賢くなった気がします。

内容は彼の今までの人生

その中で特に印象に残った事は

小学校に入るのには色々物入りの為お母さんが年子の弟と二人を知人宅に預けて働く。
その知人宅での食事は給食のみ。
学校のない日は川で釣りをしている人から魚をもらって火を通して食べる。
玄関を入ってすぐの場所でバスタオル1枚が寝る場所。
栄養失調で倒れた弟を負ぶって学校の保健室まで行った。
それで、児童養護施設に入ることになり、
毎日3度の食事ができ好きに水が飲める幸せ・暴力もなく布団で寝られる幸せ。
2年生の時、施設のTVで見たボクシングでボクサーになることを決心する。
彼は体が大きいが弟の体は小さい。
中学校で制服・かばん・教科書がボロボロ。
何も言わない弟だが、その姿を見たら誰でも理解はできる。
======彼は、その姿のままの弟をつれて
夜中にいじめた子の玄関先で<ピンポン・ピンポン。 ドンドンドンとドアを叩く>
「弟がオタクの子にいじめられてこんな状態です。」
親に誤ってもらいました。

(これはすごく良い作戦だと思いました。
  夜中に訪問すると会話が近所によく聞こえる。
     親も対処せざるをえないような気がします。)

現役引退後は「こころの青空基金」を主宰し、児童養護施設の子供達への支援活動を行っている。

講演を聞いて良かったです