‘江㊤㊦’を読み終えて、歴史繋がりの伝記物でも読もうと思い、図書館に行きました。
私が思うには、戦国時代の主人公と言えばなんと言っても秀吉です。
歴史で一番面白いのは秀吉、と言う夫の勧めもあり、秀吉の伝記物を捜しましたが、難しくてつまらなそうなものばっかりだったので、秀吉の正室“北政所ねね”を借りて来ました。
ねねに関する資料は多いように思えてそうではなく、そのほとんどが秀吉の背後に隠れてしまっていますが、賢い女性である事には間違いないようです。
ねねは庶民の出としては考えられないような高い地位に登りましたが、貧しい微禄の武士の娘で他家に養われて教養もなかったにもかかわらず、権力を少しも笠に着ず、終始身をつつしみ、人柄もおおらかであたたかい女性であったとされます。
その一方ねねは、何人もの側室を持った秀吉への嫉妬も深く、長浜城にいた時に、安土城の信長のもとへたびたびご機嫌伺いに参上したと言われ、信長からねねへの嫉妬をたしなめた手紙も残っています。(見てみたいものだ)
石女(うまずめ)・鎌倉初期、日本最初の史論書、愚管抄に「北の政所にておはしましけれど、つひに石女にて、御子の出来ざりければ」
ねねには子供がいなかった。
秀吉の子として侍女や茶々に生まれた子供達は、秀吉の子ではなかったとされ、ねねは石女でなく、秀吉には子胤はなかったとされる諸説が今なお根強く残っています。
しかしながら石女という宿命を身に、豊臣家の滅亡に手をかしたねね。
一介の貧しい足軽から関白太政大臣へときわめた男と生涯をともにしながら、自らも北の政所となったねねは戦国という波乱にみちた権力の渦の中を生きぬいた強い女性でした。
私が思うには、戦国時代の主人公と言えばなんと言っても秀吉です。
歴史で一番面白いのは秀吉、と言う夫の勧めもあり、秀吉の伝記物を捜しましたが、難しくてつまらなそうなものばっかりだったので、秀吉の正室“北政所ねね”を借りて来ました。
ねねに関する資料は多いように思えてそうではなく、そのほとんどが秀吉の背後に隠れてしまっていますが、賢い女性である事には間違いないようです。
ねねは庶民の出としては考えられないような高い地位に登りましたが、貧しい微禄の武士の娘で他家に養われて教養もなかったにもかかわらず、権力を少しも笠に着ず、終始身をつつしみ、人柄もおおらかであたたかい女性であったとされます。
その一方ねねは、何人もの側室を持った秀吉への嫉妬も深く、長浜城にいた時に、安土城の信長のもとへたびたびご機嫌伺いに参上したと言われ、信長からねねへの嫉妬をたしなめた手紙も残っています。(見てみたいものだ)
石女(うまずめ)・鎌倉初期、日本最初の史論書、愚管抄に「北の政所にておはしましけれど、つひに石女にて、御子の出来ざりければ」
ねねには子供がいなかった。
秀吉の子として侍女や茶々に生まれた子供達は、秀吉の子ではなかったとされ、ねねは石女でなく、秀吉には子胤はなかったとされる諸説が今なお根強く残っています。
しかしながら石女という宿命を身に、豊臣家の滅亡に手をかしたねね。
一介の貧しい足軽から関白太政大臣へときわめた男と生涯をともにしながら、自らも北の政所となったねねは戦国という波乱にみちた権力の渦の中を生きぬいた強い女性でした。
淀君はどんな気持ちで、父親や兄を殺した秀吉に嫁いだのでしょうか?戦国時代の女性の気持ちは現代人には理解できませんが、興味深いです。